#7 黒の紐パン

 その神話はアッシュにとっては身につまされる話だった。


「なあ魔女。海に墜死ついししたイカロスは蝋の翼の軟弱さを嘆いたのか? それとも焦がれた太陽を憎んだのか?」

「ふん。どうだろうな」


 魔女は鏡に映るアッシュの伽藍堂がらんどうな瞳を、まっすぐに見返した。


「ヴァンパイアであるソナタはどっちなのだ? 己の肉体を呪うか? 太陽を恨むか?」

「…………」


 返答に窮するアッシュ。

 すると見計らったようなタイミングで、警察に連絡を終えたらしいピエロ神父は礼拝堂に戻ってきた。


「ピエロ神父、警察のほうはどうだったんだ?」


 魔女の問いから逃れるようにアッシュは尋ねる。

 ピエロ神父はゆっくりと首を横に振った。


「『薄橙人のために警察は動かせない』の一点張りでした」


 ピエロ神父は胸を痛めたように十字架を握る。


「で、あろうな」


 魔女は想定内だと言わんばかりだ。


「それで変態神父、あやつが焼死する間際の様子はどうだったのだ? 最後に声を聴いたのは貴様だろう?」

「ええ。それがですね……わたしはタイツの声を聴いていないんですよ」

「む? どういうことなのだ?」

「幽かな物音は聞こえましたが……それだけです」


 苦々しくピエロ神父は証言する。


「始めはわたしに言いにくいことがあるのだと思っていたのですが、いつまでたってもタイツは黙って答えませんでした。するとほどなく懺悔室内に熱気を感じて不審に思ったわたしは懺悔室を急いで出ました。あとは皆さんの見ていたとおりです」


 当時の状況を思い起こしながらアッシュは質問を挟む。


「タイツちゃん側の扉を開けるときピエロ神父の手は無事だったのか? 火傷とかは?」

「幸いにもわたしは手袋をしていましたので……。興奮して汗ばんでいたのか不思議と熱さも感じませんでしたな」


 ピエロ神父はハエのように手をこすり合わせる。

 ともあれ。

 問題は鏡に書かれた謎の文字だ。


「これはタイツちゃんが死ぬ間際に遺したダイイングメッセージってことでいいのか」


 アッシュが独りごちていると、


「それは違います」


 と、後方から桃色の声は否定する。


「タイツは字が書けませんでした。盲目でしたから」


 顔色の悪いコスモナウトだった。


「そこのおっぱいピンクの言うとおり、この暗号は犯人が現場に残したものであろう」


 魔女は同意した。


「そして、おそらく『♯0000FF』というのはカラーコードなのだ」

「カラーコード?」

「ソナタも知っておるだろう。RGB値を十六進法で表記した文字列からなる符号のことなのだ。ちなみに『♯0000FF』というのは青色ブルーに該当するのだよ」


 魔女は不敵に口の端を歪めた。


「要するに、犯人は妾をお絵描きの魔女と知りながら挑戦状を叩きつけてきたというわけなのだ」

「なあ魔女。犯人はどうして『Ikaros』と『♯0000FF』という文字を現場に残したんだ?」

「さあ、ソナタもそれくらい自分で考えてみよ」


 魔女は含みのある嘲笑を浮かべる。


「……ひょっとして魔女にはメッセージの意味がわかっているのか?」

「まあな。妾にかかればこんな謎は朝飯前なのだ」


 自信満々の魔女にコスモナウトは不服そうに言う。


「お絵描きの魔女はタイツが誰かに殺されたと思っているのですか?」

「いかにも」


 魔女は淡白に頷く。

 現場検証はすでに終了したとばかりに白いゴム手袋の指先をミョーンと噛んで引っ張った。


「ありえません……。この教会にタイツを殺すような人がいるはずありません!」


 感情的に否定するコスモナウトを魔女は無感情に見つめてから事実を述べる。


「現にあやつは妾たちの目の前で殺された」

「でも……!」

「先ほどあやつが字を書けなかったと証言したのは貴様だ。であれば、いったい誰があのメッセージを書けたというのだ?」


 コスモナウトはちらりと無意識にアッシュを一瞥する。

 たしかにあえて自分では言わなかったが、この中で断トツ怪しいのはアッシュだった。

 タイツの直前に懺悔室に入室し、次の順番にタイツを直々に指名したのだから。

 すると、コスモナウトは魔女に向き直り苦し紛れに反論する。


「だいたいあの状況で誰がタイツを殺せたって言うんですか! 懺悔室内は密室だったんですよ!」

「なのだ。密室で殺人事件が起きたのだ」

「ですからどうやって!」

「おっぱいピンク、目が濁っておるぞ。真実から目を逸らすでない」

「違います。私はただ……」

「貴様も10年前の惨劇を繰り返したくはなかろう?」


 瞬間、クワッとコスモナウトの目が見開く。

 魔女を恨みがましく睨んだ。


「私はもう2度と、目の前で誰かが死ぬのは見たくありません!」


 コスモナウトは肩と巨乳をわなわなと震わせながら不機嫌な足音を響かせて礼拝堂から出て行こうとする。

 卒倒しているアフローも見えていないのか、彫りの深い黄色い顔面を踏んづけると、


「黒のヒモパン!?」


 と、幽かにうらやましい寝言が聞こえた。


「ちょ、ちょっと、コスモナウト……!」


 今この教会には殺人鬼がうろついているかもしれない。

 そんな中コスモナウトをひとりにするのは危険だ。

 アッシュは『スカイブルーム』で浮遊する魔女とコスモナウトの背中を交互に見比べてから、数秒逡巡する。


 結局卒倒するアフローを一足に跳び越えてコスモナウトを追いかけた。

 魔女は何を言うでもなく捜査後の一服を嗜む。

 早足で歩くコスモナウトにアッシュが追いつくと、そこは教会に併設された宿舎の中だった。


「コスモナウト! ちょっと待て!」

「静かにしてください。子供たちが起きてしまいます」


 ピンクの唇の前で人差し指を立てるコスモナウト。


「冷静でいなければならないのは私もわかっているんです。でもやっぱり私には教会の中の誰かがタイツを殺めたなんて、どうしても信じられなくて……すみません。説得力はないかもしれませんけどアッシュさんのことも私は信じています」

「いや、僕のことはいいんだけど」


 盲目的に信じるのは危ういと思いながらも、アッシュは確信していた。


「あの魔女なら、きっと真実を見抜く」


 アッシュの気休めにもならない大言に、


「でしょうね」


 と、予想外にもコスモナウトは口元を緩める。


「だからこそ私は怖いのかもしれません。真実とは決まって残酷なものですから」


 暗い寄宿舎の廊下でコスモナウトは俯いてしまう。

 アッシュはなんと声をかければよいのかと思案に暮れていた。

 まさにそのとき、ギィーと不気味な音を立てて、とある部屋のドアが開く。

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