Episode 10 少女般若

 見た目が幼ければ少女。凛々しければ淑女。弱々しければ老婆。女というものは年齢によって呼ばれ方が変わる。男は違う。男はいくつになってもこども。ずっと少年みたい。男はそれでも許されるけど、女は違う。年齢に見合った見栄えをしていなくてはならない。般若はこどもみたいな見栄えをしている。可愛らしい。愛らしい。特に男の目にはそう映る。そんな女はなにをしても許される。人を傷付けるはずなどないと思われる。


人格を疑われるのはあたしや利里のような女。女は見かけで判断される。どんなに綺麗な心をしていても見かけが悪ければ失笑の対象となり、どんなに醜い心をしていても美しければ賛美の対象となる。あたし達のように不気味な見栄えをしていて、汚れた心をしていればどんな男にとっても憎しみの対象となる。そんなあたし達もときには男に愛情を抱いて貰えるのだ。そうでないと女は生きていけない。般若はあたし達とは真逆の存在。身心ともに美しいから誰からも愛される。


東京都内、利里と翔の通う中学校の近くにものが現れた。クリプジオンからの出動命令よりも先にそれに気が付いたふたりはすぐに現場に急行して目標に果敢に立ち向かった。 

褐色の肌で大柄な身体をした「もの」は多くの人を殺める攻撃的な性格をしていたが、その最期はあっけないものだった。翔がものの身体を抑え付け、利里が首をはねてそれを死滅させた。「もの」は決して弱かったわけではない。利里と翔の連携が見事だったの。利里は翔の呼吸が感じられるほど息が合っていたので戦いやすかった。翔が利里に好意をもっていて、利里の意思を読み取ってくれたからこそ息が合ったのか。利里と翔は相性がいいのか。そもそも相性とはなんなのか。お互いを助け合う関係が恋人として相応しいのか。利里はそうではないと思っている。強く憧れる男と付き合いたい。それは今は正好のことで間違いないのだが、なぜか毎晩寝る前に思い浮かぶのは翔のことなのよね。


「馬鹿みたい。あんなにつまらない男のことを想い出すだなんて。」

 強がる利里。たしかにジャナンレッドとして戦っているとき以外

の翔は気が小さくて、他人の目ばかりを気にしている。そんな翔を

利里は軽蔑していたのに。

      

では、利里は正好の目にはどう映っているのだろう。思えば自

分も成果ばかり気にしている。自分の真の願望を忘れておとな

の指示をこなすことだけで頭がいっぱいで、必死だわ。自分に

やるべきことがあるのにそれを優先できずに、おとなの都合ばかりを気にしていることがやたら情けないと感じられた。翔より自分の方がよっぽどおとなに依存しているのだろう。


「もの」を倒した直後に空からなにかが下りてくる。直感で利里はそれが、ものであると判断し、戦闘態勢に入った。翔は構えずにそれを歓迎しているようだった。ふたりの目の前に現れたのはほうきに乗ったあどけない顔をした髪の短い女。髪の毛の色は老人のそれとはまったく違う明るく艶のある白色だったわ。利里は女の目を見たときに腰を抜かしてしまいそうなほど驚いたし、怖れた。眼球が透明でありそれを視認するのが難しいの。人の顔色を伺うという言葉があるが、それは相手の目付きをよく確認するということ。透明な瞳からは表情が読み取れない。「もの」であっても人であっても瞳に敵意が現れるし、慈しみが現れる。なにをどのように考えているのか分からないその女に利里は恐怖を憶えたが、翔はなにも感じていないよう。女は身体のラインがくっきりと分かる様な近未来的な戦闘服を身に付けている。それはジャナンスーツにどこか似ていた。


「遅いよ。マヤ。」

翔が親しげに少女に話しかける。それが利里には面白くなかった。自分と話すよりもずっと明るい声色で話すのが気に入らない。

「ごめんね。目標を確認してからみんなに連絡しようと思ったんだけど駆けつけるのが遅くなっちゃった。」

少女は手を合わせて、舌を出しながら翔に頭を下げた。そして利里に近付いた。利里は少女のことを不気味だと思ったが、それを顔に出してはいけないのよね。受け容れられない者に対する態度はよくわきまえている。

「あなたが新しいイエローね。葉月さんから話は聞いているわ。わたしはマヤ。よろしくね。」

差し出された手を取り敢えず握ったが、少女が何者なのか分からないし、正直上手く付き合えなさそう。

「マヤは僕等のお目付け役なんだ。今日は遅れちゃったけど、「もの」が現れるとすぐにそれを発見して僕等に連絡をくれるんだ。僕等の身体面や心理面での管理もしてくれるから有難いよ。色々世話になると思うから覚えておいた方がいい。」

翔は利里が不穏に思っていることを説明してくれたが、それでもやはり女に気を許せるわけがない。この少女はいつかは自分の仇となるのではないか。

「そういうことなのでよろしく。些細なことでも呼び出してくれればすぐに飛んで行くから。ジャナンをやっていると精神的にも負担になることが多いからストレス解消にも付き合うわよ。」

 

