1‐7

 既に陽は落ちて、空も暗くなりはじめたころ。


 サンドラに言われた買い物を終えたルクスは、屋敷の方角から強い夕闇が広がっていることに気付いて、街道を走っていた。




「……燃えている……」




 嫌な記憶が蘇る。


 ルクスが生まれたところは、少年にとって決して幸福な場所ではなかった。


 それでも、炎に巻かれてそれを全て失ってしまった辛さは、今でも胸の中に残り続けている。


 あの日、あの掴んでいた手を離してから、結局少女と巡り合うことはなかったのだから。




 息を切らせて、屋敷までもう少しと言うところまで辿り付くと、呆然としたまま一塊になっている集団を見つけて、そちらに駆け寄った。




「サンドラさん!」


「ルクスかい!」




 どうやら屋敷から逃げだしてきた使用人達のようで、男女合わせて十名程度。加えてライナーが連れてきた兵士達も、数人が付き添っている。


 彼等は皆一様にあちこちに傷や焦げ跡を作り、痛々しい有り様だった。




「何があったんですか?」


「あたしにもわからないよ。急に屋敷が炎に巻かれて、この有様だ。でも、多分襲ってきたのは亜人種だと思う」


「……亜人……」




 人に似ていながら、そうではない者達の総称だった。


 エルフを初めとする、人間と同じ姿形をしながら何かが決定的に違う者達。それらに対してつけられた一方的な名前、それが亜人。


 屋敷の地下にあるあの黒い剣の少女も、獣人と呼ばれる亜人種に分類される。




「最近こういう事件が多いって話は聞いてたのに……。旦那様もろくに兵士も雇わないで危険なことをするから!」


 サンドラはそう掃き捨てるが、屋敷には少なくともライナーが連れてきた兵士が二十名も居たのだ。普通に亜人種の賊が攻めてきただけならば、返り討ちにすることだって不可能ではないはずだった。


