6 白の初陣、赤の誉れ

   6 白の初陣、赤の誉れ


 誘拐されて間もない頃は、ゲリラの機嫌を少しでも損なう言動を取ればその場で射殺されてもおかしくないと思っていたから、自分から口を開くことはほとんどなかった。間もなく自分がボスのお気に入りだと気づいてからは、他の兵士が私を殺すことはできないだろうと考えるようになったが、それでもボスに対しては不用意なことを口にできないという恐れは常にあった。

 だからこの質問をするまで、実に三か月もかかってしまった。

「ボス、どうして私の母を撃ったんですか」

 奴らにとって撃たなかった方がいい理由ならすぐに思いつく。

 母はまだ四十前で、化粧っ気はないがきれいな人だった。奴らのようなケダモノからすれば間違いなく欲望の対象になったはずだった。

 だが撃った方がいい理由も、今の私にはわかってしまう。

「おまえが戦士になるのに、邪魔だからだ」

 ボスは予想したとおりの答えを返した。

「親から引き離して鍛えなければ、甘ったれのガキ共を殺し屋には出来ない。そうじゃなきゃ、おまえのきれいな母親も殺さずに、親子揃っておれの『妻』にしてもよかったんだが」

 残念そうにそう語った。

「白人の私を戦士にしようとしたのはなぜです」

 銃など与えず、ただ性奴隷として監禁しておくという選択もあったはずだ。

「自分の『妻』だけ戦場に出さずにいたら示しがつかんからな。だがそれだけじゃない。父親を撃たれたおまえが俺に殴りかかってきたとき、こいつには戦士の素質があると思った。実際、訓練では期待以上の能力を見せている」

 ボスは大きな掌を私の頭に乗せた。

「まあおまえの母親には、死ぬ前に白人とは違う、本物のファックを教えてやりたかったが……後悔はしてない。おれにはおまえだけいればいい。ホワイト、おまえは最高だ。いつも言ってるだろう」

 下卑た笑いを浮かべて、私の頭を撫でる。

 ほとんどの人間は知ることなく一生を終えるだろう。人間が人間をここまで憎悪できるということを。



 それから間もなく、初めて敵と交戦する日が来た。

 自分が誰と戦わされるのかはずっと考えてきた。私を誘拐した悪人たちが戦う相手ということは、それは善良な人々だろうか? もしかしたら誘拐された私を救出するために、イギリスから派遣された兵隊さんたちかもしれない。そんな人々に銃を向けるわけにはいかない。

 自分の手で両親の復讐を遂げるという決意に偽りはなかったが、それでも無事にこの地獄から抜け出し故郷に帰れるならば、迷わず差し伸べられた手を取ったはずだ。その際に〈徴税人〉のボスや男たちを掃討してくれるなら願ったりだし、混乱に乗じて自分でボスを撃つことも可能かもしれない。もし本当にイギリス兵か、要請を受けたこの国の兵士が助けに来たら、どうやって彼らと合流しよう。安易に投降しようと出ていけば、背後から撃たれかねない。

 だがそうした心配は全て杞憂に終わった。

 何のことはない。敵は自分たちと同じような反政府ゲリラを名乗る山賊共だった。

 そいつらは誘拐した人間を鉱山に連れて行き、金を掘らせて資金源にしている連中だった(かつてはダイヤモンド等もこういう連中の資金源になっていたらしいが、現代では人工ダイヤの方が主流なのでダイヤに手を出す者は少なくなったようだ)。

 こいつらを皆殺しにして、金鉱山と周辺の土地を、そこで働かされていた人間ごと奪い取るという、計画とも言えないような計画の下、私たちの代の少年兵九人が初めて実戦投入された。

「今度の作戦では、今お前たちがいる部隊とは別の部隊と合流して事に当たる。俺たちはアジトを、新入りたちは鉱山を抑える」

〈徴税人〉には私たちとは行動を共にしていない別部隊があるらしく、今回の襲撃に必要な情報を事前に探っていたのもそちらの部隊らしかった。

 月のない夜、本隊と別部隊が敵のアジトを急襲するのと同時に、夜でも見張りが置かれている鉱山を、少年兵が主力の別働隊が攻める。身体が小さい少年兵の方が、森と違って遮蔽物の少ない環境で隠密行動を取るのに向いているというのがボスの説明だったが、私には死んでもすぐ補充できる未熟な少年兵を捨て石にしようとしているようにしか思えなかった。

