第43話:新技特訓一日目

一晩寝て、頭スッキリで迎えた鍛錬。篝火かがりびをどかしたボス部屋の真ん中で、エアブズに切先を向けて構える。


新技の特訓。特訓とはいえほとんど棒立ちだけど。雰囲気を変えるだけだし、側から見たら何してんのってなっちゃうような特訓だなぁ。まあ、いっか。



『では始めるぞぃ』


「はーい」



深呼吸。肺に少し熱い空気を流し込んで、押し出す。流し込んで、押し出す。


エアブズに集中。陰翳を強く握り、足を肩幅に開く。


俺はこれからエアブズを殺す。四方から刃を突き付け、少しずつ少しずつにじり寄り、肉を斬り裂き血を溢させる。



『ふぅむ、特に変化はないのぅ』



エアブズの気が抜けた声で、雰囲気が弾ける。なんだか気恥ずかしくなって、軽く頭を掻いてしまった。



「ええ〜?こんなもんじゃ足りないのか…」


『もう一度じゃなぁ』


「はーい」



二度目の挑戦。


エアブズに集中。エアブズににじり寄り、首筋に刃を当てるイメージ。そこから刃が肉に溶け込んでいき、頸動脈が裂ける。勢いよく血が溢れ出し、返り血で濡れたとこが少し温かくなる。


さらに刃が潜っていき、首の半分に切れ込みが入る。硬い骨の感触を無視して、もっと奥へ、もっと深く刃を入れていく。



『やはり何も変わらんわい』



結構鮮明にイメージしてみたんだけど、変化なしらしい。実際、エアブズは眉一つ動かしてないし。



「むむ…もう一回!」



やってみないと始まらない。三度目の挑戦だ。





ーーーー





「はあ、はあ」



幸せな夢。そのはずなのに、こんなにも息が上がるなんて。



(うぅ…この夢が現実になれば良いのですが…)



この願いが叶うことを密かに祈りつつ、顔を上げます。ヨトゥンさんが満足気な表情を浮かべていました。



『二分三十二秒。だいぶ伸びてきたね』



最初は三十秒も保ちませんでしたが、今は三倍にまで到達しました。三十五回目でこの記録。我ながらなかなかいい調子だと思います。


チラッと隣を見ると、ティオナが机に突っ伏していました。耳まで真っ赤に染めて、うーっと小さく唸っています。



『あのー、ティオナさん。そろそろ再開できそう?』



小さく首を横に振るティオナ。どんな夢を見ているのでしょうか。ちょっと気になります。


軽く頭を振って、気持ちを改めます。息はまだ荒いですが、精神はまだ余裕がありますね。あと六回は挑戦できそうです。



「ヨトゥンさん…もう一度、お願い、します」


『セシリアさんは少し休んだ方が…』


「いえ、まだ、大丈夫、です…」



ヨトゥンさんは心配そうにしながらも、秒時計に指を掛けました。


甘幻の魅惑を持ち直して、深呼吸。息を整えます。


準備は万全。三十六回目の挑戦です。目標は…五分ですね。



「ーー我が見るのは甘き夢・我が聞くのは甘き声・今幸福の世界へと羽ばたかんーー


ーー《ドルチェトラオム》ーー」



瞬きの隙に、世界が切り替わります。


全身が温もりに包まれ、耳元では落ち着いた息遣いが聞こえます。余りにも心地良い雰囲気が、思考を、感情をふわふわと溶かしていきます。


前の夢の続き。甘くて、トロトロしていて、ずっと浸っていたくなるような非現実。


そんな蜂蜜のような雰囲気にとろけてしまいそうになる心を律し、心の在り方ネスティを調整。ありったけの慈悲で心を満たします。



「セシリア、寝た?」



いつもと変わらない無邪気さなはずなのに、甘さをたっぷりと含んだ声。くどくないのに、いつまでもいつまでも胸に残り続ける、とても不思議な魅惑を宿しています。


ユウトさんが小さく笑う気配がします。すぅっと息を吸う音がしました。



つぅっと耳を撫でる旋律。温かくて…甘いです。


やさしくやさしく響く歌に、柔らかく揺れる部屋の空気。曲に合わせて踊る魅惑が、心の器をトロトロに溶かしていきます。


それでも慈愛だけは、神聖魔法の心の在り方ネスティだけは、崩れ落ちてしまわないように支えます。



「かわいい…」



旋律の終わりに小さく投下された言葉。全身に熱が駆け巡ります。心の在り方ネスティが一瞬揺らぎますが、なんとか踏み止まりました。


鼓動が速まっても、頬が上気しても、心の在り方ネスティだけは保たなくてはいけません。小さく息を入れ、雑念を薄めます。


時間にしておそらく三十秒程度。まだまだこれからです。





ーーーー





本日何回目かの挑戦。二桁は余裕で超えてる。未だ変化なし!



