1‐2

「だから、僕は英雄に憧れてるんです!」




 少年の話は、それで一区切りついた。


 狭苦しい地下の倉庫。辺りには幾つもの武器や防具を初めとして、幾つもの物品が丁寧にしまわれている。


 そう語る少年の名はルクス・ソル・レクス。蒼穹を思わせる水色の髪に、よく覗き込むとわかる不思議な光彩の目を持つ少年だった。




「それで、英雄に憧れたお前は今、女装趣味に目覚めたと」


「趣味じゃありません! 服がこれしかないんだから仕方ないじゃないですか!」




 少年は今、フリルの付いたエプロンと、紺色のワンピース、頭にはしっかりとプリムを付けた完璧なメイドの格好をしている。ルクスが暮らすアルテウル王国の文化に照らし合わせて、間違っても年頃の男がする格好ではない。




「似合ってるとは思うぞ」


「嬉しくないです」




 拗ねた口調で少年が返す。言葉通り、一見すると少女にしか見えない少年にはよく似合っていた。実際に、男の格好をしていても初見で女の子に間違われることが多い。




「いや、しかしお前がここに来てもう既に一ヶ月ぐらい経つのだろう? そろそろ男物の服を用意してもらえばいいものを」


「……転がり込んだ分際で、そんな贅沢は言えませんよ」


「はははっ、英雄たるもの時には図々しさと豪気さも必要だぞ?」




 床を箒で掃きながら、少年はジト目で今自分が会話している人物のところを見る。


 部屋の最奥、そこには明らかに他とは一線を画する一本の剣が鎮座していた。




 光の筒のような柱の中に、幾つもの鎖で縛りつけるように、その剣は保管されている。


 黒い刀身を持つその剣は、封印されるような形でそこに在った。


 そしてその少し前方に、台座にちょこんと腰かける一人の少女がいる。彼女が、今しがたルクスと会話をしていた人物だった。




 褐色の肌に、長い銀色の髪。紅色の瞳は宝石のように輝き、幼いながらもすらりと伸びた手足はまるで人形のような、神秘的な造形美を感じさせる。


 見た目の年齢はルクスよりも更に下に見えるが、何処か心を惑わすような不思議な色香を持つ、そんな少女だった。




 少女にはもう二つ、特徴がある。




 一つはその腰部分から生える、髪と同じ銀色の尻尾と、髪の毛と混ざる三角の獣耳だった。そう言った特徴を持つ者達は獣人と呼ばれ、決して珍しいものではない。




 もう一つ、少女の姿は半透明に透けている。両手を広げてもなにをしても、その背後にある黒い剣ははっきりとルクスの目に移っていた。




「英雄になりたい男が、こんなところで女装して掃除とは、幼いころに抱いた志は何処に消えたのやら」


「初めて会った時に言った通りです。お金がなくちゃ、何もできないんですから」


「現代の英雄と言うのは世知辛いものだなぁ……」




 しみじみと、少女はそう語る。




「とはいえだ、私は貴様には感謝しているのだぞ? この剣と共に封印されて幾星霜。ついぞそのまま魂の終わりを覚悟していたが、こうして喋れる相手が現れるとはな」




 少女の話を半分聞きながら、ルクスは箒をはたきに持ち替えて、倉庫の中の埃を払っていた。


「僕以外とは、ずっと喋ってなかったんですか?」


「それはそうだろう。そもそも貴様以外に、私の姿が見える相手に出会ったことがないのだからな」


「……まぁ、暇つぶしの手伝いでもできるなら、よかったですけど」


「初めて姿を現した時の対応だけでしばらくは笑って過ごせたがな。まさか腰を抜かすとは」


「……そりゃ、突然出てこられたら驚くでしょう」




 その記憶に関しては、思い出したくない。


 数週間前、この地下の掃除を頼まれてやってきたルクスは、鎮座する半透明の少女を目にして、気が動転して彼女の言う通り腰を抜かしてしまった。




「……どうして、剣に封じられているんですか?」


「さあ?」


「さあって……」




 軽い様子で少女が答える。




「記憶がどうにも曖昧でな……。一応、私が圧倒的に高貴で素晴らしく、偉大な存在であることは覚えているのだが……」




 果たしてそれが戯言なのかそれとも本当のことなのかはわからないが、ルクスは特に返事もせずにてきぱきと仕事を終わらせる。




「……それじゃあ、僕はもう行きますけど」




 彼女を見ることはルクスにしかできない。つまりはルクスがここを離れれば、薄暗い地下室にまた一人きりになってしまうということだ。


