第9話 潔白を証明できるわけがない。

「ん……。はぁ、朝か……」


 カーテンの隙間から差し込んだ陽光に照らされ、俺はようやく目を覚ました。今日は休日とはいえ、流石に二度寝する気は起きない。

まぶたを擦りつつ起き上がろうとしたが、片方の手のひらに伝わってくる生暖かく柔らかい感触が心地よくて手を離せずにいた。寝起きのぼやけた視界には、義妹の玲華が頬を染めながらじっとこちらを見つめており……。


「あ、あのー……。おはようございます、兄さん」

「ああ、おはよ。昨日はよく眠れたか?」

「はい……。ええと、そろそろ手を離して欲しいのですが……」

「へ……?」


 言われて気がついたが、どうやら無意識のうちに玲華の胸に手を伸ばしていたようだ。慌てて手をどけて、ベッドの上で正座をして謝罪する。


「わ、悪い!わざとじゃないんだ」

「いえ、別に怒ってるわけじゃないので……」


 何故か玲華も俺と同じように正座をして、視線を逸らしつつも謝罪を受け入れてくれた。気まずい沈黙が流れる中、先に口を開いたのは玲華だった。


「あのっ、私朝ごはんの準備してきますね。兄さんはゆっくりしててください」

「お、おう。そんなに急がなくても大丈夫だぞ」

「いえ、今日は朝から用事があるので早めに準備したいんです。それでは失礼しますっ……」


 そう言うと玲華は足早に俺の部屋から出ていった。あれほど彼女に手を出さないと誓ったにもかかわらず、無意識下とはいえ痴漢じみた事をしてしまうなんて……。俺はしばらく反省してから、着替えを済ませてリビングへと向かった。


「お……今日も早いな。おはよう冬華」

「ん、おはよ。シスコンの変態兄貴」

「朝から辛辣なやつだな……」


 リビングでは冬華が席に着いてテレビを見ながら、朝食のトーストを齧っていた。普段は黒髪をふたつに結んで下げているのだが、今朝は髪をそのまま下ろしておりパジャマ姿も相まって可愛らしい。相変わらず辛辣だが、最近はこれが冬華なりの挨拶だとわかってきた。俺はコーヒーを煎れて、彼女と対角の席に座った。ゆっくりとテレビを眺めていると、キッチンから玲華が声を掛けてくる。


「兄さんは食パンと白米、どっちがいいですか?」

「んー、食パンがいいな」

「分かりましたっ。すぐに用意しますね」

「ああ。いつもありがとな、玲華」


 玲華は嬉しそうにキッチンから返事をしてくる。こうして朝食を用意してくれるのも、もう日常の風景になりつつあった。彼女たちが来てから賑やかな朝になったなと感慨に耽っていると、冬華は食パンを小さな口で齧りながら俺に話しかけてきた。


「で、なんで昨日はお姉と一緒に寝てたの?」

「ぶっ……!?」


 予想外の問いかけに、俺は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。なんとか堪えたが、そのせいでむせ返ってしまう。動揺を見せまいと、俺は一呼吸おいて言い訳を考えた。


「いやーなんのことだかさっぱり……」

「嘘ついても無駄だから。夜中にお姉が部屋から出たのだって分かってるし。もしお姉を無理矢理連れ込んだなら、あんたのこと警察に突き出すから」

「そ、そんなわけないだろ。妹相手にそんなことするかよ」

「ふーん。ま、素直なお姉に聞いたら分かる事だし、直接聞いて確かめるから」

「お、おい待てって……!」


 真相を確かめようと玲華のいるキッチンへ向かう冬華をなんとか引き止め、俺は足止めに奔走した。だが運命とは残酷なもので、なぜか玲華は慌てた様子でこちらにやってきてしまった。