「もう一回!」


『うむ』



エアブズに集中。目を瞑り、自分の姿を鮮明にイメージ。左に刃を開く霞の構え。


脚に溜めた力を解放。一気に距離を詰め、腹を一刺し。皮膚を抜け、肉を掻き分け、小腸を斬り裂き、腹大動脈を両断し、反対側まで貫く。


溢れ出る血のシャワーが、冷え切った体に、心に、少しだけ熱を与える。奪った命の熱を付着させ、それの終わりを声高に告げる。


絶叫が響き、血の海に沈んでいく。生暖かくドロドロとした感覚に包まれ、命の終わりを感じながら溺れる。


口内は塩気に満たされ、気道は塞がり、酸素が体から消えていく。塩辛くて痛くて苦しくて苦しくて苦しくてーー



『大丈夫かのぅ?』


「ーーかひゅ!」



肺が膨らむ。命の糧が流れ込んでくる。思考が回りだす。



「う…おぇ…」



胃袋の中身が戻ってきた。まだ苦しい。



(いま…のは…?)



涙を拭う。酸素を求める体に空気をぶち込んでいく。


それでも消えない、あまりにも生々しい感覚。血の池に沈んでいくような、そんな感覚。エアブズにカウンター幻術でもやられたんだろうか。


荒い呼吸が落ち着いてきたので、中腰を止め、立ち上がる。真正面からエアブズを見れば、心配そうに顔を歪めていた。



『急に苦しみ出して驚いたぞぃ。何があったかのぅ?』


「エアブズが…やったんじゃないの?」



口元を拭いながら聞けば、エアブズはきょとんとした顔を浮かべた。



『わしは何もしてないぞぃ?』


「え…」



困惑の風が吹く。カラカラと草の塊が転がってく気がした。ダンブルビートだかタンブルウィードだかって名前のやつ。


数瞬の沈黙と困惑が晴れ、やっと思考が働き出した。



(結局なんだったの…?)



精神攻撃にしか思えない血の池地獄。第三者の干渉…にしては意図が不明。ここで俺を攻撃するメリットなんてチリほどもない。


かといってエアブズがやったわけでもない。残る可能性はーー



(俺の妄想?まさか…ね)



過去に経験したのかってくらい鮮明な感覚だった。



(ん?待て。今の感覚…どこかで…)



自分の感想が妙に引っかかる。その正体を確かめるため、呆けているエアブズを置き去りに、ひたすらに記憶の海に潜る。



エアブズとの戦闘。


迷路での迷子。


そんでもって妨害工作。結局誰か分かんなかったし。



まあそれはそれとして。



アイオリアに聞いた魔王の話。


ふわふわ浮かぶアイオリア。


宝箱からの滑り台。



それで…首吊り自殺の夢…



それを思いついた瞬間、脳内に雷が走った。



(これだ!この時の感覚だ!)



アイオリアの魔法らしき自殺の夢。あれを見たときの感想がほぼ同じだった気がする。



(いたずら好きなんだなぁ…まあいいや)


『その顔は解決したということかのぅ』


「そういうことで。とりあえずもう一回お願い」



陰翳を下段に構えたら、エアブズがふるふると首を振った。



『その前に休憩じゃ。もう昼時じゃよ』


「え?もうそんな時間?」



ーーぐぅぅぅ


お腹が鳴った。しかもかなりでっかい音で。



『フォッフォッフォ!体は正直じゃのぅ』


「お腹空いた…」


『うむうむ!素直が一番じゃ!ほれ、ご飯にするぞぃ』



昨日みたいに、壁の穴からボス部屋を出る。相変わらず温度が心地良い。まあまだ二日目だけど。



食堂の扉を開けば、いい香りにふわっと包まれた。腹の虫が大声を上げようとするのを必死に我慢。そしたら今度はよだれが垂れてきた。



『フォッフォッフォ!いい匂いじゃのぅ』


(は、はやく食べたい…)



席に着き、合掌。



「いただきまーす!」


『うむ!わしも頂こうかのぅ』



テーブルに広がる魚料理に、ノータイムでかぶり付く。パリッジュワァが半端ない!



「うまぁーー!!」


『お褒めの預かり光栄だ』



懐かしい声だ。



九日前に途絶えたはずの、同じ死地を生きた戦友ともの声。聞こえるはずのないその声が、はっきりと背後から聞こえた。



ゆっくりと振り返る。そこに戦友あいつはいた。変わらず立派な毛並みほのおをゆらゆらとさせる、戦友あいつが。



『久しぶりだな、我が友よ』


「久しぶり〜、って生きてたの!?」



あまりにもピンピンしている姿に、びっくりして椅子を吹っ飛ばしてしまった。そんな俺の様子が面白かったのか、あいつはフッと笑った。



『フォッフォッフォ!良い反応じゃのぅ!』


『ふっ、そうだな。だが驚くのも無理もないだろう』



腕を組み、斜め上を見上げるあいつ。その顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。



『最後の一撃は素晴らしかった。我が見てきた中でも一、二を争うほどの技量だ』


『ほほう、お主にそこまで言わせるとはのぅ』



エアブズが顎髭を摩りながら、驚いたように言った。どうやら相当珍しいことらしい。なんか照れ臭い。



『そうだ、自己紹介を忘れていたな』



あいつはスルリと距離を詰め、右手を出しながら言った。



『我はカークス。今はただの獣人だ』



カッコいい笑みを浮かべるカークス。その右手を握り、俺も笑って自己紹介。



「久城悠人。駆け出し冒険者だよ」


『改めてよろしく頼む。我が友、ユウトよ』


「こちらこそよろしく」



今ここに、我が友…もといカークスが奇跡の復活を遂げたのだった。

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