第6話 海賊船メイヤ・ギーニィ号

「後は俺がやる」


 そのひと言で、取り囲んでいた男たちは全員持ち場に戻っていき、シャニィは船長室へと連行された。船長らしい青い服の男ともう一人、焦茶の髪をした青年だけがついてきている。


「そこに座れ」


 海賊船とはいえ、船長室には質の良い調度品が品よく置かれ、落ち着ける心地よい空間になっていた。


 ただ、そうはいっても状況が状況だけに、シャニィが一抹の不安を抱えながら濃紺のソファに腰を下ろすと、


「俺はこの船の船長でヴァンジュー・サロウ。こいつはトルックだ」

「トルック・イファンっス。どうぞよろしく」


 彼らはそう名乗り、どこか品定めするような目でシャニィを見た。


「それじゃあ、お嬢さんがどこの誰で、なんだってうちの船に入り込むことになったのか、説明してもらおうか」

  

 シャニィはどこまで話すかを一瞬考え、それから頷いて口を開く。


「私はシャニィ・リーリアといいます」

「……リーリアだと?アンザスのか?」


 伯爵号ティナさえつけなければ身分には気づかれないだろうと踏んだのだが、この船長は博識なのか予想外の反応を見せた。アンザスというのはリーリア領がある地方の名だ。


「……はい、そうです」

  

 これは誤魔化せないわね、と仕方なく頷くと、ヴァンジューは眉根を寄せてシャニィをまじまじと見つめた。深い海のような藍色の目が、シャニィのひたいを、目を、唇を、輪郭を、なぞるように過ぎていき、なぜだか妙に落ち着かない気持ちになる。


「本当はオルトリス海軍の軍艦に乗船する予定だったんですが、出航時間に遅れそうですごく焦っていて……それで乗り間違えてしまったんです」


 あの時、誰かしらに確認していればこんなことにはならなかったのに、と思いながらシャニィは続ける。

  

「乗る船は目立って大きいからすぐわかると思う、と言われて……この船は大きくて立派でしたし、それにオルトリス海軍の軍旗が船べりのところにかかっていたので、そうなのだと思い込んでしまって」

「オルトリスの軍旗?……ああ、もしかして寄港許可旗のことか?」


 ヴァンジューが呟くと、トルックが立ち上がって部屋を横切り、大机の引き出しから緑色の大きな布を取り出してシャニィに見せた。


「これっスか」

「あ、そうです。それです」


 改めてその布をよく見てみると、オルトリス海軍の紋章と、寄港許可、そしてその下に船の名前らしい文字が刺繍で書かれている。


「……メイヤ・ギーニィ号」


 砦にいる間に船の名はいくつか耳にしたが、まるで聞き覚えのない名前だった。シャニィは本当に、全く関係のない船に乗ってしまったのだ。


「そう、それがこの船の名前だ。軍艦でも商船でも客船でもなく、正真正銘、未登録の海賊船だな。まぁ公的な寄港許可証をもっているという点では、やや変わり種ではあるかもしれないが」

「ちなみにシャニィさんは、なんて船に乗る予定だったんです?」


 気の良さそうな笑みを浮かべて、トルックが首をかしげる。


「キナルトラス号です」

「ああ、キナルトラスなら確かに波止場の第一区にいましたねぇ。というか、ガララタンでは軍属の船は、大体第一区の桟橋から出るもんなんスよ。うちの船が停留してたのは第五区で」


 それは初耳だった。


「まぁそうなの……それは知らなかったです」

「そりゃ言い忘れた軍人さんが悪いんで、気にすることないですよ。きっと自分たちには当たり前過ぎて、伝え忘れてたんでしょうね」


 トルックは右手をぱたぱたと振って、そう慰めてくれる。


「……それにしても、なんでリーリアのご令嬢が軍艦に乗ることになっている?そもそもどうして一人でいるんだ。侍女や護衛はどうした?」


 もっともと言えばもっともな疑問に、シャニィは観念してガララタンにやって来た事情を話した。十年前に叔父が交わした約束、民間に嫁ぐことになると思っていたからお付きは連れずに単身でやって来たこと、一番上の兄はこの結婚に反対していたため、二番目の兄の手を借りて隙を突いて家から出てきたこと、しかしいざ来てみれば予測していたものとだいぶ状況が違っていたことを。


