7 敗走と〈蛇喰鷲〉の記憶

   7 敗走と〈蛇喰鷲〉の記憶


 この復讐が長期戦になることを徐々に覚悟してからは、何日が経過したかをしっかり数えるようにしていた。

 だが振り返ってみたとき、正確な日付を覚えている出来事は多くない。記憶力というのは生きるために必要なこととそうでないことでまるで違ってくるものらしい。

 私が攫われてから一六五日目の記憶は、そうした数少ない例外の一つだ。

 その日、〈徴税人〉の別部隊から軍の輸送車が自分たちの拠点近くを通るという情報を聞き、〈断頭〉と〈強肩〉の二人がそれを襲うことを決めた。

 ボスは二週間前から別の部隊の方に合流していた。私たちがいたのは正確には〈徴税人〉の〈断頭〉隊で、〈徴税人〉には普段別行動を取っている部隊がいくつかあるらしい。

「お前も一緒に来るか、レッド?」

 ボスが去る前日にそう訊かれたが、私は一瞬だけ迷ったふりをしてからこう返した。

「いえ、ここでボスの帰りを待ちます。ボスがいない間、私がこの〈断頭〉隊を守ります」

「そうか、たいした奴だよおまえは」

 ボスは嬉しそうに私の頭を撫でて、その夜はひと際激しく私を犯した。

 私がボスについて行けば、ボスがしばらく〈断頭〉隊に戻らない可能性がある。それを危惧していたので、残ることは事前に決めていた。私がいる限り、ボスは必ずここに戻ってくる。その確信があった。

 私はこれからも〈断頭〉隊と行動を共にしなくてはならない。ここの男たちは全員復讐の対象だ。他の隊の所属になどなって、こいつらへの復讐の機会がなくなるのは困る。

 そうしてボスが不在の間に舞い込んできたのが、軍の輸送車の情報だった。通りがかるはずの道にすぐに向かえば待ち伏せができるタイミングだった。

 トレーラーの前後を軍用車で挟んだだけの車列という話だったので、〈断頭〉隊全員で襲撃するとかえって数が多すぎるという判断で、〈断頭〉を含む三分の一は拠点に待機することになった。

 私は〈強肩〉が指揮する三分の二の方の襲撃メンバーに加わった。他に参加した少年兵の中で一番のベテランが〈蛇喰鷲〉と呼ばれる、〈強肩〉の「妻」の少女だった。

 おそらく十七歳くらいだった(本人も自分の正確な年齢を知らなかった)彼女は、少女たちの中では最年長で、面倒見もよく全員から慕われていた。

 手足の長い彼女は木登りが得意で、戦場では樹上から敵を狙撃することもあった。私も彼女から木登りや樹上での休息の取り方を教えてもらった。

「あんた見かけによらず、随分力があるのね。しかもすばしっこい。まるでサルみたいに楽々と木に登るじゃない」

 彼女の教えのおかげで、森は私にとって立体的に動くことのできる戦場だということを理解できた。

 その日、道の両側の森に潜んで待ち伏せる際にも、〈蛇喰鷲〉は樹上に陣取った。左右と斜め上からの攻撃で、車両三台分の軍人など簡単に制圧できるはずだった。

 やって来た車列の正面に、飛び出した〈強肩〉が虎の子のロケットランチャーを発射した。急停車した先頭車両が爆発で浮き上がり、後続の車も停車を余儀なくされた。そこに左右の森から銃弾を雨あられと撃ち込む。前後の軍用車は車体がライフル弾を防ぐことのできないケチな車だと聞かされていたとおり、たまらず中の兵士たちが外に出てきた。

 その日は私にとって三度目になる軍の兵士との戦闘だったが、まだ軍人を撃つことには抵抗があった。特に初めて軍と交戦したときは、ゲリラたちと違って罪のない軍人を撃つのに葛藤したし、軍に対しては投降という選択肢もあるのではないかという迷いも頭をよぎった。しかしいざ会敵してみると、相手はこちらが誘拐された少年兵だろうが構わず撃ってくる。そうなるともう殺らなければ殺られるという意識で戦いに臨むしかなかった。

 木陰から身を晒し、車から外に飛び出してきた兵士を撃つ。狙いが逸れて相手の肩をかすめる。悲鳴を上げながら片手でこちらに向けられた銃が火を噴く。当たりはしないのはわかっているが、念のため木陰に引っ込む。

 相手の銃撃が止んだのがわかったので再び身を晒す。数多の銃声が飛び交う中でもそれがわかる。私への殺気が止んだのがわかるからだ。

 この力に気付いたのは先の戦闘でのことだった。私に向かって銃を撃とうとする、その瞬間がわかる。引き金を引いて銃弾が飛び出すより早く、何かがこちらに飛んでくる感覚。第六感というより他ないが、強いて言うなら触覚・皮膚感覚に近いだろうか。私を撃とうとする寸前の殺気とか害意とか、そういうものが飛んでくる。突き刺さってくるような、強い風が吹いてそれを肌で感じるような、そういう感覚に近い。