あんたなんかと仲良くするつもりはない。そう思ったが、それとは別にもっと気になることがあった。少女から葉月ナミと同じ匂いがするのだ。性の匂い。男の匂い。少女がクリプティッドであることにすぐに気が付いた。翔はそのことを知っているのだろうか。

 

利里はすべてのクリプティッドという存在が忌むべき存在だと思っている。ものはもちろん、葉月もマヤも。ものは敵として認識されているから戦いやすい。今では味方とされているが、いつかは葉月もマヤも仇となるだろうと予感していた。クリプティッドは人には理解が及ばない何かを企んでいる。だから葉月にもマヤにも心を許してはいけない。その予感は決して的外れなものではないのよ。


汚染した身体の洗浄。あの女の匂いや感触が残るのが気持ち悪い。利里は部屋に戻るとマヤの手を握った右手を石鹸で丁寧に洗う。なんだか気持ちが悪かったのだ。右手から嫌な匂いがする。裸にされて毛細血管に入れられたときと似ている。なにか穢れたものに触れたような気分の悪さがするのだ。


 あたしは人の顔色ばかり気にして生きていた。人の期待に応える為に懸命になった。人の期待に応えるためにはなにが必要なの。それは人の意思と意図を伺うこと。なにを求められているのか。それを知るのはとてもとても難しいこと。人は本音や趣旨を必ずしも明らかにしてくれるものではない。人の顔色、声色を頼りにしてあたしが読み取らなくてはならないの。それがとても苦手だった。だからといって相手に問える程素直でもなかった。知らなくてもいいと思っていた。相手が隠そうとするものを無理に引き出す必要はないのではないかしら。相手が被っている仮面を剥いだら出てくるのはまた仮面であることの方が多いのだから。


その日の夜に翔はクリプジオンを訪れた。用があるのは葉月ではなく佐々木ケイコ。翔には知りたいことがあったの。先日行われたみなもと達の討論会という研修に何の意味があったのか。翔はあの場で本音を話したつもりだが、それが何かの役に立つのだろうかと疑問を持っていた。ケイコはパソコンをいじりながらも翔の問いに丁寧に答えてくれたわ。

「人はね。みな仮面をつけて生きているの。自分が仮面を付けていると気が付かない人も多いわ。だから、顔を合わせて問題について議論することには意味がある。普段の会話や行動から相手の本音を引き出すことはとても難しいことなの。だから、たまには本音を聞き出す為に討論をするということは有意義なことよ。」

 そうか仮面を付けているのは自分だけではないのか。正好も利里も同じなのか。翔はもっとふたりのことをよく知りたい。もしかしたら、自分と同じ悩みを抱えているのかもしれない。もしかしたらなにか苦しみを隠しているのかもしれない。もしくは翔が探している答えを持っているのかもしれない。それが期待出来るだけでも収穫だ。改めて胸に刻んだ。ジャナンスーツを纏うみなもとは誰ひとり死なせてはいけない。仲間なのだから。


 父親へ。そして迷いを持つ自分へ。翔はクリプジオンから歩いてマンションに辿り着くまでずっとそらを眺めていた。この子はそらを眺めることが好き。陽の出ている時間のそらより、夜の空の方が好きなのね。星が散りばめられているそらを見ていると心が癒され、強い気持ちになれて、新しい誓いを立てられるみたい。

 そらを眺めると父のことを想う。あまりふたりで語り合った記憶はないが、そらには父がいて、翔を見守っていることだと信じていた。父に関する知識はほぼ人から聞いたり、本を読んで得た知識しかない。おそらく、父を尊敬しているという利里と同じくらいしか父に精通していないだろう。しかし不思議なものだ。利里には神谷啓の声が聞こえることは有り得ないが、翔には父の声が聞こえるような気がする。それが親子というものなのではないかしら。


「今日もね。「もの」を一体倒すことが出来たんだよ。でも、僕等の戦いは一体いつまで続くのだろう。「もの」が人の敵であるということは十分解っている。でも、僕は心のどこかでやつらが現れるのを待っているんだ。やつらを倒すことが僕の目標だからね。本当はもっと普通の目標が欲しい。女の子と仲良くしたり、将来の夢を持ちたいんだよ。だけど、今は「もの」と戦うことで精一杯なんだ。僕がジャナンになる必要がなくなったら僕はどうやって生きていけばいいのかな。他の友達のように笑って過ごすことが出来るのかな。毎晩寝る前には怖くなるんだ。クリプジオンの役に立てなくなったらどうしよう。人を守る仕事を奪われたらどうしようとね。」

 

翔は戦闘に関しては実に優秀である。それは、ものを倒すことこそが己の仕事であり宿命だと思い込んでいたから。それ以外のことには不器用でも、自分で定めた目標には真面目に取り組む姿勢は父親と似ていたわね。

 しかし、ものの数というのは有限なのだ。いつかはこの世から姿を消すものである。翔には新しい生きる目的を設定しなければならないときが必ずやってくる。だが、翔は少し甘く見てはいないだろうか。己の力では倒すことの出来ないものが現れるのかもしれないのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る