「あらら……お嬢様っていうのも、振り回されてなかなか大変なんスねぇ。しっかし、あの氷の閣下が嫁取りかぁ……その宝箱で突入したってやつ、ぜひとも間近で見てみたかったなぁ」


 そう楽しげに笑ったトルックは、ヴァンジューの方に顔を向けた。


「ねぇ、ヴァン船長。シャニィさんも色々大変みたいじゃないですか。戻って送り返してあげましょうよ」


 しかし返事はすげない。


「無理だな」

「ええ?駄目っスか?」

「今年は台風が多かったからな。もうこれ以上、ずらす猶予ゆうよがないところまできている」


 トルックにそう答えたヴァンジューは、シャニィに視線を移して告げる。

  

「俺たちは動かせない用があって出航している。だからガララタンに戻るという選択肢はない。だが同時に、積荷以外のお荷物を乗せるつもりもない。そういう不要なものを……海賊たちがどうするか知っているか?」

「……いいえ」


 なにやら雲行きが怪しくなってきた。彼の口元にうっすら浮かぶ笑みは、不穏そのものだ。


「海に捨てるんだ」


 シャニィは少し考えてから口を開く。


「乗船賃をお支払いするというのではどうでしょうか?もちろん迷惑料も含めて、相場より多くお支払いします」


 しかしヴァンジューは首を振った。


「お前にとっては都合の悪いことに、俺たちは今ちょうどうるおっている。大した金額にもならん金に食いつく気にはなれん。……だがそうだな、その乗船賃……もし身体で払えるって言うなら、海に捨てずにおいてやってもいいかもしれない」

  

 ひどく意地悪げに口を歪めたヴァンジューに、シャニィは間髪かんぱつ入れずに返した。

  

「わかりました!身体でお支払いします!」


 勢い良く飛んできた言葉に、二人は固まる。

  

「ちょ、ちょっとシャニィさん、意味わかってます?あんまりヤケになるのは……っていうか、いや、なんで急にそんな生き生きした目をしてるんスか!?」


 戸惑うトルックに、シャニィはぐっと拳を握って頷いた。


「もっともです。船長の仰ることはもっともですとも。勝手に乗ってしまった以上、たっぷり働いてその分お返しするのが筋というもの。お任せください。帆船に乗るのは初めてですが、台所仕事、掃除洗濯繕い物、力仕事、工作、なんでもできます。体力にも自信があります」


 呆気にとられていたヴァンジューが、気を取り直したように会話に戻ってくる。


「……ほぅ?伯爵家のお嬢さんがか?船の仕事はおままごとじゃないんだぞ?」

「先ほどお話ししたように、私は海賊閣下に嫁入りするために修行を積みましたので問題はないかと思います」

  

 シャニィは考えていた。エクロズについていって軍艦に乗ったところで、をさせてもらえる可能性は低かっただろうから、これはかえってよかったかもしれない。少なくとも、自分が今まで鍛えてきたものが、現場で通じるのかわかるだろう。シャニィにとって、これは降って湧いたチャンスだった。

  

「……花嫁修行で、ねぇ。男ばかりの中に混じって、一人前に働ける自信があると」

「はい」

「不安定な高い場所で危険に身をさらす仕事も、どろどろに汚れる仕事も、重いものを持たなきゃならん仕事も、なんでもやると」

「やります」


 二人の視線が真正面からぶつかり、しばらくしてヴァンジューが言った。


「いいだろう。じゃあまずはその覚悟とやらを、見せてもらおうか」

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