 その殺気が止んだときが、相手の銃撃が止まるときだ。一旦撃つのをやめて移動したのだろうと相手のいた位置を見る。何のことはない。既に胸元に一発食らって息絶えていた。上方から銃声が聞こえていたから、おそらく仕留めたのは〈蛇喰鷲〉だ。

 私は先頭車両の幌に覆われた荷台の、適当な位置を狙って弾倉が空になるまで撃った。

 そこに数人の兵士が息を潜めているのがわかったからだ。

 これも最近気づいた力だった。目で見ずとも、近くにいる人間の存在が感知できる。人間のいる位置にルミナスの塊を感じられる。

 この距離だと正確な位置や人数は割り出せないが、荷台の中に三人か四人分くらいのルミナスが感じられた。だからそこに向かって銃弾をばらまいた。

 そのとき真ん中のトレーラーの荷台が開き、後ろから灰色の塊が飛び出してきた。

「何、あれ……?」

 道路に降り立ちこちらを向いたのは、人型の何かだった。

 二十世紀の宇宙飛行士が着るような宇宙服――とまで言うと大げさだが、ずんぐりとした灰色の人型の機械、いや大昔の騎士がまとう甲冑をもっと全体的に丸くした形状と言う方が近いだろうか――

「パワードスーツ……!」

 昔ニュースで見かけたことがあった。兵士が着ぐるみのように中に入って動かす兵器。

 そいつが右手を上げた瞬間、私は少し離れたより太い木の陰に飛び込んだ。一瞬後、放たれた殺気から一拍遅れて轟音が響いた。

 もはや木陰から覗き見るのも危険だったが、飛び込む前に視認していた。あのパワードスーツの右腕には機関銃がくっついていた。この銃声からして大口径の重機関銃らしい。

「あああああっ!」

 少年兵の悲鳴が微かに聞こえた方を見ると、私と一緒に誘拐された〈痩せたハイエナ〉が身を隠す木の幹に集中砲火が浴びせられていた。木が耐えられない――そう思った刹那、〈痩せたハイエナ〉の頭部が消失した。樹木を貫通した十二.七ミリ弾が、少年の頭を粉々に吹き飛ばしたのだ。

 大穴が開いた木が私のいる方とは逆に向かって倒れた。それが運悪く〈蛇喰鷲〉が樹上に潜んでいた木を巻き込んだ。彼女が悲鳴を上げながら落下するのを目撃していたのは私だけではなかったようで、パワードスーツの銃口もそちらに向けられた。

 だがそのとき、パワードスーツから一メートルも離れていないちょうど頭の高さで、手榴弾が炸裂した。

 手榴弾の投擲の名手を自称していた〈強肩〉が投げたものだった。伊達に最年長者なだけある。口だけではない、位置といい爆発のタイミングといい完璧な投擲だった。

 転倒したパワードスーツに銃弾を浴びせる。だが手榴弾の破片もライフル弾も、装甲を貫けている様子がまるでない。平然と立ち上がられてしまうが、既に〈強肩〉がロケットランチャーを担いでパワードスーツの背後に回り込もうとしていた。

 だが敵は背後に目が付いているように、急に振り向いて掃射を浴びせた。〈強肩〉は咄嗟に得物を放り捨てて森へ飛び込んだ。

 間髪入れずに私がいる方にも弾幕が張られた。後ろの車両から出てきた軍人たちだった。一人が放り出されたロケットランチャーに向かって手榴弾を投げるのが見えた。

 それが爆発した瞬間、私は身を翻して逃走した。もはやこちら側にパワードスーツを破壊できそうな武器はない。〈強肩〉は生き残っているかもわからない――距離が離れてルミナスが正確に感知できない――し、転落した〈蛇喰鷲〉に関してもそれは同じだった。生死を確認するため、軍人たちが追ってくる方向に向かうのは無理だった。少なくともあのパワードスーツの銃火が届かないところまで一刻も早く逃げなければ。



 追っ手を撒いて、何かあったときの集合地点として決められていた場所に辿り着いた。私の後で五人逃げ延びた者がやって来た。数時間待った後、最後に憔悴した顔で現れたのが〈強肩〉だった。

「――〈蛇喰鷲〉が、殺された」

 逃げ切った〈強肩〉は、しばらく身を潜めてから彼女が落下した辺りを捜索しに行ったらしい。だが近くで見つけたのは「妻」の変わり果てた姿だった。

「木から落ちたときの傷じゃなかった。――あいつら、〈蛇喰鷲〉の足を撃って、とどめを刺さずに捨てやがったんだ」

 身も世もなく泣き崩れた〈強肩〉の姿には、この男が非情なゲリラであることを一瞬忘れさせる悲痛さがあった。

 それまで私は、〈徴税人〉のような反政府ゲリラは紛れもない悪で、それと戦う軍隊は私のような少年兵を攻撃することはあっても悪と呼べる存在ではないのだと思っていた。

 だがそうではなかった。軍の人間にも残虐非道な野蛮人はいくらでもいた。

 親切にしてくれた〈蛇喰鷲〉が無残に殺されてからは、もう躊躇うことはなくなった。私にとって、軍の兵士は容赦なく殺すべき存在になった。

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