第30話 ある姉妹の望み

 ――お姉ちゃん、見てる? 


 姿の見えないその人に私は呼びかけた。


 ――あの人がやっと私に気づいてくれたよ。私とお姉ちゃんの望みを叶えるために、私、もっと頑張るね。


 お姉ちゃんは笑った。期待してる、と励ましてくれた。神の祝福を受けたような高揚感は、まさしく天にも昇る心地だった。


 愛する人がいて初めて、人は世界を愛せるという。なら、私はこの世界を愛してはいない。お姉ちゃんをあんな酷い目に遭わせた世界なんて、いらない。


 昔から誰のことも愛せなかったし、お姉ちゃん以外に心許したこともなかった。


 形だけの夫婦だった両親も、一日の終わりを酒で締めくくりながら、よくこう言っていた。


『私達、今日は家族っぽいことできたわね』


 演じなければ維持できないというのに、何故、あの人達は頑なに家族の形を守ろうとしたのか、私には終に理解できなかった。家族も嘘。愛情も嘘。信頼も嘘。私の生きている世界は嘘ばっかりだと悟った。


 その無自覚な嘘が人を狂わせる。両親だった人達は、理想的な家族であろうとして、愛してもいない人間と一つ屋根の下で暮らし、鬱積した不満を爆発させて、家族らしからぬ終わりを迎えた。


 こんな無意味で、馬鹿馬鹿しい終局はない。だというのに、そんな醜態がこの世界のそこかしこに溢れている。


 ――気味が悪い。


 大した理由もなく、ごく自然に、毎日誰かが誰かを殺している。まるで虫ケラを踏み潰すかのように、無自覚に、無関心に、人は人を死に追いやる。目に見えない繋がりで自分達を縛り、悪意や殺意さえ届けば地球の裏側からでも見知らぬ誰かを殺せもする。しかし、誰もが凡庸であるが故に、その残酷さや異常性に気付かない。みんな同じ境遇、普通なんだと信じて疑わない。


 ――嗚呼、本当に。心底、気味が悪い。


 演じることに夢中で、自分が果たして何者であるのかには無頓着な怪物、人間。私はその化けの皮を剥いで、その本性を、底なしの闇を、根深い罪を思い知らせていく。存在しないと思い込み、本人達ですら忘れている悪性を現実へ呼び起こす。それが私とお姉ちゃんの望み、そしてあの人への問いかけ……




 貴方は何も知らない。けれど私は知っている。貴方が心許すその人間達は、六人の妻を殺して平然としているあの“青髭”と同じだ。善良を演じ、日常に擬態し、鍵のかかった部屋にこの世ならざるおぞましい本性を囲う、ありふれた凡庸な殺人鬼。親愛も信頼も彼の者の狂気の前では何の意味も成さない。それを思い知って尚、貴方は彼らを信じ続けることができるだろうか。


(第3章 了)(前編 完)

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柊さん家の鬼退治―かぎろいの春に鬼が湧く― 長月十六夜 @izayoi-n

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