 だが、この試練を乗り越えられないようなら、私の目的など到底果たせはしない。

 移動中に装備を点検し、身体の各部を色々な方向に動かし、服の中の予備弾倉やリュックサックの中身が大きな音を立てないのを確認する。夜の静寂を乱すことなく、敵に近づき、一撃で仕留める。人任せにする気はなかった。少年兵以外は数名の大人しか付いていないこの別働隊は、誰の技量も信用に値しない。

 車のヘッドライトが消え、ゆっくり走るようになった。目的地が近いらしい。しばらくすると車を下ろされる。

「ここからは歩きだ。はぐれないようついてこいよ。上手くやればみんなで生きて帰れる」

 新入りと数名の大人を指揮するのは、現地の言葉で〈断頭〉と呼ばれる男だった。この男は粗野なゲリラの中では一番態度が温和な男で、声を荒げたりすぐに体罰を行ったりということがないため、彼が指揮を執ると新入りたちは明らかにほっとした様子だった(とはいえ歓迎の儀式のときもそれ以外の日も、他の男たちと同じように少女たちをレイプしていることには変わりないのだが)。

 鉱山までの道は草木がまばらで身を隠せる場所が少ない。私たちは互いに間を空けて、〈断頭〉の指示どおり姿勢を低くしてゆっくりと移動する。目標まで百メートルもない位置に着く。思っていたより小さな岩山にはいくつか弱い照明が灯っていて、見張りらしき人間が歩いているのが見える。

 アジトに向かった本隊の攻撃準備ができるまで、敵から見つからない位置で待機する。月はなくても星明りが十分に明るい。私は自分の白い顔が闇夜に浮かび上がらないか不安になって腕で覆った。昔金髪に憧れていた時期があったが、今は闇に溶け込める自分の黒髪に感謝した。

 間もなく攻撃に入るという連絡。開始は向こうのタイミングだ。銃声が響く頃にはこちらも即座に相手を仕留められる位置に付いていたい。私は先行して岩山を駆け上がる。素早く、音もなく見張りに近づくのが理想だが、足場が不安定なので無音で至近距離まで詰めるのは諦める。斜め上、十から二十メートルのところに背を向けた見張り。ナイフを抜いて全速力で接近する。

 見張りが振り向くのと、アジトの方から銃声が上がったのが同時だった。直後、飛びかかった私の突き出した刃が見張りの胸元に吸い込まれていた。肋骨で止まらないよう刃は水平に。咄嗟に教えを守った私の一撃は致命傷を与え、押し倒された男は起き上がることさえできずに、信じられないものを見るような目を胸に突き立ったナイフに向けて絶命した。

 初めて人を刺し殺したことに何か感じている暇はなかった。銃声によって敵は既に戦闘態勢に入ろうとしていた。岩陰に身体を隠し、こちらに走ってくる敵に銃を向けた。殺す相手が攫った人を奴隷にする非道な人間であることは、私の心を軽くした。既に何の罪もない無抵抗な人間を射殺していた私に躊躇いはない。息を吐いて呼吸を止め、不用意に接近してきた敵の胴体に狙いを定める。引き金を絞るとそいつが倒れる。だが致命傷にはならなかったようで、起き上がってこちらに銃を向けてくる。

 ばらまかれた銃弾が近くの岩を削る音に気づき、身がすくんだ。この内の一発が身体を貫けば、そこで私の人生は終わる。復讐も果たせず、イギリスの地を再び踏むこともなく、硬い岩の上で冷たくなって死ぬ。考え始めると、全身を隠せる岩陰から身を晒すことができなくなった。そこでようやく私以外の少年兵と大人が加勢に来た。彼らの下手な射撃に、流れ弾が飛んでこないかと肝を冷やしたが、敵の撃ってくる弾が近くに着弾する音は途切れた。

 顔を出して様子を伺うと、岩山を何人か駆け下りてきていた。その内の一人、上半身裸で、奇声を上げて突っ込んでくる男がこちらに向かってきた。隠れてやりすごそうとしたが、見つかって先に撃たれる可能性が頭を過ぎった。それならこちらから仕掛けるべきだ。ライフルの射撃モードを、至近距離や限られた状況でしか使わないように釘を刺されていたフルオートに切り替え、飛び出した。敵が気づくと同時に銃弾をばらまく。一発だけ裸の腹部に命中する。だが男はまるでひるまず、駆け寄りながら銃を向けてくる。後にこうしたゾンビめいた耐久力は麻薬によるものだと知ることになるが、そのときの私はただただ恐怖した。

