Episode 4 衣を纏う「もの」

 心。身体。形のないもの。形のあるもの。誰かと比較するのが難しいもの。おとなの仕事はそれを数値化すること。数値はおとなの世界ではなによりも尊重される。 

 判断を下す為には数値をあてにする。目標も成果もすべて数値化される。なぜ。目標も成果も可視化しなければ評価も出来ないから。

 

 心。身体。数値化出来ないもの。可視化出来ないもの。無理に数値化すると、想像とは違う動きをしたときに暴走だと判断されるもの。心も身体も暴走する。人の理解を大きく上回ったり、下回ったりする。どちらも振り幅が大きい。それを考慮していては数値化など意味がなくなる。だから、平均値や標準値を人の能力として捉えるしかない。

 

 心。身体。誰にもその力は把握出来ないもの。数値の変化に一番驚くのは誰。それは自分。出来るとされていたものが出来ない。出来ないとされていたものが出来る。数値化しないから思いがけない力を発揮する。数値化すると自分の限界まで制限されるもの。


 道具としての性能。人としての性能。利里がジャナンになる為に必要な健康状態であるのかを確かめる為の検査がクリプジオン本部のニヴェーラ解析室で行われることになった。裸になって穢れで満たされたラクササの毛細血管に浸けられて身体中のあらゆるデータを測定する予定であったが、利里はやっぱり駄々をこねた。

「なんでわたしが男の人のいる前で裸にならなきゃいけないのよ。男の人はここから追い出してよ。男の人に裸を見せられるはずがないじゃない。」

 佐々木ケイコと葉月ナミは仕方なく男性職員をすべて部屋から出て行くように指示をした。はっきりと言っておくわ。利里は男の前で生まれたままの姿を見られるのを恥ずかしいと感じているわけではない。利里の喉の下から下腹部まで大きな爪痕が残っている。それを人に見られたくなかったのよ。この傷は数年前に狼につけられた傷。愛犬を野生の狼から守る為に楯になったときにつけられたもの。この時代には動物の命を助けることなど美徳にはならない。飼い犬をかばって傷をつけられたなんてバカだと思われるだけ。だから検査や解析の為に裸にさせられるときはケイコと葉月だけがよい。


 すぐに検査の結果は出た。身体面ではなにも問題はないわ。ただ、心に若干の不具合があるようだ。利里は別れた両親と再会したいという念、自己実現の念が強すぎると解析されたの。その念と希望ばかりを追っている。常に夢を見ているような脳の造りなのだと判断されたわ。欲と希望に振り回される不安定な精神の持ち主。それは、ジャナンスーツを身に纏うには欠点ではないが、兵隊としては欠点であるとも言えたわ。


 しかし、葉月はその値に非常に強い興味を抱いた。

「こんなに欲と希望の強いサトバは初めて見るかもしれない。」

 随分と真剣な顔をしてデータを見つめた。そして確信した。イエロースーツは大きく変化する。強化される。利里が纏っている間も成長するし、そうでなくなったとしても利里はイエロースーツを成長させるだろう。葉月は何年も先の目標を見据えているから、目の前の出来事に一喜一憂することなど滅多にはないの。ただ、目の前に優秀なみなもとが現れたことと、イエロースーツが彼女の想像を超えるくらい成長するかもしれないと思うと蒼い瞳を輝かせて微笑まずにはいられないわ。


 蒼い髪の毛をかき上げる仕草は本当に美しい。蒼い女に惹きつけられる男は多かったわ。兵隊達の中にも彼女の笑顔を見る為に命を懸けているものも多かった。葉月を満足させる為に軍隊に所属する。もちろん彼等はクリプジオンの掲げる理念に賛同している。それは理念が素晴らしいからではない。こんなに美しい女が掲げる思想に間違いなどないと信じているだけなの。

 ただ、蒼い女に焦がれるものがいる一方、彼女を怖れているものもたくさんいたわ。軍人たちが目を背けたくなるような凄惨な光景を見て微笑む。軍人が死んでいくのをつまらなさそうに睨む。

 愛されて、怖れられていたから彼女に逆らうものなど存在しないの。蒼い瞳の少女の息子である鈴木ダイスケも彼女を母とは認識していなくても、彼女を充分に想っていたわ。


 試験の結果。こどもの嫌いなもの。期待するもの。

 身体と心の検査が終わったら、ジャナンスーツを着用しての実践試験が行われるが、利里は非常に優秀な結果を残した。佐々木ケイコはジャナンの状態管理の一切を任されている。そのケイコが驚くくらい利里はジャナンイエローを巧みに操った。ケイコは葉月が唯一信頼している優秀な部下。

