第4話 宝箱から嫁

 宝箱に入ったシャニィは台車に載せられてつつがなく運ばれ、今まさに海賊閣下がいる部屋で出番を待っていた。


 息を潜めたまま、取り次いでくれた兄マイジアとブラド商会の人々に感謝の念を捧げる。取引先として確かな信用があるユーシスたちだからこそ、少し事情を説明しただけで砦の検問を通過することができたのだとわかったからだ。もしシャニィ一人だったら、恐らく不審者として門前払いだっただろう。そもそもここまでの段取りをつけることも難しかったに違いない。


「ええっ?そんな楽しそうなことを……?あの閣下がどんな顔をされるか楽しみですねぇ。非番だったらぜひともその場で見たかったのに、残念です」


 という野次馬やじうま丸出しの感想や、


「とうとう凍てついた氷を溶かす女神が現れましたか。ティーザー司令官はなかなかに難物かと思いますが……最初はつれない態度をとられたとしても、どうぞめげずに頑張ってください。協力できることがあれば、なんでもお手伝いしますので」


 と応援されたりして、どうやら海賊閣下はティーザーという家名であり、艦隊のひとつを率いる司令官という立場にいること、そしてやや堅物な印象を周りに持たれているらしいことが判明した。


 ———約束の取り消しの連絡がなかったから大丈夫かと思っていたけれど、もし単に放置していただけなら、拒否される可能性もあるかもしれないわね……そうなったら、まぁラジアンお兄様は大喜びするでしょうけど……


 というのも、叔父が亡くなった後リーリアの爵位を継いだ一番上の兄は、結局最後まで嫁入り先に納得していなかったからだ。それこそシャニィが十代前半の頃から『叔父様が勝手にした約束を、お前が叶える必要はないだろう!考え直せ!』と事あるごとに止めにかかってきた。少なくともシャニィ自身は風変わりな叔父からの提案をとても気に入っていたので、結局押し通してここまで来てしまったが。


 ———まぁ、まだ起こってもいないことに心をいても仕方がないわね。とにかくお話ししてみてからだわ。


 シャニィは自分にそう言い聞かせると、外の会話を聞き取ることに集中した。随所に空気穴が開けてあるせいか、宝箱の中にいてもそれなりに声は聞こえる。


 先ほどからユーシスと納品する品について言い交わしているのは、あまり抑揚のない淡々とした声だ。その静かな声音こわねは少しひんやりとしていて、どこか夜の湖を彷彿ほうふつとさせた。


「ところで……それはなんだ」


 ふいに話の矛先がこちらを向いて、シャニィは思わず身をこわばらせる。それとは対照的に笑いを含んだユーシスの声が、


「そちらは宝箱でございます」


 と答えた。


「そんなものは見ればわかる。その、これ見よがしに置かれた宝箱の化け物で何をたくらんでいる、ユース?」

「企むなどとは恐れ多い……そちらはエクロズ様へのお約束の、素晴らしい贈りものでございます。わたくしどもはただ運び手を務めたに過ぎません」


 しばらく間があった。


「……約束の贈りものだと?」

「開ければおわかりになりますかと」


 ややあって、カツ、カツ、カツ、と律動的な靴音が近づいてくる。


 誰かが板を挟んですぐ目の前に立つ気配がして、ガチャリと宝箱の掛け金が鳴った。


 シャニィはぎゅっと身構え———蝶番ちょうつがいが微かにきしむ音と共に、一気に視界が明るくなる。


「……君は」


 ひたすら淡々としていた声に、強い驚きが滲んだ。白い海軍服に身を包んだ金髪の男が、食い入るようにこちらを見つめている。


 一方のシャニィも、日光に目がくらんだのと、突き合わせることになった相手のあまりに美しい顔に驚いて、一瞬言葉が出なくなった。


 まるで時間が止まったように、互いを見つめることしばし。


 ようやく我に返ったシャニィは、慌てて頭を下げてから口を開いた。


「初めまして、旦那様。私はシャニィ・ティナ・リーリアと申します。十年前に叔父カルジオ・ティナ・リーリアがした約束を、果たしに参りました」



 * *



「もう一度確認したいのですが……シャニィ嬢、あなたはカルジオ様の姪御めいごさんで……私とカルジオ様が交わした約束を守りにいらした、と」

「はい」


 ひとまずそちらで、と司令室のソファを勧められ、片方にシャニィとユーシス、対面にエクロズが腰を下ろしている。部屋にいた彼の部下と思われる五人は、今は少し離れた位置で納品された品の確認をしていた。


