第3話「導き手」

「桃華、SLOにログインしていたのかい?」


 パソコンの画面の向こうで、ちょっと興奮気味にお父さんが呟く。


「そうだけど……なんでわかったの?」


「布団の上にディサイファーが見えるからね。きっとプレイした後なんだろうなって」


「ちょっ、女の子の部屋を勝手に覗かないでよ!」


「別に覗き見てるわけじゃないさ。隙間から見えたんだから」


「う、それはそうかもだけど……」


「そういうのが嫌なら、背景設定くらい覚えないとだね、桃華」


 そう言いながら笑うのはお父さん――新島真之。

 私をSLOに導いた、張本人。




 それは、私が剣を握れなくなってから少し経ったある日だった。


『だったら、これをプレイしてみると言うのはどうだろう?』


 いつもの優しい笑顔で、お父さんがビデオ通話の向こうで見せて来たのは、剣や杖を持った人が怪物と戦う姿が描かれた、小さな箱。


『それは?』


『“ソウルライツオーダー”、略してSLO。僕が開発に携わったVRMMORPGゲームだよ』


『…………』


『そ、そんなに嫌そうな顔をしないでくれよ。これもちゃんと僕の仕事——研究の一環なんだ』


『そうなの?』


『そうとも。それに、こういうものには、桃華は絶対に関わらないだろうからね』


『……分かってるならなんで勧めるの』


『だからこそだよ。自分が絶対に関わらないだろうという思い込みが、自分の視界を狭くしていると思わないか?』


『う……』


 図星だ。


『いいかい桃華。今生きて、目の前に起こっていることが全てじゃない。それを知ることが必要だと、今の僕は思うんだ』


『目の前に起こっていること……』


『それに、SLOをたかがゲームだと舐めてもらっちゃ困るよ。なんたってあの世界は、本物だからね』


『どういうこと?』


『プレイしてみればわかるよ。たとえ桃華でも、本気で戦わないとあっという間にゲームオーバーになるだろうからね』


 そうして私は、SLOをプレイすることになった。




「それでどうだった、SLOは」


「なんでそんなに目を光らせてるの……」


「なんだかんだ、感想を聞いてなかったからね。それに自分が開発に携わったゲームの感想を直接聞けるというのは滅多にない機会だから。それで、どうだった? あの世界は?」


「剣を置いたお父さんが剣を使うゲームを作ってるなんて思わなかった」


「痛い指摘だなぁ……」


 頭を掻きながら苦笑いする。


 お父さんは新島の家に生まれて、昔は私のように剣の道を歩いていた。

 でもお父さんには剣の才がなく、高校を卒業する頃には剣を置いてしまったそうだ。


 直後、進路についておじいちゃんと大喧嘩して、半ば勘当同然で家を出たらしい。


 大学進学後、お父さんは脳科学の研究員になってとある研究所に所属した後に今のゲーム会社から誘いを受け、SLOを開発するに至ったそうだ。


 ちなみにお母さんとは今の会社で出会って、そのまま社内結婚したらしい。


 そうして私が生まれてから、一度だけおじいちゃんの住むこの家に戻ってきたことがあった。


 その時に私はおじいちゃんの振るう剣に魅せられて、剣の道を歩むことになった。


 今は私一人おじいちゃんの家に居候という形で、両親の住む実家から離れ、こうして定期的にビデオ通話で連絡を取っている。


 私のいるこの和室に似つかわしくないディサイファーだったり、それを動かすための超ハイスペックなパソコンだったりがあるのは、お父さんが送ってくるから。


「で、ちゃんとした感想は?」


「うーん……。色々な意味でリアルだったかな」


「色々な意味で、というのは?」


「吹く風とか、太陽の暖かさとか、森の薄暗さとか。現実世界と遜色ないなって感じがしたかな」


 初めてゲーム世界に行った時には、本当に驚かされた。


 視界一杯に広がる町並み。

 周囲から聞こえてくる喧騒。 

 頬を撫でる風の柔らかさ。

 ふと寄ったカフェテラスで飲んだ紅茶の甘苦さ。

 フィールドに出た時の土や草原の香り。


 すべてが、まるでホンモノ。

 現実世界と比べても何ら遜色のない、ゲームでありながらホンモノの世界。


 そんな風に感じた。


「面白いところに目をつけるね。他には?」


「他には……あっ」


「うん?」


「巨大なクマがモンスター食べてるところはちょっとグロテスクだった……」


「巨大なクマがモンスターを食べていた?」


「うん……」


「ちょっと待った、それってどこで」


「どこって……最初の町の近くにある森? 確か名前は……カーボンファーグリズリー」


「待った待った。確かにSLOは攻略難易度をかなり高めにしてあるけど、流石にカーボンファーグリズリーが第一層の、しかも最初の森に出現することはないよ」


 そういえば、エンも同じようなことを言ってたな。


「でも、確かにそういう名前の巨大なクマが出て、私たちは襲われた」


「どういうことなんだ……? バグかな……? えっと、それで……どうなったんだい?」


「結果的には、倒したけど」


「倒した⁉」


 画面の向こうでおかしな表情をする。


「まぁ、なんとかね……」


「いやいや……。カーボンファーグリズリーを、ゲーム初心者が倒すなんて、普通はあり得ないことなんだよ?」


「もちろん私一人の力じゃないよ。助けてくれた人がいたからなんとかって感じだった」


「助けてくれた人?」


「うん」


 エンの助けがなかったら、死という運命に抗うことはできなかっただろう。


「それって、どんな人なんだい?」


「人っていうか……小学生?」


「小学生?」


「うん。背丈は完全に、道場に通う子たちと同じくらい。でも、とんでもなく強かった」


「……おかしい」


「おかしいって、なにが?」


「SLOは年齢制限があって、十五歳以上じゃないとプレイできないようになっているんだ。ディサイファーのセーフティー機能で弾かれるようにしてある」


「そうなの?」


「だから小学生がSLOにいるなんて、絶対にありえない」


「は……?」


「なりすましか? いやでも、それはそれでおかしい。ディサイファーの機能で、ある程度容姿は弄れても、性別や体格をそんな過激に変えるなんて不可能なはずなのに……」


「…………」


 ブツブツと考え出してしまうお父さん。


「ゲームするのはいいけど、ちゃんと勉強はしてるの?」


 そんな様子を見かねたのか、向こうの画面の中で後ろを横切ったお母さんが、急に会話に入ってきた。


「ちゃんとしてるから大丈夫」


「そ。それと、送った小説はちゃんと読んだ?」


「あー……そっちはまだ……」


「えぇ。せっかく送ってあげたんだから、ちゃんと読みなさいよ?」


「分かってるってば」


「それから……」


 結局お母さんの介入で、結局話は途切れてしまった。


 エンは、いったい何者なんだろうか。


 出会った時から解消されない疑問が、さらに強くなったことを胸に感じながら。


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