無題

木ノ下 朝陽

無題

待ちわびた満月の夜

そっと家を抜け出し

あの月よりもずっと綺麗なあの娘の元へ


今夜は彼女と逢う…と悟る度に

月は嫉妬で蒼褪める



日毎夜毎に姿と心を違え そのことを全く恥じもしないくせに

常に永遠の忠誠を要求し続ける

白っ剥げた 厚化粧の月よりも


いつだって薔薇の笑顔で迎えてくれるあの娘は

輝く太陽 地上の虹

両の瞳は一等星ふたつ分


これだけでも

あの高慢ちきで焼き餅やきの月なんか

もうどうだって構うかというもの




明かりは煌々と灯っているのに

妙に静まりかえった彼女の家の

いつもの裏木戸で

門付を装って合図の小夜曲


一曲歌っても

薔薇の笑顔は 星の瞳は まだ現れない



調弦をしながら二曲目の曲目を考えていると

近所に住まうらしき通行人に

軽く上着の裾を引かれた



「その家は、今は駄目だよ。

 歌うなら 弔いの歌を歌いな」


「それは、…知らぬこととは言え失礼をした。

 お気の毒に。何方が亡くなった?」


「それがさ、…ここんちの一人娘だよ。

 評判の別嬪、界隈きっての小町娘さ。勿体無い…。

 他所から聴いた話じゃ、…どうも流産だてぇ話さね。相手は判らねぇらしいが…」




………やられた……!!



出産と死とを共に司る月


奴は その力を使って

彼女と その胎内の子とを狙ったのだ



理由は恐らく

「きっとそちらの方が

 貴方に対して ずっと効果的だから」



不意に 耳のすぐ傍で

この上なく優雅で傲慢な


それと同時に

どこかひび割れたような響きを持つ その声が

そう言うのが聞こえた気がした




(この世に生まれ出る前に 母と共に召された我が子は

  男だったろうか それとも女の児…


  どのみち 今のままでは名乗り出る訳にもいかない)




思わず奥歯を噛み締め 遠い夜空を振り仰ぐと


白銀色の白粉で化粧を済ませたばかりの満月を

地上から精一杯に睨み付ける



ちょうど

漆黒のカーテンの向こうから顔を覗かせたばかりの

銀色の月は


今宵ばかりはやけにすずしい薄化粧で

全くの素知らぬ顔


中天で ただいつもの冷たい笑みを浮かべるだけ




もう二度と額突く事などしないと決めた

その白銀の面に背を向け



再び彼女の姿の現れることのない

懐かしいこの裏木戸の前で


彼女のために精一杯の弔歌を奏でる




…この一曲を歌い納めるまでは 決して泣く訳にはいかない


だから今 この頬を濡らすものは涙じゃない





〈了〉

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無題 木ノ下 朝陽 @IWAKI_Takeo

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