 ———これはどうしたものかしらね……


 宝箱に入ったままわずかに話してみただけでも、事態がシャニィの想定と大きく異なっているらしいことはわかった。


 夫となる人はてっきり民間出の海軍人なのだと思っていたのだが、彼の名はエクロズ・ティナ・ティーザーといい、シャニィと同じ伯爵号ティナをもつ貴族の家の人間だったのだ。


 そしてそれ以上に問題だったのが、くだんの“約束”であった。


「た、確かに……確かに私はこの町に着任したばかりの頃に、前リーリア伯とお会いしたことがある……何度か一緒に酒を飲んで、相談にのっていただいたことも……しかしその……約束、とは?」


 シャニィが“旦那様”と呼びかけたこと、そしてまとったこの服装から、恐らく彼にもある程度の察しはついているだろう。


 ただ、エクロズが都合が悪くてとぼけているのではなく、本気で困惑していることはシャニィにもわかった。少し離れた位置にいる軍人たちの面白がるような視線から、普段はこのように狼狽ろうばいを表に出すような人ではないのだろうということも。約束を頼りに押しかけられたこと自体にではなく、シャニィが果たしに来た約束そのものに、本当に心当たりがないのだ。なにしろ十年も前のことなのだから、よく考えてみれば忘れていたっておかしくはない。


「あの、叔父からは……成人を迎えて二十歳になった時に、私にその気があるのならガララタンの海賊閣下に嫁入りするように、と言われていて……」

「よ、嫁入り、ですか……」


 彼はシャニィの服を上から下まで見たあと、ごくりと唾を飲み込んだ。


「そうですよね、やはりその服は……婚礼衣装ですよね……」


 シャニィの叔父カルジオは、少しばかり変わり者だった。いや、少しなどという言葉ではぬるいかもしれない。とにかく奔放で既成の枠にとらわれない人だったのだ。


 そんな彼に十歳になったばかりの頃に書斎に呼ばれ、真剣な顔で「シャニィはこの先どう生きていきたいと思っているのか」と聞かれた。子どもだからわかるわけがないとか、そういう態度は一切とらない人だった。そしてシャニィが希望を述べると、くだんの嫁入りについて口にしたのだ。


 まだその話を聞いたばかりの頃は、シャニィは本当に叔父の言葉通り、“海賊船に乗る海賊”に嫁ぐことになるのかと思っていた。


 オルトリス国における“海賊”とは、どの国にも船籍登録をしていない船の乗組員を指すことが多い。未登録だからといって必ずしも掠奪りゃくだつや無法行為と結びつくわけではないのだが、そういうことをするやからも一定数いるため、連想されやすいのは事実だ。ただ、探検を旨としたり、船舶の護衛を行う者たちもいると聞いたことがあったため、きっと海賊閣下なる未来の夫はそういう類の方なのだろうと思っていた。


 のちに兄から、海軍の人間が海賊と揶揄やゆされることもよくあるから、きっと荒々しい戦い方かなにかで“海賊閣下”という二つ名で呼ばれている海軍軍人なのだろうと言われ、自分の思い違いを知ったのである。


「『成人してその意思が確かに固まった時に、彼の名前を教える』と言われて、結局叔父は二年前に亡くなってしまったので、私はお名前を知らないままだったんです……でも一番上の兄に万が一の時のために名前を伝えていたそうで、確かエクロズ様というお名前だったと思うと……それで調べてもらったら、ガララタンに長く着任しているエクロズ様というお名前の方は、お一人だけのようだと言われまして」