 ケイコはジャナンと「もの」に魅せられてしまった女である。十六歳という若さでアメリカの工学科の大学を卒業してクリプジオンに入所すると、ずっとジャナンスーツと「もの」の研究に没頭した。ジャナンスーツが成長、強化することが彼女の生きがいであり、愉悦なの。その為には、生贄を捧げるという怖ろしい判断を下すこともあったわ。人類の平和よりもジャナンスーツに関する知識を優先する変質者とも言えた。


 葉月は利里をイエロージャナンのみなもととして正式に認めた。精神面で多少の欠点があっても構わない。もしものときには生贄になって貰っても構わないのだからね。

 

 仲間になるもの。生贄になるもの。犠牲になるもの。利里は他のジャナンのみなもとを紹介して貰う為に所長室に招かれた。そこにいたのはジャナンレッドである神谷翔。ジャナンシルバーである白木正好。シルバースーツは主にジャナンスーツの研究や解析の材料として扱われている為、準戦闘員という位置づけなのだって。利里はふたりのことを知っている。ついこの間までサナランで共に生活をしていたのだから。他にジャナンブラックがいるというが、今日はここには現れないみたい。

 

 こどもがサナランから離れて生活するのには様々なわけがあることは知っていた。具体的にはなにに使われるのか知らなかったけど。利里は多くのみなもとはクレイシアやイーペルの性能や効果を確かめる為の犠牲だと思い込んでいた。ジャナンの搭乗者としてクリプジオンに誘われることはごく少数なのだと知っていた。  


 利里もジャナンとなるからにはサナランを出て、クリプジオンが用意するマンションに住むように指示された。ジャナンのみなもとは集団生活に向かないのだという。利里は珍しく黙っておとなの指示に従った。覚悟していたもの。サナランでの幸せな人間関係はもう捨てなくてはならないということを。


 自己実現の欲求。利里は自己実現の念が他人よりずっと強いということを自覚していた。欲求が強すぎることも分かっていた。そんなこどもはおとなに可愛がって貰えない。それを知っていたけど、利里はおとなに従順な態度はとらなかった。あたしと一緒でおとなが嫌いだったのね。おとなに嫌われることに無頓着だった。嫌われたいとすら思っていた。興味を持って貰いたくない。構わないで欲しい。おとなはバカだと思い込んでいた。損得でしかものを考えられない乾いた脳しか持っていない。

 そう。利里は愚かなものが嫌いなの。おとな。おとなの顔色ばかりきにするこども。男に媚を売る女。そんな人が嫌いだから、学校でもサナランでも浮いていた。人に好かれようとも思わない。友達とか仲間とか下らない。自分の立てた目標を成就することだけが仕事なの。そのことに役立たない人は邪魔。目標とは違うことを強要する人は死ねばいい。


 ただ、利里は男というものに興味がなかったわけではない。利里が強いと感じるものはみんな男だ。黒色の少年も神谷啓も。精神的に熟した男に関心を持つ。強い男とはまっすぐな心を持ち、常に前向きで行動的である。利里が演じている人そのものなのよ。


 度胸も能力もないくせに口だけは達者で、自分はまっすぐで前向きで行動的だと語る男だって少なくない。それは男の自尊心なのであろうが、そんな幼い男達を利里は嫌っていたわ。男に憧れが強い分、下らない男は一番疎ましい存在になるのよ。初めて言葉を交わしたジャナンシルバーのみなもとである白木正好は利里の理想に近かったよう。彼には憧れを感じたのね。とても強そうな男だったから。どこが強そうで、どんなところに惹かれのかって。それはあたしにもよく分からない。女が男に憧れを感じることにたいした理屈はないわ。

 

 そして、男を嫌うにもたいした理由はない。控えめでおとなしい神谷翔には愚かしさを感じる。せめて、人前では明るく振る舞うことが出来ないのか。利里だって本音を隠して人に同調するくらいはする。そのくらいの努力すら出来ない男には興味がない。成長したいという願望を持たぬものはつまらない。影が異様に黒い翔の第一印象は最悪だったわ。それに利里は人を第一印象だけで人を評価する。翔のことは大嫌いだった。


 翔の瞳に映る利里。翔も利里に強い興味や関心を抱いていた。利里は自分に似ていると思った。人と接触するのが厭わしいのだろう。人に好かれることに関心がないのだろう。


 目的というものを持っているから意地を張って生きているのだろう。

 あの女はなにを目的としているのだろう。翔は「もの」を倒すことで、おとなに近づいてやがては父のようになりたいと願っている。翔の目には女は充分に前向きである様に見えた。利里に対してそんな印象を持つものはとても少ない。












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