第14話 海運管理局

「『船に戻るな』と言われたのに、なんで戻ってきた」


 どこか怒りの滲むヴァンジューの声に、シャニィは唇を噛んだ。船長室にはトルックやエーリー、デュカスやハロルもいて、それぞれに厳しい顔をしている。


「皆に知らせないとと思って……荷物も置いたままだったし」

「俺たちと一時乗船者のお前の間に、そんな義務はない。それにティーザーは高給取りだ。服くらい何枚でも買ってもらえるだろう。お前はここに来るべきじゃなかった」

「でも、でも……嫌だもの、私のせいで皆が捕まるなんて」

「お前のせいじゃない。俺たちは海賊だ。常にそういう可能性の中にある。わかったらとっとと帰れ」

「……私、戻らない。ここにいるわ」

「駄目だ、帰れ。ここはお前のいる場所じゃない」

「いやよ!私は私の居たい場所にいるの!誰の指図も受けない!」


 平行線を辿りそうだった言い合いを止めたのはトルックだった。


「いいじゃないですか、船長。そうしてもらいましょうよ」


 彼はシャニィに笑いかけると、うんうんと頷く。


「シャニィさんはここにいたい。俺たちはティーザーへの切り札が欲しい。つまり関係はウィンウィンじゃないっスか」

「トルック」

「だって船長、借りれる手はいさぎよく借りねぇと。あの人は艦隊持ちですからね。でも、急に掌返した理由がこっちにいれば、迂闊うかつには動けないでしょ?」

「トルック!」


 珍しくヴァンジューが怒鳴りつけて黙らせた。


「とにかく、海賊一派がどうなろうとお前には一切関係のないことだ。エーリー、連れていけ」


 エーリーは黙ってシャニィの鞄を持つと、手を引いて船長室から出るよう促す。甲板を歩きながら、彼は困ったように笑って言った。


「知らせてくれてありがとね、シャニィ。ヴァンはあんたが巻き込まれて怪我したりするのが嫌なもんだから、きつく言ったのよ。心配はいらないわ。あたしたちはやわじゃない。よく知っているでしょう?」


 エーリーはそうウインクすると鞄を渡し、そっと優しく、けれど有無を言わせずシャニィを昇降階段タラップへと押しやった。



 * * *



 船には戻れず、かといって砦に向かう気にもなれず、シャニィはとぼとぼと大通りを歩いていた。普段は楽しげにきらめいて見える店々が、今はひどくせて見える。


 ここはお前のいる場所じゃないと言われたことが、思いのほかこたえていた。


「お久しぶりです、シャニィ」


 ふいにかけられた声に顔を上げれば、ザウシュレンが手を振りつつ前からやってくる。


「災難でしたね。海賊船に乗る羽目になったんでしょう?」


 誘われるままに海神広場のベンチに腰掛けると、彼は開口一番にそう口にした。なぜ知っているのかと思えば、海軍に勤めている友人がいて、砦が———主にエクロズの周辺が———大騒ぎになっていたらしい。


「元気がないですね。連中にひどいことされたんですか?」


 心配そうな目に、違うの、と首を振る。焦りで胸が詰まって息ができなくなりそうな中、シャニィはぽつぽつと事情を説明した。


「船長は違うと言ってくれたけど……でも、原因は私だわ」

「……そもそも海賊だから自業自得だ、とは思わないんですね」

「だって、海賊だからといって必ずしも悪事を働くわけじゃないし……それにあの人たちがそんなことをするとは到底思えないもの……私さえ迷い込まなければ、きっとこんなことにはならなかったわ」

「まぁ、ヴァラジットの人たちが人を殺して略奪をするはずがない、というのには僕も同意ですけどね」


 ザゥはしばらく顎をなでながら何事かを考えていたが、


「要するに、彼らの嫌疑さえ晴らせればいいんですよね?ティーザー司令官はそれをよすがに捕らえようとしているわけですから」


 そう呟くと、鞄から紙と万年筆を取り出した。端正な文字が書きつけられていき、彼はその紙をシャニィに渡す。そこには〝海運管理局 荷車通り十二番地 ジュリス・ハーター局長〟とつづられていた。


「僕はこの後人と約束があるので一緒には行けないんですが、この人にヴァラジットの窮地を伝えれば、手を借りられると思います。もし受付で面会を渋られたら、〝アルティ〟からの急ぎの用だと言ってください」

「わかったわ!ありがとう、ザゥ!」

「いえいえ……ではまた、シャニィ」


 片手を上げて去っていくザゥを見送ったシャニィは、差し込んできた光明を逃すまいと急ぎ荷車通りに向かった。



 * * *



「海軍の奴らトチ狂ったか?」


 アルティという言葉を出すまでもなく、局長への用件を聞かれヴァラジットと言った瞬間に、奥にいた壮年の男から手招きされた。そのまま別室に通されて事態を説明すると、彼———ジュリス・ハーター局長は呆れたようにそう呟いたのだ。


「そりゃ無所属って意味では海賊だろうが、あの人らがそんなことするわけがないだろうが。……だが別の奴がやったっていう証拠がないと、疑いも晴らせねぇか。よし、任せな」


