【SS】 〜酩酊混浴〜 ①




    【SS】〜酩酊混浴〜




 ――高級酒場「夜蝶」 〜旅立ちの前日〜




「ご主人様……? お約束を忘れたわけじゃないれすよね?」


 “呂律の回っていないレイラの顔は真っ赤だ”。


 アルトとしても、それくらいの感想しか出てこない。酒豪のヴァルカンをオーウェンに押し付け、倒れ込むようにソファに座っていたレイラリーゼにダイブしたアルト。


「ハハッ!! レイラ! お前、初めてお酒を飲んだんだろ!? こんなに顔を赤くして……ククッ……、顔全体が真っ赤なお前を初めて見たぞ!」


 上から目線で発言しながらも、レイラリーゼの膝枕に頭を預けていては威厳もあった物ではない。


 アルト自身、自分がお酒に呑まれていることを自覚していない証拠でもあるのだが、本人はそれに気がついていないのだ。



「アル様? サーシャのお膝も空いておりますよ?」



 ペロリと唇を濡らしたサーシャですら、牙を剥き出しにしている。


 無限とも呼べるアルトの魔力量。その濃く甘い香りに吸血鬼(ヴァンパイア)の本能が刺激され、欲が剥き出しになっている証拠だ。



「お前は相変わらずだな! そんなに俺の血が欲しいのか? ほら……いいぞ?」



 アルトはレイラリーゼに膝枕に頭を預けたまま、襟元をグイッとずらして素肌を晒す。


 サーシャは否応なしにズズッと目の色を変え、ゴクリとしたたるヨダレを飲むが……、


「《再構築(リビルド)》……」


 ポワァア……


 レイラリーゼがアルトの頭をギュッと胸に抱き寄せ、レイピアでサーシャを威嚇する。



「「…………」」



 見つめ合うレイラリーゼとサーシャは無言で見つめ合いバチバチと火花を散らす。



 だからなのか……。



「貴様! 表に出ろ……それはアルト様への無礼だぞ!」

「うるせぇな、オーウェン。“アルトは酒が弱点だ”って言っただけじゃねぇか! オメエも大概だなぁ! クハハハッ!!」



 何やら揉め始めた2人の声も、



「お酒飲みたいの? ちゃぁんといい子にしてたらあげるかも……? ふふふっ、君の態度次第かも……」

「い、いい子にするっす!! 少しでもいいっすから、その美味そうな飯!! 酒を!!」



 調教を始めた幼女のドSな顔にも気づかない。



「……先生……。今日は同じベッドで……ふふふっ……」



 すっかり酔い潰れ、妄想を繰り広げているハイルの顔はポーカーフェイスとは程遠いものに仕上がっている。





 これらの事柄は仕方のない事なのかもしれない。


 こうして宴会を開く事自体が初めてなのだ。

 気心の知れた者たちばかりの酒宴。


 アルトの言いつけの元、素性を隠し、爪を……、牙を隠し続けてきた使用人たちにとって、酒に飲まれる経験は初めてのものなのだ。レイラリーゼとハイル、マリューに至っては飲酒そのものが初めてだ。



 酒の味を知っていても、普段はセーブし、失態を犯すわけにはいかない者たちも、今日は美酒に酔いしれる。



 酒好きのヴァルカンですら、ブレーキをかけていた。オーウェンにとっても数年ぶりのアルコール。日常的に飲酒をするサーシャにとっての肴(さかな)はアルトの存在そのもの……。



 高級酒場は身内だけ。


 この幸せな空間を味わうために自分は酒場を勧められたのかもしれない……。いつも飲んでいるお酒の味がこれほどまでに美味であったのだとサーシャはアクセルを踏み込んだのだ。




