1‐3

  ゴードン家の屋敷とミリオーラを繋ぐ街道から僅かに外れたところに、『マルザの森』と名付けられた場所があった。




 例え王国による人間の支配が強まっていても、まだまだ国内の領土ですら未開の地は多い。数多く残された森や洞窟などはその最もたる場所で、中では凶暴な魔物達の繁殖なども問題視されていた。


 このマルザの森も、魔物が急増しているという理由から、現在は深いところへの立ち入りが推奨されていない場所の一つだ。




 森の入り口付近でルクスはまず、今は使われていない山小屋に入り込む。入り口の扉は既に壊されているので、容易く侵入することができた。




 そこの床板を一枚剥がすと、掘られた土の中に、泥と血が付いた軽装鎧と、剣が隠してある。


 手早くそれを身に着けて、同じように隠してある服に着替える。


 そうしてから森の奥へとルクスは入り込んでいった。




 マルザの森は背の高い木々によって空が覆われ、昼間だというのにすぐに薄暗くなってくる。均してある道沿を逸れれば、すぐに道に迷ってしまうことだろう。




 しばらく軽快に進んでいたルクスは、異音を聞きつけてすぐに動きを止めて、脇道へと逸れていく。


 深い茂みの中に身を隠して息を潜めていると、複数の乱れた足音が進行方向からどんどんと大きくなってきた。




「……来た」




 小声でそう呟いた。


 歩いてきたのは緑色の肌を持ち、ボロ布を見に纏った人間の子供ぐらいの大きさの生き物だった。


 前傾気味に二足歩行するその怪物達の名はゴブリン。ここより遥か南にある魔族の大陸に幅広く分布する魔物の一種だった。




 毛のない頭に、大きな耳。その五匹の群れの中央には一際体格が大きい、頭に角の生えている個体も居て、それはぼろぼろの鎧を着て手には刃物を握っていた。




「……五匹か」




 ゴブリンは凶暴ではあるが、決して危険すぎる魔物ではない。知能はあまり高くなく、頭に血が昇りやすい割には臆病で、自分達よりも数の多い相手には決して挑みかかろうとしない習性も持っているからだ。


 だが、それはあくまでも多勢で挑んだ場合の話。知能が低いなりに群れでの連携を取ろうとするゴブリン達に対して一人で挑むのは、駆け出しの戦士としては非常に危険が大きい行為とされている。




「英雄になるんだ。これぐらいは!」




 しかし、ルクスは普通の人間とは違う。


 英雄になるという大望を胸に抱き、多少の無茶でもやって見せようという無鉄砲さを持っていた。


 茂みの中を動いて相手の背後に回り、腰に差した剣に手を掛ける。


 草の中を飛び出すのと同時に剣を抜いて、一気に一番近くにいたゴブリンの一匹の背中の心臓部分を突き刺した。




「ぶごっ」と、鳴き声と共に血が口から漏れる音を放ち、その一匹は紫色の血を噴き出しながら絶命する。


 ルクスの奇襲に気付いた残りの四匹が、即座に振り向いて状況を確認する。中でも一番大型のリーダーは手に持った包丁のような刃物を振り上げて、相手がルクス一人であることを確認してから、威嚇の声を上げる。




 それに呼応した残りの三匹が、手に持った棍棒を振り上げてルクスに向かって襲い掛かる。


 ルクスは即座に剣を引き抜いて、三匹を迎撃。


 振り下ろされた木製の棍棒を避け、もう一撃を受け止める。そのまま正面の一匹に蹴りを入れて、怯んだ隙に三匹目に向けて白刃を向けた。




「思ったより、早い……!」




 三匹目はルクスの剣撃を避けて見せた。


 空振ったそこに、リーダーの刃物が襲い掛かる。




「つっ……!」


 慌てて身体を地面に投げ出してそれを回避。肩口を掠った刃物から、ルクスの血が滴る。




「僕はまだ未熟……だけど!」




 相手が怪我を負ったことで、ゴブリンの一匹、恐らくその中で最も若い個体が先走る。


 陣形を組むよりも先に、ルクスに向けて駆け寄っていた。


 ルクスは即座に起き上がり、それを迎撃する。棍棒を剣で弾き、相手がたたらを踏んだところに脳天に一撃を振り下ろす。




 頭を割られて、その一匹は動かなくなった。


 一人の人間に、二匹のゴブリンがやられる。その時点で、数においては有利であったゴブリンの闘争心は揺らぎ始めていた。


 彼等は決して強い群れではない。自分達よりも強い相手と戦い撃破してきたことなどはないのだろう。倒した相手の装備を身に着ける習性を持つゴブリン達にしては、装備がみすぼらしすぎる。


