第三節 友達以上、〇〇未満

第五十一話

 街路灯の光がコンビニ前の歩道に落ちて、行き交う人達の影を浮かび上がらせている。

 この夜もいつもと同様に、倉石君と立ち話をしていた。だが最近、彼の態度が微妙に変化していることが、僕は気になっていた。

「……それで、もう少しでクリアできそうだったのに、あと一歩及ばなくて」

「うん……そうか」

「……えっと、今の話、つまらない?」

「いや、そんなことは……ないけど」

 まず、僕と目を合わせることが少なくなった。こっちから見つめようとしても、すぐに顔を反らせたり、うつむいたりする。さらに話しかけても、どこか上の空だったり、反応が薄かったりした。『僕の話を聞いてるかい?』と問い詰めたくなったことが何度もある。

 倉石君がそうなったことに対しては、思い当たる点があった。僕が衣替えする前は、少なくとも彼はこっちの目を見て話を聞いてくれて、ちゃんと反応していた。けど夏の制服に変わってからは、先述のような態度が目立つようになった。

 だから嫌でも悟らざるを得ない……『倉石君は、夏服になった僕のブラウスの胸元が気になってしょうがない』のだと。やはり彼も男なんだから、そういうことに意識が向いてしまうのだろう。

 以前、倉石君には『女の部分を見せたくない』と言ったはずなのに、ブラウス越しにEカップのバストを見せつけるのは矛盾している。彼だって目のやり場に困っているはずだ。

 かといって、二人で会う時だけ胸を隠すというのもおかしな話だ。あまりにもわざとらしすぎるし、こっちが倉石君を警戒しているように思われたくはない。

 今のところは倉石君も毎晩、僕と待ち合わせて会ってくれている。でも、このままだと彼は僕を避けるようになってしまうかもしれない。そうなってしまうのは嫌だけど、他にどうすることもできず、僕は何も気づかないふりをするしかなかった。


 照明を消した自分の部屋で、僕はベッドに寝たまま天井を見上げていた。

 TSになって以来、自分が男でもあり女でもあるという矛盾した存在であることを、僕は何度も思い知らされてきた。けど、それはあくまで自分自身の問題だった。

 今の僕は、倉石君に対してもTSとしての矛盾を突きつけている。せっかく友達になってくれたのに、そんな目に合わせてしまっていることが、とても心苦しい。

 TSにならなければよかった……とは言えない。それがきっかけで、僕は彼と出会えたのだから。

 また、こうも思う。Aカップとは言わない。せめて僕のバストがもっと小さくて、ブラウスでも目立たないほどのサイズだったら、倉石君にも意識させずに済んだはずなのに……自分のバストのエロさに、密かな喜びを感じていた僕だが、この時はそれが恨めしくて仕方なかった。

 ごめんよ、倉石君……頭の中で謝りつつも、僕の両手はそれぞれバストと股間に伸びていく。

 何もこんな時にまでオナニーしなくても……とは思うものの、辛さから逃れたい一心で、僕は快楽を貪ってしまう。

 終わった後、眠りに落ちていく直前になって、僕はもう一度、脳裏でつぶやく。『ごめんよ、倉石君……』と。


 常連の二人組が喜々とした様子でフェアリーパラダイスに入ってきたのは、開店からおよそ一時間後の事だった。 

 僕が二人を席に案内すると、早速嶋村さんがくじの入った箱を持って現れる。

「お二方とも、ポイント満点おめでとうございます。以前からリクエストいただいておりました『王子様ゲーム』の男性版ができましたので、くじを引いていただきたいと思います」

 ポイントカードをテーブルに置いていた二人が、歓声を上げる。

「ついにこの時が来たぜ!」

「あの時は女の子達を喜ばせるためだったとはいえ、やっぱオレ達だって男としてサービスされたかったもんな~」

 前回の『王子様ゲーム』は、社交的女子達を相手に実験的な企画として行ったものだから、女性のキャラばかりをくじに入れていた。今回から男の客には男性キャラのくじを用意して、その第一号としてやはりこの二人組に引いてもらうことになった。

 ちなみに、以前からのサービスでもある『メイドとのツーショット写真』や、『ともみさんからのマッサージ』と『絵舞さんが描く客の似顔絵』などは、継続して提供される。というより、こちらの方が引き続きメインだ。

 あくまで『王子様ゲーム』は、メイド喫茶の基本である『御主人様とメイド』というコンセプトを逸脱して、あえて別の関係で奉仕しようというものだ。メイドだけでなく客側にも多少の演技力が求められるわけで、そういったことを望まない客もいるはずだから、以前からのサービスは残しておかなくてはならない。