「れ、玲華……?なんの用事だよ」

「あのっ、兄さんの部屋に枕置いてきちゃったので取りに入ってもいいですかね?」

「ばかやろ……ッ!なんでそれを今言うんだよ!?」

「へ……?あっ……」


 玲華は慌てて口を抑えたが、時すでに遅し。冬華は俺を蔑むような目で見つめると、ため息をついて俺たちをその場に座らせたのだった……。



「……で、クソ兄貴がお姉を無理矢理連れ込んだ訳じゃないのは分かったけど、なんで添い寝なんかしたの?二人揃ってバカなの?」

「返す言葉もないです。本当に面目ない……」

「わ、私がお願いしたんですってば!だから、兄さんをあんまり責めないでください……」

「まったく……。お姉もありえないよね。いい加減兄離れしろっての」


 俺たちは正座の状態で昨晩の経緯を説明し、なんとか俺が無理やり連れ込んだという疑惑は晴れた。しかし、冬華の腹の虫は治まらないようで叱責と追求はその後もしばらく続いた。


「……で、ヤッたの、ヤッてないの。どっちなの」

「はい……?」

「とぼけんなっ!だから……その、せ、せっ……したのか聞いてんの!言わせんな、ばか……」

「ふぇっ……!?」


 顔を赤くして声を荒げる冬華。玲華は口に手を当てたまま頬を染めて静止フリーズしてしまっている。俺もまさかこんなストレートな質問が飛んでくるとは思わなかったので、動揺してしまった。


「そ、そんなことするわけないだろ!?なあ玲華?」

「う、うん……!ほんとに、そういうことはまったく何も無かったですからっ!」

「ふーん……。お姉、もしかしてコイツに脅迫されてたりする?」

「脅迫なんかされてませんよっ!兄さんは私のお願いを聞いてくれただけなんです。信じてください!」


 玲華は今にも泣きそうな表情で冬華に訴えかける。俺に迷惑をかけまいと庇ってくれているようで心が痛い。だが、説得を聞いた冬華は少し考える素振りを見せた後、俺に向かって詰め寄ってきた。


「ほんとにお姉にお願いされただけ?それ以上のことは何もしてないの?」

「もちろんだ。天地神明に誓って襲ってないよ」

「ん……。そこまで言うなら、少しは信じるけどさ」


 冬華はそう言いながら腕を組んでジト目でこちらを見つめてくる。俺は内心ホッとしたものの、玲華に罪悪感を抱かせてしまったようで心苦しい。そんな俺を察してか、玲華は優しく微笑みかけてくる。


「兄さんが気に病むことはないですよ?元はと言えば、私がしつこくお願いしたせいですし……」

「それを断りきれなかったのは結局俺の甘さが招いたことだ。下心が少しだけ芽生えたのも事実だし、冬華に怒られても仕方ないさ」

「……てか、なんでお姉はそこまでしてこいつと寝たかったの。もしかして、好きとか……?」


 冬華は俺と玲華を交互に見ながら、そんなことを聞いてきた。当の玲華はというと、俺たちから目を逸らしてもじもじしながらも自分の言葉を伝える。


「うん……、好きです。本当は隠したかったけど、やっぱり無理でした。だから……冬華にも、応援して欲しいなーって……」

「っ……。まあ、そうだろうなって思ってた。で、あんたは付き合うって決めたの?」

「いや……。玲華には悪いが付き合えないよ。義理とはいえずっと兄妹だった訳だし、その関係は壊したくない」

「はぁ……。なーんだ、よかった……」


 冬華は俺の答えを聞いて、安心したように胸を撫で下ろした。


「なんで冬華が安心してんだよ」

「そ、それは……あんた達が付き合ったらあたしがここに居づらくなるじゃんか。別にお兄に彼女ができようが、あたしには1ミリも関係ないし……」

「そっか。俺は冬華に彼氏が出来たら喜ぶけどな」

「っ……!?ば、ばかじゃないの!?」


 俺の言葉になぜか顔を赤くして怒ると、冬華はぷいっとそっぽを向いてしまった。何か気に触るようなことを言ってしまったのだろうか。


「今は彼氏なんかより勉強と部活の方が大事だし……。お姉も、色恋にうつつ抜かして学年トップから転落しないよう気を付けてよね」

「はい……。気を付けます……」

「え、玲華ってそんな頭良かったのか……」


 昔から玲華の頭の良さは知っていたが、まさかあの進学校で学年1位だったなんて。普段家では忠犬っぽい立ち居振る舞いのためついつい忘れそうになるが、学校では相当優秀なのだろう。