 ジュリスはシャニィを連れて職員たちが大勢働いている大部屋に行き、声を張った。


「リグ!アーダン!ちょっと来てくれ!お前たち、これから急ぎで聞き回りに行ってきてもらいたいんだが……なんだ、なにかあるのか?」

「海王祭のチラシがかなり遅れて納品されたので、発送作業が大量に残ってるんです。今日中になんとかしないとまずいので、二人抜けるのは厳しいのですが……」

「あ、メックリーのとこのポンコツ印刷機か。しまった忘れてたな……」


 険しい顔になったジュリスに、シャニィは提案する。


「それ、私にやらせてもらえませんか。以前食堂で働いていた時に、招待状を大量に送ったことがあるので、多少早く作業できると思います」

「いいのか?こちらとしては助かるが」

「もちろんです。私の頼み事を聞いていただいているのですから、それくらいは手伝わせてください」


 それで話がつき、リグとアーダンはジュリスから指示を受けて出かけ、シャニィは腕まくりして作業場に入る。瞬く間に積み上がっていく封筒の山に「手が六本あるんじゃ……」と驚愕されながら、シャニィは収穫があることを祈りつつ一心に作業を進めていった。



 * * *



 橙色が町を染め上げる夕刻。


「参ったな。めぼしいところは聞いて回ってもらったんだが、それらしい情報がまだない。確かに関わったとしても、それを日の元にさらしたくない案件なのは間違いないが……あとはまだ残っているところに聞いてみるから、シャニィさんすまんが明日もう一度」


 そう言いかけた局長を遮るように、声が上がった。


「あの時の嬢ちゃんじゃねぇか。何してんだ、こんなところで」


 なんとガララタンの町に着いたばかりの頃に大衆酒場で出会った、筋骨隆々の男が目を丸くしてこちらを見ている。隣には身なりの良い壮年の男もいた。


「グラムさん、ちょうどいいとこに。あんたにも聞きたいことがあったんだ」


 局長が軽く事情を説明して何か知らないかと尋ねると、二人は顔を見合わせる。ややあって、グラムと呼ばれた方の男がジュリスに何か耳打ちした。


「シャニィさん、彼についていけ」


 言われるままについていくと、奥の小部屋に通される。


「私はバーレス・グラムという。すまなかったね、シャニィさん。さっき私と一緒にいた彼……ガイナというのだが、君があの男に説教をする羽目になったのは、元を正せば私が原因なんだ」


 彼は苦笑すると続けた。


「というのも、受けたくない仕事を受けねばならず気が立っていた。逆恨みはごめんだが、たちにご迷惑がかかるのであれば、そうも言っていられない」


 バーレスは綺麗に整えられたひげを触ってから話し始める。


「ベウスという、悪党相手の何でも屋をやっている奴がいる。……それが何かは聞かないで欲しいんだが、私は奴に少し弱みを握られてね。結構な量の木箱を運ぶために、船と船員を貸す羽目になった。あいつは新進気鋭の商家との取引だとうそぶいていたが、明らかに怪しくてね」


 彼は気が重そうにため息をつく。


「我々に運ばせたのは、恐らくなのではないかと思う。そんな大胆なことをやってのけたのは、背後に大きなものがあるからだろうが……ただ、いくらあの連中でも海軍に睨まれたくはないだろうから、ほとぼりが冷めるまで分け前はさばかずに隠しておくのではないかと思うんだ」

「じゃあ、それを見つけられれば……」


 シャニィが呟くと、バーレスは頷いた。


「少なくとも、ヴァラジットがしたことではない、という証拠になるだろう。ただ、我々は倉庫街の二区画五番地の倉庫に運び込みはしたが、恐らく場所は移されていると思う。足として使っても、奴らは私たちを信用していないからな」


 ———とにかく砦に戻ってロズの副官か部下の誰かに、摘発の相談をしてみよう。


 そう考えて礼を言って立ち去ろうとしたシャニィは、ふと気になって尋ねる。


「あの、局長さんもあなたも……海賊のヴァラジットを随分と信用して大事にしていらっしゃるんですね」


 一瞬不思議そうな顔をしたバーレスは、ややあって納得したように頷いた。


「そうか、もう十年も前のことになるからな。君のような年若い子は知らないか……この町は以前はサナリオンという国の領地でね。国力が弱まったためにいくつもの国から狙われて、いつ攻め込まれてもおかしくない状況になった。それをあるお方の懸命な働きで、戦火に沈むのをまぬがれたんだ。今はヴァラジットの船長をしている方だな」


 バーレスは記憶をすくい上げるように、目を細めながら言う。


「もう崩れ落ちる寸前とはいえ、名のある海洋大国だった。名誉のために戦おうと思えば、それもできたはず。だがあの方々は、ここに住む者たちの命と生活を最優先にしてくださったんだ。我々が築いてきたものを失わないまま、今を平穏に生きていられるのはあの方々がいてくれたからこそなのだよ」


 今度こそ礼を言ってシャニィが小部屋から出ると、少し離れた壁にガイナが寄りかかっていた。


「十七区画六番地」

「え?」


 彼は笑いながら続ける。


「倉庫街のかなり端の方にある倉庫だ。血の匂いが取りきれてねぇ怪しい品を運ばされて、良いように使われるだけじゃしゃくだからな。仲間数人で順番にこっそり張って、荷をどこに移すか確認してたんだ」


 つまり、盗品は今もそこにある可能性が高いということだ。


「ありがとう、ガイナさん!」


 思わずその手をぎゅっと握ると、彼は照れたように視線を逸らして頷く。


「良いってことよ。なにせ俺がいい男でい続けられるよう、手を貸してもらったからな。これくらは当然だ」


 ガイナはにっと笑ってそう言うと、小部屋の中へと歩き去っていった。

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