 シャニィがそう説明すると、彼はしばらく記憶を探るような目をしてから頷いた。


「そうですね。確か三年くらい前に、同じエクロズという名の見習いが入ってきたことはあったんですが、どうしてもカナヅチが治らなくて……結局一年くらいで転職することになりましたからね。海に落ちる可能性がある以上、泳げないと厳しいもので……だから確かに長くここに在籍しているエクロズは、私くらいだと思います」


 なんとも言い難い沈黙が場に満ちる。兄ラジアンが狂喜する様が脳裏に浮かび、内心ため息をつくしかなかったが、シャニィはとうとう観念して言った。


「……その……私も本当は少し、考えたことはあったんです……ほんの軽い、その、酒の席の酔った勢いの口約束のようなものを、叔父が勝手に本気にしてしまった可能性も、あるのではないかと……真相は私にはわからないのですが、もしそうだとしたら大変申し訳ないことを……驚かせてしまって本当にすみませんでした。私、これでおいとまを……」


 シャニィがユーシスに目配せし退室しようと立ち上がると、エクロズがひどく狼狽うろたえたような声を出して腰を上げる。


「い、いや、いや!ちょっと待ってください!シャニィ嬢!なにせ十年前……だいぶ前のことです……少し思い出す時間をいただけないでしょうか。砦の中にも来客用の部屋がありますから、もし不都合がなければそちらに何日でもお泊りいただいて……私もここに住んでおりますから、困ったことがあればなんでも言っていただければ」

「ですが、無関係かもしれないのに、急に押しかけて来た上に居座ったりしたらご迷惑では……」

「迷惑だったらこのようなことは言いません!あ、いえその、ぜひ滞在していっていただきたい。私はあなたともう少し話しをしてみたいし……この町はいい町です。見るべきところはたくさんありますから、せっかくいらしたならたっぷり観光をした方がいいですよ」


 なぜか必死で言い募ってくるエクロズに、壁際で傍観していた部下たちがにやにやしながら口を開いた。


「閣下、不審な船を狙撃しやすい位置と砦の内部以外で、シャニィ様をご案内できる場所をご存じなんですか?」

「いやぁ、私は閣下のことを誤解しておりました。類稀なる仕事人間の頭にも、ちゃんと観光っていう概念はあったんですね」

「酔った勢いの口約束にしたって、こーんな可愛い嫁のことを忘れるなんて……人間捨てすぎじゃないですかぁ?」

「仕事のことばっかり考えすぎて、報告書の文面で記憶が押しつぶされてるんじゃないですかねぇ?」


 なにやら好き勝手に辛辣しんらつなことを言い出す部下たちに、ユーシスが吹き出している。


 思わずくすりと笑ったシャニィの前に、ふいに部下の一人が膝をつき、手を取ってきた。


「美しいお方、こんなひどい冷血野郎より僕にしませんか?一応、マイアール子爵家の跡取りなので、あなたのためのお金も愛もたっぷり持ち合わせております。付け加えるなら、軍内においても順調に功績を立てていっているところです。閣下を追い抜くのも時間の問題かと」

「うるさいぞ、お前たち!あとやめろジャッツ!どさくさに紛れて手に触れるな!!仮ではあっても私の婚約者なんだからな!?」


 ばちーんと音が立つほどすごい勢いでジャッツとやらの手を振り払ってから、エクロズはシャニィの手を取りぎこちなく微笑んだ。


「ではお部屋にご案内します」

「えー、いつもは迷いなく俺らに任せるくせにぃ」

「ほんとほんと。今回こそぜひとも我らにお任せいただきたいですのにぃ」

「そこの双子!!これ以上ごちゃごちゃ言うと、次の巡回で当直を増やすからな!!……騒がしくて申し訳ない。では、行きましょうか」


 こうして、話で聞いたほど堅物には見えない仮の旦那様と、シャニィは同じ砦の中で暮らすことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る