 唸り声で威嚇しながら、リーダーが一歩下がる。




 それがルクスにとっては好機であることを知らせてくれた。


 一挙に踏み込み、前衛に立つ二匹の胴を絶段。その痛みに転げまわり、彼等は醜い声を上げる。


 リーダーは逃げられないと踏んで、ルクスに対して刃物を構えた。




「ろくに戦った経験がないのなら!」




 ルクスが剣を振り下ろす方が早かった。


 ゴブリンの刃物を擦り抜けて、その肩口を心臓部まで一気に切り裂く。


 紫色の返り血が噴き出して、大きな悲鳴を上げてリーダーは崩れ落ちていった。




「……はー……」




 周囲には倒れたゴブリンの死体が五つ。


 改めて確信しても、血の海に倒れたそれらはもう動く気配はない。胴体を斬られた二匹はまだ生きているが、虫の息で僅かに手足を動かしているだけだ。




「……ごめんな」




 謝罪の言葉を口にして、残りに止めを刺す。それが一撃で楽にしてやれなかったことに対してなのか、それとも命を奪うことについてなのかは、言ったルクス自身ですら理解はしていなかった。




「一先ずこれで討伐完了、と」




 ゴブリン達から装備品を剥ぎ取る。とはいえ殆ど裸同然の彼等から取れたのは、刃物と棍棒だけだったが。


 それらを纏めて鞄に入れて、ルクスは立ち上がろうとして、急激に動きを止める。


 道の向こう側から、別の声が聞こえてきたからだった。喋っている内容は人間の言葉のようで、魔物の類ではない。


 鎧を鳴らす音と共にやってきたのは、三人組の人間達だった。




「む。ゴブリンの死体……。少年、これは君が一人で?」




 先頭を歩いているのは、ブロンドに短髪の、生真面目そうな印象を受ける男だった。彼はルクスを見て、恐らくは女だと思ったのだろう、努めて柔らかな口調で声を掛けてくる。




「……はい、そうですけど」


「ふむ……。我々はギルドの任務としてこの森を調査しに来たのだが、君も何処かのギルドの所属なのだろうか?」


「いえ、違います」


「ふむ、では討伐の報酬は何処から得るつもりなのだ? よかったら我々のギルドの法で一緒に……」




 男が喋り、ルクスが答えるよりも早く、横にいた一人が何やら小声で耳打ちをする。


 彼はそれを聞いて驚いたように目を見開いてから、改めてルクスの顔を見て、驚いたような表情を見せる。




「うむ……。君は、普通の人間とは少し違うようだな」




 その言葉に、小さく身体が震えた。


 男の目は、明らかに他とは違う光彩を持つ、ルクスの瞳を覗き込んでいる。そうなっては、今更俯いたところで意味はないだろう。




「人造兵と言うやつだろう。実際に見るのは初めてだが」




 男の態度からして、その発言自体にルクスを貶めるつもりはなかったのだろう。しかし、彼の言った『人造兵』と言う言葉の意味と、それを耳にした他の者達がどういう反応をするかは、また別の話だった。


 両脇に立つ二人が、明らかに好奇の目でルクスを見る。




「ならば残念だったな。君がどれだけ頑張ろうと、ギルドから報酬が出ることはないだろう。どうしてそんなことをしている?」




 そう尋ねてから、男はルクスが集めていたゴブリンの装備に気付いたらしい。




「ふむ……。なるほど! そうやってゴブリン共の装備品を売って金にするというわけか。だが、それは余りにも惨めではないか?」




 悪意はないのだろうが、少しばかりルクスの事情を無視したような言葉が、その心を抉っていく。


 しかし、彼の言葉は本当のことで、ルクスはそれに対して反論する術を持たない。




「なかなかに苦労するものだな、人造兵と言うのは」


 言いながら、横の二人の顔を見て、視線で指すと、二人は剣を抜いてゴブリン達の首を切って袋の中へと入れていく。




「すまないがこいつらの死体は頂いていくぞ。我々も仕事なのでな」


「……はい」


「大変だろうが、強く生きてくれよ、人造兵。ゴブリンの死体などは持って帰る必要はあるか?」


「……大丈夫です」




 震える身体を抑えながら、ルクスはその場から早足で去っていく。


 彼自身は恐らく真面目で、ルクスに対して蔑むような感情があったわけではないのだろうが、その両側にいた男達は別だった。




「人造兵のお嬢さんじゃ、金を稼ぐのも大変だろ? 幾らか恵んでやろうか?」


「よせよせ、逆恨みされて殺されるぞ。あの時みたいに」




 背後からは、男達の嘲笑を含んだ話し声が、森を出てもずっと聞こえているような気がしていた。

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