 余談ながら、『王子様からの壁ドン』へのリクエストは、現時点ではゼロである。社交的女子だけが興味を示していたが、どこまで本気なのかはよくわからなかった。


 嶋村さんが二人組に説明を続けていると、出入口のドアが開く音がした。すぐに僕が向かう。

「お帰りなさいませ」

「……やあ」

 倉石君だった。いつもフェアリーパラダイスに来る時には森野宮高の制服姿だが、今日は珍しく私服だ。

 僕を避けるようになってしまったらどうしよう……とは思っていたけれど、こうして来店してくれたこと自体はやはり嬉しい。そんな彼がどこか思いつめた表情をしているのが、わずかに気がかりではある。

 空いている席へと倉石君を案内していると、最初にくじを引くことになったよっしーさんが、嶋村さんに念を押す。

「いくら男性向けだからって、『ゴブリン』は入ってないよね?」

「ご安心ください。当店にお帰りいただいた御主人様は紳士なのですから、そのような役柄は押し付けられません」

「よかったぁ! じゃ行くぜ」

 箱に手を突っ込むと、よっしーさんは中をかき混ぜてから、一枚のくじを取り出す。

「なになに……『やれやれ系主人公』だと?」

 嶋村さんの隣に控えていた、ともみさんが解説を始めた。

「普段はヒロインに振り回されつつ斜に構えた態度を取っていますが、トラブルに直面したヒロインから頼られると、『やれやれ』とつぶやきながらも解決に向けて全力で取り組む、熱いハートの持ち主……というキャラですよ」

「……これだよ! オレがやりたかったのはこういう役なんだ」

 よっしーさんはガッツポーズを取った。その様子を眺めていた倉石君が、僕の方を見上げる。

「もしかして、『王子様ゲーム』ってやつ?」

「はい。今日から正式なサービスとして開始いたしました」

 彼には以前、そのことを話していたので、すぐにピンときたようだ。

 絵舞さんから渡された、古めかしい学生帽をよっしーさんが被ると、嶋村さんが問いかける。

「それでは、どのメイドをお相手に指名しますか?」

「そうだな……今回は絵舞さんにお願いしようかな」

「私ですか? 不慣れではありますが、お手柔らかにお願いいたします」

 絵舞さんがはにかみつつ、一礼した。

 僕と倉石君が離れた席から見守る中、よっしーさん扮する『やれやれ系主人公』に対する絵舞さんのサービスが始まった。


「助けてー! 私、悪い奴らに追われてるの。ねえよっしー、守って!」

「うるせぇ! こんな時だけオレを頼りにするな」

「そんな!? よっしーがそういうこと言うなんて」

「大体お前はいつも、オレに手間ばかり押し付けてるじゃねぇか。たまには自分でなんとかするんだな」

 そっぽを向いたよっしーさんに、絵舞さんがすがりつく。

「私はよっしーを頼りにしてたから、今まで一緒にいたのよ」

「そう言えば何でもいうことを聞くと思ったら、大間違いだぜ」

 すげなく突き放されても絵舞さんは、よっしーさんへの懇願を続ける。

「私、やっとわかった……本当はよっしーのことが、好きだって」

「ふん、いまさら何言いやがる……」

「よっしーだけが、私のことをわかってくれてる……そう信じていたから」

「……そんな風に思っていたとは、とことんおめでたい奴だな」

 わずかに態度を軟化させると、よっしーさんが絵舞さんをちらりと見た。

「今だから言える。私にはよっしーが必要なの……今までも、そしてこれからも!」

「やれやれ……困ったお嬢さんだ」

 よっしーさんがすっくと立ち上がった。足元にひざまずく絵舞さんへ、不敵な笑みを浮かべてみせる。

「ここはオレに任せろ。悪いようにはしないぜ」

「ありがとう、よっしー!」

 絵舞さんから腕に抱きつかれて、よっしーさんの強面な表情は一気に崩れて、やに下がっていた。


 店内にいた全員が拍手する中、よっしーさんが満足しきった笑顔で席に戻った。そこへ嶋村さんが感想を求めてくる。

「いかがでしたか? 前回の『エルフ』と違って、かなり満足していただけたと思いますが」

「いやぁ、昔からこういう主人公が好きだったから、演じられて楽しかったです。それと絵舞さん、きつい言葉遣いしてごめんよ」

 両手を合わせて謝罪するその姿に、本来の人柄の良さがにじみ出ていた。絵舞さんは嫌な顔もせず、微笑みを返す。

「いいえ、私も御主人様の熱演ぶりに感動しておりますわ」

「よっしー御主人様、本当にありがとうございました。もう一度拍手をお願いします」

 嶋村さんの合図で、再度店内に拍手が鳴り響いた。


 嶋村さん達が後片付けと次への準備をしている間、僕は倉石君に質問してみる。

「今みたいなタイプの主人公は、どう思いますか?」

「男らしくてカッコいいとは思うけど、俺ならもう少し女に優しくするかな」

「それを聞いて、実に倉石様らしいと思いました」

「いや、その……ああいうタイプには、絶対なれないし」

 うつむいてしまった倉石君を見て、何故か微笑ましい気分になってしまう僕であった。

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