Act.5「後ろめたい前進」


 ――足があるからと言って前に進めるわけではない。手があるからと言って雲を掴めるわけでもない。物事は全て前ではなく、下に落ちていくものなのだ。それがいわゆる上昇思考というもの。


 おかしい話を一つ。今までのその日暮らしかつその場暮らしを続けてきて、居場所もなくなってしまってもなんとかかんとか暮らしてこれたからこその、他愛のない話。

 実のところ、両親は度重なるほど牢屋にぶち込まれていたそうだ。といっても、間抜けにも捕まっていたのは最初だけで、現時点――俺があの家を離れる(強制的に)ことになるまでは、ほぼ意図的に捕まっていたそうだ。

 なぜって。決まっている。そういう時は大体、腹が空いていてそれでも農家から野菜を拝借することができない冬の時期だったり、母親なんかは俺を妊娠していよいよ出産が近づいてきた時には牢屋にいたのだ。

 まるでホテルのような扱いをしているのだが、そうするより他ない事情があったのもまた事実。なにせ、その日暮らしなものだから、食料なんて備蓄しているわけもない。かといって、貯蓄できる倉庫もない。むしろ、溜め込んでいれば鼠に食い散らかされるか虫が湧いてきてしまう。いまさら虫や蛆や鼠なんか食料でしかないのだが、それ以前に腐ってしまうのだ。糞尿やらなんやらで。だから、仕方なく。されどしょうがなく。

 捕まっていたそうだ。

 といっても、父親はあまりにも雨が強すぎる時でも捕まっていたそうだが。

 その中で言うと、俺だけは未だに逮捕歴がない。これ以上もこれ以下もないほどに。いや、今現在捕まっているようなものだから、念願の黒星がついたわけだ。いやはや、なんとも誇らしいね。

 しかし、しかしだ。

 そんな俺であっても、足枷手枷首枷をつけられたオシャレな格好をして、いかにも厳かでご立派な人物とは謁見したくなかった。

 そう、謁見である。


「これより! 勇者への伝承儀式を執り行う!」


 まるで耳が剥がれ落ちてしまいそうな高らかな声が響き渡る。いや、響くのなんてこれだけ大勢の人がひしめき合っているのに、おかしな話だ。とてつもない声量ではない。声圧が凄まじいのだ。思わず俺の耳が一瞬だけ音を聞き取らなくなるくらいには。

 しかし、目の前の小柄な男がそう発声していたとしてもだ。あまりにも仰々しい儀式だ。俺の周りを埋めつくすように、様々な人々がいたのだ。まるで、古代の処刑みたいだ。誰が娯楽提供者だ。捕虜みたいなものだぞ。


「まずは! 勇者へ古来より伝わる宝具の伝授を行う!」


 颯爽と、大声の小太りの男からなんだからよく分からない長細いものを受け取った黒子が、俺の元までやってくると手にしたそれを受け取れるように差し出してくる。しかし、残念なことだ。

 生憎、手枷のせいで取れませんよ。どうします? 儀式なんて辞めませんか。


「しかし、諸事情によってこちらは簡略させてもらう!」


 あれ、そんな柔軟な儀式なの。いやいや、黒子さんも床に置かないで。大事なものでしょ? 床に置くなんてダメでしょうに。


「して、次なるは勇者のスキル――つまりは、転生者しか持っていない唯一無二の能力の確認を行う!」


 またもや、小太りの背後から黒子が飛び出してきては、俺の目の前までやってくる。なに、そういう感じ? 囚人に実験するみたいな感じですか、と言いたくなるようなどでかい注射を取り出す。

 いやいやいやいや。そんな大きいの入りませんよ。いや、センシティブな話でもなくてですね。それくらい、それこそ、あの小太りの指くらい太い注射針がそこにあるわけでして。処刑だろ。これ。


「大丈夫。チクッとするだけですぐ終わります」


 黒子がそんなことを言うけども、言うけども。それ大丈夫の範疇超えてますよ。ショック死してもおかしくないですよ。いやいや、近づけないで。遠ざけて。

 そんな切なる願いなんぞ聞こえるわけもなく、どでかい注射針は容赦なく俺の柔肌を貫いた――が、痛くない。

 冗談抜きで、痛くない。筋肉の繊維がちぎれる痛みでも伴うのかと思ったが全く、微塵も。それこそ蚊にでも刺された程度に分からない。


「では、判定が出るまでの間。勇者にはこれからの説明――魔王の討伐任務を伝える」


 黒子がまたもや、小太りの後ろに引っ込む。早い動きで目がついて行かない。しかし、これでどうやら本当に逃げ道は絶たれ始めているのだろう。

 スキル――がなんなのかは大体。それこそ、特殊能力だと思えばいいとしてだ。問題は、魔王討伐という大役だ。役余りの役不足。俺では不足するほどの役割を与えてきているのだから、それだけ難易度の低いものか。はたまた、誰一人として攻略者のいない無理ゲーか。

 事前情報では後者が確実だ。


「これより南へ突き進んだ先。砂漠にて魔王が存在している。それを勇者に殺してもらいたいのだ」


 はい、それはまぁ。殺せるかどうかが問題なわけでして。いや、やる気なんてないですよ。あくまで殺せない人間がサボるのと、殺せる人間がサボるのとでは印象が桁違いてだけですよ。あれだって、日陰者がいつの間にか世界最強のボクサーだったみたいな能ある鷹は爪を隠す現象がいいわけだ。

 この場合は、枷だらけの囚人でも勇者になれる証明が欲しいわけだ。


「今まで何人もの勇者が立ち向かい、誰一人として生還することも魔王を殺すこともできなかった。そして、貴殿がその最後の勇者となるのだ」


 最後――?


「最後、つまりは今後勇者が現れることはない。ゆえに、この世界は魔王と魔族によって滅ぼされるか。人類安泰の世となるか。勇者、貴殿に託されているのだ!」


 いや、そんな大袈裟なこと言わなくても。転生者が今までいたのなら、今後も産まれてくるはずだ。それこそ、俺が最後になることはないだろ。近くなくとも、遠い未来で生まれる可能性だってある。そうやって、起きもしない未来に辟易として、諦観を抱くのはおすすめしませんよ。常に未来は明るく、楽しいものでなければいけないのですよ。そんな未来などありやしないなんて、思わないことの方が一番の幸せなんだから。


「……ほう、なるほど、そうか」


 背後で色々やっていたのだろう黒子から、小太りへ向かって耳打ちが入る。おやおや、検査結果でも出たということか。はぁ、これでも検査は結構良くも悪くもなくて若干血圧が高いくらいだったんだけども、最低限糖尿病だけは予備軍で済むかなと希望的観測を夜空に描き、脂質まみれの麺をすすっていたが、小太りの反応から察するにそんなに悪くないような気がする。

 気がするだけ。

 一時的欲求に負けるような体たらくな俺が予想できるのなんて、今後の健康体よりも明日の朝、口の中が気持ち悪いことを背徳感にする程度。

 よって、想像力が足りていないのだ。

 未来を見通すなんて、三分先しかできないのだ。


「勇者のスキルは! 『戯言クチナシ』である!」


 だから、三分後に後悔するのは当然の流れということだ。

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