 そこまで思案して、ルクスはふと、ここにいない人物達のことが気になった。




「……エレナさんは……?」


 ヤルマとライナーは、少なくとも今ルクスが気にすることではない。向こうにも兵士は残っているだろうし、応戦している可能性だった充分にあるからだ。


 問題は、エレナだった。彼女が向こうにいる理由は何も思いつかない。ただ唯一の、最悪の可能性を除いては。




「……さあ。あたし達は逃げるので精一杯で……。エレナも、途中で逸れてしまったよ」


「……そんな……!」


「あんたの所為よ!」




 そんな叫び声が、お互いに庇いあっている一団から、ルクスの方へに浴びせられた。


 振り向くと同時に飛んできた木の枝が、ルクスの額を討つ。




「こら、あんた!」


「止めないで、サンドラさん! 亜人とかって、こいつみたいな奴の仲間ってことでしょう! きっとこいつが呼んだに違いない!」




 そうしたのは、ルクスの同僚のメイドだった。服は擦り切れて、所々が焦げている。顔も頬の辺りが煤で汚れていて、どれほどの恐怖が彼女を襲ったのかは想像に難くない。


 そして何よりも、彼女はエレナの友人だった。ルクスは挨拶を交わした程度の中でしかなかったが、二人はよく一緒に居たことを覚えている。




「あんたが中に入り込んで、あいつらに情報を流したんでしょう! 人間を恨んで、殺したいから! あんたの所為でエレナは……!」




 男の使用人が、彼女を庇うように遠くへ連れて行く。


 しかし、彼の目は決してルクスに対して同情的なものではなかった。むしろ、これ以上の混乱を振り撒く前にここから去ってくれと、言葉よりも視線が雄弁に語っている。




「……もしそうだとしても、あんたを採ったのはあたしさ」


「……混乱しているだけだと思います」




 もし、ルクスの所為だとしたらここに戻ってくること自体がありえない。彼女もそれはわかっているのだろうが、感情を抑えることができなかったのだろう。


 屋敷の方を見ると、今もまだ炎が燃えている。


 それはあの日を思い起こさせ、ルクスの心を疼かせる。




「……ルクス?」




 サンドラが心配そうにルクスの顔を見る。


 誰もが遠巻きにルクスに異質なものを見る目を向けるなか、サンドラだけは傍に立っていてくれた。或いは彼女がいなければ、もっと酷い罵倒や暴力を受けていたかも知れない。


 炎の中に戻るのは、恐ろしい。


 肌が焼ける熱と痛み、炎と煙に追い立てられる苦しさ。肺の中まで侵される苦しみは、忘れることができない。




「まだ生き残っている人がいるかも知れない」




 心臓の辺りを抑える。


 動悸が激しくなり、何かを訴えているようだった。




「あんた、何考えて……」


「サンドラさん、ごめんなさい。僕、行きます」




 幼い自分を痛めつけたその恐怖を踏み躙り、ルクスは走る。


 その本当の理由は、ルクス自身にもわからない。


 エレナが生きている可能性は、決して高くはない。ライナーやヤルマを助ける義理もありはしない。


 ただ、何かが呼んでいるような、そんな予感があった。


 その声のようなものに導かれるように、ルクスは気が付けば駆け出していた。




 ▽




 ルクスが屋敷に辿り付くと、遠目から見た通りそこは炎に包まれ、最早焼け落ちる寸前と言った有り様だった。


 常に庭師が手入れしていた美しい庭園は見る影もなく踏み荒らされ、逃げ遅れた使用人や兵士達の死体が幾つか転がっている。




 ルクスは躊躇うことなく炎の中に飛び込み、倒れている家具や崩れた瓦礫を乗り越えて中を進んでいく。


 煙が視界を塞ぎ、炎が目の前に溢れて進行方向を見えなくさせる。


 その中でも、未だに屋敷の中には叫び声と剣撃の音が響いていた。襲撃者の数は不明だが、相当な人数がここに入り込んでいるようだった。




 できるだけ彼等との戦いを避けて、向かった先は台所だった。


 食卓を抜け、元々は数人分の食事を纏めて作るための広々とした空間に出る。


 そこに、エレナはいた。食器棚に身を預けるようにして、目を閉じている。




「エレナさん!」




 急いで近付いて、揺り動かす。僅かながら反応があり、どうやら生きているようだった。




「……ん」




 呻くような声が薄い唇から漏れて、瞼が震える。


 ゆっくりと開いた彼女の目が、ルクスの彩色の瞳を見た。




「……ルクス、さん?」


「そうです。立てますか?」




 余計な言葉を交わしている時間はない。


 すぐにエレナを助け起こして、肩を貸して台所出ていく。




「こっちにもいるぞ! 屋敷の者だ、剣のありかを聞き出せ!」




 その声と共に、炎の向こうに人影が見える。


 今しがた自分が入ってきた入り口は、どうやら塞がれているようだった。


 急いで踵を返し、ルクスは屋敷の奥、炎の中へと飛び込んでいく。




「ルクスさん、あいつら……倒せないんですか?」


「倒せません!」




 エレナの言いたいことは理解できる。


 人造兵とは、魔王戦役に際して人間が生み出した、戦うための人工生命体だ。


 結果的にそれらは人間の敵に回ることになったが、それぞれが高い戦闘能力を持っていたと、そう伝えられている。


 その事実に一切の誤りはないが、それはルクスよりも前の世代の話だ。




「戦えません。僕は、人造兵ですけど、そう言う力は持っていないんです」


「……それって……!」




 エレナは、察しがよかった。


 そして恐らく口を噤んだのは、直前までの自分の言葉の意味するところを理解して、恥じたのだろう。




「出来そこないの、戦えない人造兵。失敗作なんです、僕は」




 瞳色が普通と違うだけの、無力な存在。


 それが、ルクス・ソル・レクスと言う少年だ。


 一瞬緩みかけたエレナの手を、更に強く握る。


 今度はもう、二度と手放さないように。


 確かにルクスには特別な力はない。今の少年は、英雄には程遠い存在だ。




「でも、護ります」




 そう宣言して、炎の中を駆け抜ける。




「こっちだ!」


 ルクス達が怪しいと気付いたのか、次々と人影がやってきては退路を塞いでいく。


 炎に包まれた彼等の姿をよく見ることはできなかったが、確かに人間の姿をしながら、人間とは違う特徴を持っている、亜人達だった。




「こっちも駄目か!」




 人の気配を感じて踵を返すが、その先は建物の壁が崩れて道が塞がれていた。




「ルクスさん……!」


 隣でエレナが不安そうな声を上げる。




「……まだ、大丈夫です。こっちに!」


「でも!」


「大丈夫!」




 自分を安心させるように、そう叫ぶ。


 そして、炎の中を突っ切るように駆けた先は、この屋敷の中でも一際目立たないところにある地下への階段だった。


 そこは、本来ならば今日の商談で訪れていた場所。ここに長く務める使用人達ならば知っているが、始めてきた人が見つけるのは至難の業だった。




 幸か不幸か、柱が倒れて道を塞ぐ。


 これでしばらくは敵がやってくることはないだろう。




「こっちには行き止まりですよ!」


「何とかして見せます……してもらいます!」




 例えそれに代償が必要だったとしても。


 ルクスは躊躇わない。




「女の子を助けるのは、英雄の役目ですから!」




 自分に言い聞かせるように、もう二度とあんなことが起こらないようにと祈るように、ルクスはそう叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る