「凄いな玲華。家事も勉強も頑張ってて偉いよ」

「ふぇ……。あ、ありがとうございます……」


 髪の毛が乱れないように優しく頭を撫でると、玲華は嬉しそうに目を細めた。まるで子犬のような仕草に、犬耳が生えているかのような幻覚を覚えてしまう。冬華はそんな俺たちを見て、呆れたようにため息をつく。


「はぁ……。イチャイチャするなら、あたしの見えないところでやってよね」

「す、すまん。ついな……」

「まったく……。ていうかお姉、用事はいいの?朝から友達と図書館に行くって話してたじゃん」

「あっ、そうでした!兄さん、ご飯の準備もろくに出来てなくてすみませんっ……」

「そんなこと気にすんなって。気を付けて行ってこいよ」

「はいっ!行ってきますね」


玲華は俺に向かって満面の笑みで返事をすると、小走りでリビングを出て行った。残されたのは俺と冬華だけになる。こうして二人っきりになると先日のこともあってか妙に気まずい……。

そんなことを考えつつ自室に戻ろうとすると、後ろから裾を引っ張られる感覚がした。振り返ると、そこには耳を赤くした冬華が立ちすくんでいた。


「どうかしたか?」

「えと……その、お願いがあってさ……」


 冬華はもじもじとしながら何か言いたげにしている。俺は黙って続きを待つことにした。しばらくすると意を決したように口を開く。


「……今日、暇だったりする?買い物行きたいから、車で送って欲しいんだけど……」

「なんだ、そのくらいならもちろんいいぞ」

「ん……。あと、服も買って欲しいなーって」

「服もか……?別にいいけど、あんまり高いのは買えないからな」

「そんなに高いのは頼まないって。じゃあ、準備するから待ってて。後でまた呼びに来るから」

「あ、ああ。分かったよ」


 そう言って快諾すると、冬華はそそくさと自室へと戻っていった。普段はあんなにツンケンしている彼女が一緒に買い物に行こうと提案してくるなんて、一体どういう風の吹き回しだろうか。まあ、こういう気まぐれなところが彼女らしいと言えばそうなのだが。


 冬華が準備を終えたようなので、俺は車に乗り込みエンジンをかけた。助手席に乗り込んだ彼女はシートベルトを締め、手鏡で前髪をチェックし始める。

 ふと彼女の服装を見ると、カジュアルなジャケットに白のトップス、デニムのショートパンツという出立ちだった。いつもの制服姿や部屋着とはまた違った印象で新鮮味を感じる。


「よし、おっけー……。って、なにじろじろ見てんの」

「え、あぁ……かわいい格好してんなと思って」

「っ……。そ、そう?ありがと……」


 素直に褒めると、冬華は照れたようにそっぽを向いて髪をくるくるといじり始めた。表情は見えないが、髪の間から覗く耳はほんのり赤く染まっているのが分かる。


「あ、あのさ……。あたし毎回外歩くと変な男に声掛けられて面倒くさいから、その……魔除けのために今日1日だけ、彼氏っぽく振舞ってよね」

「魔除け……?まあ、冬華がそうして欲しいなら別に構わないけど」

「じゃあ決まりでっ。たまにはかっこいいとこ見せてよね、彼氏くん」

「変な呼び方すんなって……。まったく、今日だけだぞ」


 冬華の要望に付き合うことを約束しつつ、目的地へと車を走らせたのであった。

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