 その結果がこの状況である。



「ズルイわよ? レイラ……。この2年、アル様の側で“幸せ”を謳歌したんでしょう? 私にも至福な時間を用意すべきよ?」


「ご主人様の血はあげないって言ってるれしょ? ご主人様に快楽(きゃいらく)を与えるのはレイラなにょ!!」


「ふふっ。本当にかわいいわね、レイラ……」


「ば、ばかにしにゃいで!! レイラはご主人様とお風呂にはいりゅの!!」


「……ふふっ」



 サーシャは悪い笑みを浮かべると、「お風呂の準備をしてくるわね?」と席を立った。



「わかればいいの……」



 レイラはポツリと呟き、抱きしめていた手を緩める。



「カハッ!!」



 それと同時にむせかえるアルト。

 至福の弾力に包まれ、呼吸困難となっていたアルトだが……。



「ご、ご主人様? ご主人様ぁあ! うぅう! うう!! “あの女”はダメですぅう!!」


 初めこそ慌てた様子のレイラは支離滅裂の言動。


「アハッ!! アル様〜! この子、可愛いかも!」


 魔王軍四天王をオモチャにして笑うマリュー。


「先生……先生……。ふふっ。あぁ……、相変わらずかっこいい……」


 テーブルに突っ伏し、幸せな夢を見るハイル。


「だいたい貴様は、」

「うるせぇなぁ!! 説教なんか聞きたくねぇって、」

「説教させてるのは貴様だろ! ヴァルカン!!」

「クハハハッ!! アルト! おぉーい! まだ夜は始まったばかりだぜぇ?」

「だいたい、敬称もつけずにアルト様を呼ぶなど言語両断!!」

「アルトがいいって言ってんだから、いいんだよ!!」

「き、きさまぁあ……!! 今日と言う今日は――」



 2人の小競り合いは続いている。



 アルトの視界はグワングワンと揺れる。

 ただでさえお酒の弱いアルト。それに周囲の喧騒と、皆が自分を知っている安心感と心の弛緩。それに、酸欠も掛け合わされれば、立ち上がる事すら困難なほどなのだ。



 自己の欲求に忠実に声を張り上げる。



「う、るさいっっ!! 俺はもう風呂に入る! そして朝までぐっすり寝る!! ハ、アハハハッ!! ああ!! 今日はいい日だ!! お前らが幸せそうで俺もなんだか最ッ高に幸せだ!」



 アルトは、普段であれば口が裂けても口にしないような言葉を叫び、フラフラと立ち上がりドガッドガッと壁にぶつかりながらキッチンに消えていく。


 普段の使用人たちであれば、すぐさま肩を支えに走るのだが、誰1人としてその場を動かなかった……いや、動けなかった。



 シィーン……



 長い長い沈黙が続く。

 使用人たちは、アルトがこんな言葉を吐くなんて思ってもみなかった。レイラリーゼ以外の前で、こんなにも“人間らしい姿”を見せるとは思ってもみなかった。


 この2年で培った『普通』は、確実にアルトに“人間らしさ”を与えている。


 それが、いいのか悪いのかはわからないが、『絶望』を知る使用人たちにとって、『希望』であるアルトが自分の幸せを望んでくれている事はとても幸福で胸にくるものがある。


 常に神経を研ぎ澄ませていたアルトが。

 いつも眉間に皺を寄せていたアルトが。

 醜態など見せるはずがないアルトが。

 口下手で照れ屋なアルトが……。



「ふっぐぅっ!!」


 当然の如く、感涙したオーウェンに、「クハハハッ! なに泣いてんだよ!」と大笑いするヴァルカン。


 その瞳にもうっすらと涙が浮かんでいる。



「ふぇええんっ!! アル様ぁあ!!」



 大号泣し始めたマリューの泣き声に、アーグはオドオドと狼狽え、ハイルはパチッと目を醒ましキョロキョロと辺りを見渡す。



 グッと唇を噛み締めたレイラリーゼはうるうると真紅の瞳に涙を溜める。


(……この2年は無駄じゃありませんでしたね……)



 作り笑いとはかけ離れた笑顔に、レイラリーゼは「ううっ……」と涙を流しながら、この2年間の思い出を頭に甦らせていたが、ハッと思い出したかのようにガタッと立ち上がる。



「ご、ご主人様!! 約束を忘れてませんよね!?」



 

 慌ててキッチンに向かうと、スヤスヤと調理場に突っ伏しているアルトの姿。



「ふふっ……」



 微笑ましく笑うレイラリーゼの頬には涙痕が残っている。だが、すぐに様子が変わる。


「はぁ、はぁ、はぁ……。ご主人しゃま……」


 その笑顔は、先程感動に打ち震えていた事などすっかり忘れてしまっているかのような“狩人”のようであった。


 



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