 倉庫の掃除は毎日あるものではないので、明日も会いに来ることはできない。




「別に構わん。次に来る時には、英雄らしいエピソードの一つでも持ってこい」


「数日でできたら苦労しませんよ……」




 少女は特に気にしてないような口ぶりでそう言って、ルクスを送り出す。


「また」と手を振って、ルクスは倉庫を後にする。


 重苦しい扉が閉まる音がして、階段を掛けあげる軽快な足音が少女の元にまで響く。


 それを聞きながら少女は、頬の辺りに手を当てて、ルクスが出て行った場所をじっと見つめていた。




「まったく、お人好しめ」




 ▽




 アルテウル王国の東にある街、ミリオーラ。大都市であるツィアーナから一本の街道で結ばれたその街は、東海岸側への交易拠点となる要所でもあった。


 そこから少しだけ離れたところに、王国からミリオーラの管理を任されている貴族、『ゴードン』家の屋敷がある。




 ルクスはそこの女中……ではなく、使用人見習いと言うわけであった。




「ルクスさん、今日のお仕事はお終いですか?」




 屋敷の裏口から出て行こうとするルクスにそう声を掛けてきたのは、同僚であるエレナだった。


 栗色の髪をした可愛らしい女性で、この屋敷の使用人としてはルクスの一年ほど先輩にあたる。人当たりもよく、ルクスに色々と教えてくれたのも彼女だった。




「はい。今日は地下室の掃除だけでいいって言われてましたので」




 時刻はまだ正午を回ったところだった。




「じゃあ今日はこれから何処かにお出かけですか?」


「一応、そのつもりです」


「ミリオーラに?」


「はい。買い出しとかあればついでにやってきますけど」


「……いつもの予定ですよね?」




 含み笑いと共に、エレナが一歩近付いて小声で言った。


 ふわりとただ寄ってくるいい香りに、ルクスは途端に落ち着かなくなる。それを抜きにしても、彼女の立派に育った胸部は、年頃の少年であるルクスにとっては毒になるというのに。




「え、ああ、はい……まぁ。あの、このことは皆さんには……」


「大丈夫ですよ、秘密にしておいてあげますから」




 にっこりと笑って、エレナはルクスに先んじて承諾する。


 ルクスがミリオーラに出かけるということは、特有のある『用事』があることを意味している。




「サンドラさんに知られたら、怒られちゃいますもんね」




 片目を閉じて、エレナが言う。


 サンドラと言うのはこの屋敷に勤めているメイド達のまとめ役で、肝の座った人物で、仕事に関しては非常に厳しい。ルクスがこの一ヶ月で使用人として辛うじて使い物になっているのも、そのサンドラの指導があっての賜物だった。




「ええ、はい。心配してくれてるんでしょうけど」


「わかってますよ。男の子ですもんね」


「はい。男の子ですから」




 既にメイド服を脱いだルクスは、ズボンとシャツだけの動きやすい格好をしている。ここまでしてもまだ、ルクスを女の子の勘違いする人は多いのだから、困ったものだ。




「エレナ! 新人にいつまでも粉かけてんじゃないよ!」




 屋敷の奥からそんな声が響いてきた。


 大きな足音を鳴らしてやってきたのは、件の人物、サンドラだった。


 メイド服を着た恰幅のいい壮年女性で、顔には僅かだが皺が目立っている。手が濡れているところを見ると、台所での仕事を終えてきたところのようだった。




「掛けてませんよ。それに、ルクスさんは半分女の子ですから」


「全部男ですよ!」




 証拠を見せてやる、とは間違っても言えないが。




「サンドラさん、地下室の鍵、倉庫に戻しておきました」


「はいよ、ご苦労さん。今日は半休だろ? ミリオーラに行くのかい?」


「はい。何か買い物があれば……」




 先程エレナに言ったのと同じ質問を繰り返すと、サンドラは訝しむような目でルクスを数秒見つめてから、




「別にないよ。別に休みの日にあんたが何してようと勝手だけどね、危ないことだけはするんじゃないよ。あんたが何かやらかしたら、このゴードン家の家名にだって傷が付くんだから」


「は、はい! 承知してます! それじゃ、僕はこれで!」




 ぴしりと背筋を伸ばして返事をすると、ルクスは脱兎の如くその場から駆け出して逃亡した。あの言い分では、恐らくルクスがこれからやろうとしていることはばれているのだろう。

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