冷たい眠りのいばら姫

多賀 夢(元・みきてぃ)

冷たい眠りのいばら姫

子供の頃、母が読んでくれた絵本がある。

いばらに守られた塔の中で、眠り続けたお姫様。

勇敢な王子様が現れて、その口づけで目を覚ました。

二人はそのまま結ばれて、お姫様は晴れてお妃となった。


飽きるほど聞いた、甘い夢物語。

まどろみの奥に潜む記憶。




「おい、あけろ!」

私の横たわったガラスのカプセルを、あの人が必死で叩いている。

ああ、やかましい。最後の最後まで邪魔するだろうと思ったけれど、こんなにしつこいとは思わなかった。

眠るに眠れない騒音に耐えかね、私は小さく呟いた。

「やってください」

途端、あの人がのけぞるようにして飛んで、視界から消えた。強い電流が流れたのだろう。おかげで周囲は静かになった。

私は安堵して、眠りに落ちようとする体に意識を任せた。


――ああ。やっと。


あの人には何度も言った、私は難病だと。このままでは死ぬしかないのだと。

だから私を大切にしてほしい、愛するならばそっとしてほしい、何度もそう懇願した。私は死にたくなんてなかった、少しでも健康を保って生きたかった。


私は穏やかに暮らしたいの。

静かに残りの人生を送りたいの。

それが一番楽だから。


だけどあの人は、言葉の意味を分かっていなかった。

彼は寝込みがちな私を連れまわした。倒れそうになると支えて見せて、周囲は良いパートナーだと彼を褒めた。そして、彼と離れたがる私を窘めた。

着たくない服、重たいアクセサリー、飲めないワイン、そういうものを送り付け、身に着け飲み干すことをしつこく望んだ。


――どうして嫌がるんだ?

――こんなのカップルじゃ普通の事じゃないか。

――俺がそんなに嫌いなのか!

――死ぬ死ぬうるせえ、それなら俺が先に死んでやる!!


嫌いではなかった。ただ、少しだけ理解してほしかった。周りより私の声を聞いてほしかった。騒がしい思い出よりも、穏やかな記憶がほしかった。

あの人の笑顔と引き換えに、私の体は壊れていった。


私の余命宣告はみるみる短くなり、あと10年と言われていたのが1年になった。

なにもかも観念仕掛けたその時、私は医師に囁かれたのだ。

私の病気の効果的な治療薬が、数年か十数年で完成しそうなこと。

ある組織が、コールドスリープの被験体を探しているということ。

どうしますか、と聞かれて、やります、と即答した。

少しでも長く生きたかった。

静かな時間が欲しかった。

まだまだ技術は不安定ですよと言われたが、どうでもよかった。

私は、大切な命も小さな願望も、すべて眠りに賭けたのだ。



あの人がガードマンに引っ立てられながら、私に何かを叫んでいる。

本人はきっと、いばら姫の王子様気取りなのだろう。しかし現実は、勘違いだらけの喜劇の脇役。この人生の主人公は私だから、私の思いが物語のすべてだから。

今願うのはひとたびの静寂、そして健康になれる未来。

自分に酔った王子様なんていらない。私は、私の人生を眠る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冷たい眠りのいばら姫 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