「あああああああ!」

 悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げながら、止まらない敵にフルオート射撃を浴びせた。全弾を撃ち尽くすと同時に、半裸の男は血しぶきを上げながら、つまずいて岩場から落下した。私の立っている所へ。私は穴だらけの男の身体に押し倒される格好で、岩場に背中を激しく打ちつけた。痛みで一瞬動けなくなったが、すぐに上になった男の身体を跳ね除けた。半裸の男の身体中から流れた血が、私の全身を濡らしていた。

「ひいいっ!」

 おぞましさに身の毛がよだち、顔にも飛んだ血しぶきを拭ったが、まだ敵がいるかもしれない。私は無防備に身を晒していたことに気づき、慌てて岩陰に伏せた。だがそのときにはもう銃声がやんでいた。

 勝ったのか? なら一刻も早く血と脂で汚れた身体を清めたい――だがそこではたと気づいた。私が毎日されていることは何だ。あの男に汚されきった身で、今更返り血なんかを気にしてどうなる。

 冷静になって、ふと何となく振り返った先にそれを見つけたのは僥倖だった。少年兵たちが数人一箇所に固まってしまっているその目と鼻の先、彼らの斜め後方から忍び寄っていた敵が銃を構えていた。

 空になった弾倉を取り替えている時間はなかった。

「後ろ! 敵!」

 私の警告の叫びに驚いたせいかはわからないが、直後敵兵が放った弾丸は少年兵の誰にも当たらなかった。だが恐慌を起こした彼らは散らばるように駆け出し逃げていく。敵兵は彼らから狙いを外すと、自分の邪魔をした声の方に向き直った。そのときにはちょうど私も弾倉を入れ替えている。そして私はもう知っていた。狙いは左右に修正するのは簡単だが、上下の方向に修正するのは難しくなることを。岩山のふもと側にいる相手に私は無防備に身体を晒していたが、先に見つけた分こちらの方が狙いをつけるのは先だった。

 だが初弾は相手の身体をかすりもしない。敵が撃ち返す。これも当たらないが、焦って撃った私の次の弾も、その次もまるで当たらない。敵も撃ち返す。小さく軽い金属の塊の形をした死が周りを飛び交う。何発目かが近くに着弾する。次は当てられてしまうと直感した私は、相手に向かって真っ直ぐではなく斜めに岩山を駆け下りる。これで簡単には当てられないはず。

 相手の連射が途絶えた。見ると背を向けて逃げながら、何かを取り出しているようだった。弾切れだ。私は好機を逃さぬよう、全力で背中を追いかけながら撃つ。だが走りながらの射撃は空を切るばかりだ。ようやく一発が臀部に当たって相手が倒れ込む。だが駆け寄ってとどめをさそうと引き金を引いても弾は出なかった。相手が振り向いて、逃げながら弾倉交換リロードを終えていた小銃を突き出す。だがそれより早く、私は弾切れした小銃を頭上に振り上げていた。

 顔の骨のどこかが砕けるような感触。吹き出す鮮血。私は更に銃床を叩きつける。小銃を手放した敵が掲げた両手が防御よりも、もうやめてくれという懇願に見えてきても、私は何度も銃床を叩きつけた。頭蓋骨を、その奥にある人間存在そのものを打ち砕かんとするように。男たちが無抵抗の住人を痛めつけるときと同じように執拗に相手を打ちのめした。起き上がって私に銃口を向けることが絶対にないように。

 敵の両手が力を失くして落ちたとき、もう顔面は原型を留めていなかった。自分が殴り殺したのだということがはっきりわかった。

「こりゃあ随分派手に殺ったなあ。ボスの見立ては正しかったわけだ」

 鉱山の敵を殲滅したことを確認した〈断頭〉が、私の作った死体を見て心底感心したように言った。

 死体だらけの敵アジトに向かい本隊と合流すると、ボスが私を全員の前に引っ張り出した。

「こいつの活躍を聞いたか? 初めての戦場で、刺殺、射殺、撲殺、違う方法で三人殺りやがった! 見ろ! おまえたちみんなの中で、一番返り血を浴びてる!」

 ボスが私の手を掴み、高々と掲げる。

「こいつは生まれこそ卑しい白人だが、俺たちと同じ戦士の魂を持ってる。もうホワイトとは呼ばない! 今日からこいつの名前は返り血の赤。これからはレッドと呼ぶ!」

 男たちが歓声を上げ、拳を掲げる。

 この日、望むか望まざるかにかかわらず、私は戦士として、そしてこの連中の一員として生まれ変わった。驚くことに、私自身の心にも確かに歓喜が湧き上がっていた。死と隣り合わせの状況を乗り切ったことに。そして連中の信頼を得たことに。

 復讐を遂げるためには、これから何度も繰り返さなければならないことだった。

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