第9話 や、厄介なことになった、クソッ!!





   ◇◇◇◇◇



 ――ボロ宿「オアシス」



 両者、裸で男側が脅されているおかしな状況下にある風呂場。俺はハッと我に帰り、少し遅れたが「冒険者A」を徹底する事にする。



「え、ちょ、えっと、は、裸ですよ! だ、誰なんですか? アナタ!!」


「……そんな事はどうでもいいの。バラしたら殺す。それだけよ? 友人、肉親、魔物や植物にすら喋らないと誓いなさい……」


「え、いやいや! やめて下さい! お、俺! お風呂に入ってて、」


「“聖女か?”……そう言ったわね?」


「ア、アナタがとても綺麗だったから、つい、“聖女様ってこんな感じなのかな?”って」


「そう……。ふふっ、私の勘違いって事?」


「そ、そうですよ! は、早く裸を隠して下さい! お、俺、」


「さっき会ったわよね? “魔力が変な人”だわ」


「え、ええ? 知りませんよ! アナタなんて! こんなに綺麗な人に会ったら忘れませんし、俺はただのEランク冒険者です!」



 俺の叫びに聖女はスッと離れてニヤリと妖艶に微笑んだ。手に持っていた《光剣》を収め、俺の顔の横に顔を寄せると、クンクンッと匂いを嗅ぐような仕草をする。


「え、なっ、」


「あら、不思議……。なんだか嘘つきな人の匂いがするわ」



 狼狽えたフリをする俺を見透かしたように、聖女は鋭い目つきで俺を煽ってくる。



(だ、誰だよ、お前……。クソが……!!)



 あまりの変貌が衝撃的すぎて思考がまとまらない。つい先程までモゴモゴと喋っていた女と一致しない。その前に、この女体を前にして少しも動揺しない男なんて存在しない。



「……え、いや。ほ、本当にアナタなんて知らないですよ。“バラしたら”って言ったって、何をどうバラすんですか……? 綺麗な人の裸を見ちゃったって言うのがダメなんですか? この街にすごい美人がいるって言うのがダメなんですか……?」



 ギリギリで繋ぎ止めた俺はモゴモゴと喋りながら、チラチラと聖女の裸を見る。……『普通』はこうなるはずだろ? 俺は間違ってない。



(ほら、お前もさっきと『日常』に戻れ! 美貌を隠してたんだろ? 『地味な聖女』を演じてるんだろ? 心配しなくても、今のお前と聖女が同一人物だなんて思うヤツはいないんだからな!)



 俺は童貞クソ野郎を演じるまでもなく童貞クソ野郎だ。否応無しに反応してしまう下半身を必死に鎮めながら、心の中で聖女に行動を促す。



 あいにく、“常日頃から同等の存在”からのアプローチをいなし続けている。レイラには困ったものだが、今は感謝したい。



 しかし、聖女は俺の手を取ると、



 むにゅっ……



 自分の胸に押し当てた。



「“あんっ”……」



 喘ぎ声を上げたかと思えば、色気など微塵もない棒読み。あまりの柔らかさと弾力に(レイラとは違うな)なんて無意味な事を考える俺を他所に、聖女は俺の下半身へと視線を向ける。


「なっ! どこ見て、」


「これはもう強姦未遂ね?」


「はっ?」



 俺は考える前に声を漏らす。

 こんなものは生理現象だ。何がなんだかわからんが、まず言える事は俺が聖女に胸を“触らされている”という事と、それがとても柔らかいという事……。



「あんっ。あんっ。やめて、いや……!」



 聖女は自分で、俺の手を何度も胸に押し当てながら、無表情で真っ直ぐに俺を見つめてくる。


 この女が俺の想像を超えたところにいると実感させられてしまう。コイツが何を考えているのか、わけがわからない。


 というより、こんな美女の裸……胸を触っている状況で理性を保っている俺を評価して欲しい。……って、んなわけあるか!



 バッ……!!



「な、何してるんですか、アナタ!!」



 ギュッ……!!



 手を振り払った俺に対して、聖女は俺に抱きついてくる。



 ぴちゃんっ……


 水音と共に素肌と素肌が合わさり、柔らかい女体が俺に吸い付く。



「あっ。当たってる……。あぁ、怖い、怖い……」


「……あ、あなたの方が犯罪でしょ? 俺は何も、」


「私のいう事とアナタのいう事、世間はどちらを信じるかしらね?」


「……ふざけるな! さっさと離れろよ」


「……聖女を強姦だなんて、一生、牢屋の中ね?」


「なっ……」



 コイツは本物だ。

 これまで会ってきた中でも、超弩級の地雷だ。ギリギリで保っていた「冒険者A」という仮面もギリギリに近い。



 ここまで意味がわからない女は初めてだ。



 幸運【E】……。

 鑑定用魔道具に狂いはない。


 俺の脳はこの状況を打破できる最適解を懸命に探し始める。逃げる、誤魔化す、演じる、いや、コレはもう……、



「……殺す、か?」



 超速で駆け巡る思考回路。

 無数の選択肢の中で俺が導き出したのは、やはり『俺』が全ての選択肢。


 この2年間……。

 俺は自分が、“アイツ”の息子である事を忘れていた。追い詰められた状況下で俺は自分の本性に戦慄する。



「……あら。そっちの方が素敵ね?」



 耳元で呟かれた言葉に退路を失う。

 口にしてしまうなんて失態を犯すくらいには動揺している。


 冒険者Aを演じ続けたところで牢屋送りにされて終わり。力で屈服させたところで逃亡するしかなくなる。懐柔しようにも何をどう考えているのか、なぜこんなところにいるのか……、「冒険者A」である俺には、「聖女」という権力を持っている女から主導権を取り返せない。


 ゴクリッ……


 吸い付く肌は柔らかく、まともに風呂に入っていないのに甘い香り……。でも、俺は徐々に落ち着きを取り戻している。



(この女……。本当に俺を脅している……?)



