第12話

 旦那さまの優しい表情にほっこりとしていると、旦那さまがわたしの手を見つめます。


「少し荒れているな」

「そうですか?」

「あぁ。荒れている」


 そう言った旦那さまは、木製の机の引き出しの中をガサゴソと漁ります。

 やはり、和風のお部屋というのは素敵ですね。藺草の深く鼻腔をくすぐる匂いがふんわりと漂ってきます。


「これを使え」


 部屋中に積み上げられた古書を見つめていたわたしに、旦那さまは1つの小瓶を持たせてくださいました。ずっしりと中身が詰まっている白磁の陶器には、多分軟膏が入っているのでしょう。


「匂いはきついがよく効く」

「ありがとうございます」


 ぎゅっと小瓶を抱きしめると、旦那さまはわずかに破顔する。


「では、卵をいただこうか」

「はい!」


 危なく本来の目的を忘れてしまうところでした。

 旦那さまは苦笑しながら右手でだし巻き卵を持ちます。


「?」

「どこぞの誰かさんが箸を忘れてきてしまったようだからな」

「!!」


 慌てて見ると、本当にお箸がありません。


「いただきます」


 わたしが止める間もなく、旦那さまは素手で熱々のだし巻き卵を食べ始めました。一口食べた瞬間にきらっと瞳が輝いて、頬がふにゃふにゃと緩む場面を見ることがこんなにも幸せなことだとは、思ってもみませんでした。


「うまい」


 安堵でほっと肩の力が抜けると、旦那さまはわたしのお口に何かをつんと当てました。首を傾げながらとりあえず開けると、ふわっと温かいものがお口の赤に広がります。


(だし巻き卵………!!)


 もきゅもきゅと噛めば噛むほどに広がる素朴な甘さに、ふわふわと浮つく幸せな感覚に、頬に手を当てて笑ってしまいます。

 でもやっぱり、旦那さまがお作りになるだし巻き卵の方が美味しいです。

 ………何故なのでしょうか?


「鈴春?」

「いえ、なんでもありません」


 ふわふわと頭を撫でながら聞かれたわたしは、ふるふると首を横に振りながら答えました。

 いつのまにか、だし巻き卵は全てお皿の上から消え去っていました。どうやら旦那さまが食べきったようです。


「鈴春。あーん」

「? あー、」


 旦那さまのお声に従ってお口をあけると、お口の中にころんと甘いものが広がりました。


「頑張った鈴春へのご褒美だよ」


 コロコロと転がすようにして、その硬く乾燥されている甘味がほろほろとお口の中で解けていくのを楽しみます。


「落雁、ですか?」

「あぁ、そうだ。先日着物を撮りに行った際に見つけてな。お前が好きそうだと買い求めておいた。気に入ったか?」

「はい!とっても」

「そうか」


 旦那さまの微笑みに、わたしも微笑みを返します。

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