 本当に笑わせてくれる。


 事は単純だ。

 【黒雷】を発動させれば、すぐに終わる。聖女と言えど、一瞬で心停止させてしまえば……。



「ねぇ。アナタ……本当は強いんでしょ? ちょうどいいわ。“護衛をつけろ”と上がうるさいの」



 スッと俺から離れた聖女は妖艶に微笑む。



「“私のような地味で能力しか取り柄のない平民の女に、貴重な人材をお貸し頂くわけにはいきません”。何度もそう言って躱してきたのだけど、もうそろそろ限界……」


「……」


「素顔を見られたし、アナタ強そうだし、ぴったりでしょ?」


「……“監視”……だな? なぜ素顔を隠してる?」


「アナタには関係のない事よ?」


「……」


「ふふっ。……護衛騎士として私から離れる事は許さないから。断ったら強姦されたって通報するし」


 聖女はニヤリと笑い、「さぁ、どうするの?」とでも言いたげに小首を傾げる。


 また思考を再開し始めた頭のおかげか、“アイツ”を思い出したからなのか、下半身も一瞬で鳴りを顰め、この美しすぎる聖女の裸を前にしても動揺していない。


(クソ女が……)


 ……手札は俺の方が多い。


 この状況はコイツが暴走した結果の産物だ。

 なんらかの理由で素顔を隠し、それを絶対にバラされたく無いコイツは、もう俺を監視するしか選択肢がないんだ。


 俺としては、スキルがバレたわけじゃない。ステータスがバレたわけじゃない。


 “この人も何かを隠している”という疑念と“変な魔力?”とやらの確証だけ。


 コイツの中では、この2つが活路。



「選択肢はないと思うのだけど?」



 あとは『女』を……、『聖女』を武器にした脅しか……。



 ただまあ……、虚勢を張っているだけだと今ならわかる。それなのに、殺すだなんて短絡的で愚かな思考だった。

 

 コイツの人間性はひとまず置いておいても、“聖女殺し”は流石にヤバすぎる。どれだけ巧妙に隠そうが、今後の自由はかなり制限される悪手でしかない。


 アレは思考停止という初めての体験に、『逃げ』を選択させられたという事だ。


 理由がわかれば対処はできる。



「アナタが今日から私の護衛騎士よ。常に側を離れる事は許さないわ」



 聖女は鋭い目つきで虚勢を張り続ける。

 そうとわかると、何やら可愛らしいとすら感じるからツラのいい女は特だ。



「はぁ〜……」



 俺は深く、深く息を吐く……。



 俺の『平穏』が崩れかけている。

 受け入れろ。

 この状況はそういう事だ……。


 なら、もう一度、“平穏”を手にすればいいだけだろう?


「これは光栄な事でしょう? ため息なんて失礼しちゃうわ」


 って……、この女を相手にか……?

 ハ、ハハッ……どんな悲劇……いや、喜劇だよ……。


 俺はやらかしてしまっている。

 素を曝け出してしまっている。



「や、厄介な事になった、クソッ!!」



 

 全裸で向かい合う2人。

 俺の心からの言葉が風呂場に響くが、



「エリス。エリス・ミレイズ……。エリスでいいわ。そうね。“幼馴染”と言う事にしておきましょう?」



 差し出された手に顔をあげれば、勝ち誇った笑顔を浮かべるエリス。



「アルト・ルソーだ……。まずは服を着るぞ」


「……いいの? 服を着て」


「はっ?」


「私の裸……。もう見納めよ?」


「バカか? 俺の妹の方が身体も顔も綺麗だ」


「……変態ね」


「お前には負けるよ」



 俺はそう言って風呂場を後にした。


 『負け』。


 この言葉は本心だ。

 これは間違いなく、俺の敗北。


 素を引き出された時点で、『力』を認めたと同義。まあ、内容はいくらでもいじれるし、改ざん不可能と思われている冒険者カードという切り札もある。


 説得力のある手札を偽装しないとな……。

 兎にも角にも、まずは情報がいる。

 ……オーウェンが帰っているといいんだがな。



「もちろん、私が着替え終わるまで待つわよね?」



 ササッと水滴を拭き取り、そそくさと部屋に戻ろうとした俺にエリスが声をかけてくる。



「……はっ?」


「言ったはずよ? 私から離れる事は許さないって」


 聖女はタオルで水滴を拭きながら、まっすぐに俺を見つめる。無駄な問答に頭を使う余裕のない俺は脱衣所の入り口にドサッと腰を下ろす。


「……恥ずかしいから、あっちを向いて貰える?」


「何を今更……。じゃあ、まず隠せよ」


「恥じるような体型はしていないと思うわ」


「……じゃあ、振り返る必要はないな」



 俺は振り返る事を良しとせず、麗しの聖女が地味聖女に変身していくのを見つめていた。



 豊満な胸を押しつぶし、サラシを巻いて行く。

 純白のパンツを履き、まだ濡れている髪を三つ編みに。


 ただの村娘風の衣服を身に纏い、印象的な美しい紺碧の瞳を隠すのはビン底の眼鏡。


 出来上がったのは“地味な村娘”。

 聖女のローブも羽織っていない。


 

(……こうも印象が変わるものか?)



 完成した地味な女を前に思考を進めていると、



「……やっぱり、アナタって変態ね?」



 少し顔の赤いエリスは、地味な姿で小首を傾げた。俺は言葉を返さずに部屋へと向かう。これからの駆け引きのため、頭では聖女のプロファイリングを始めていたからだ。





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