マジューって何?

 翌朝、宿屋の前で待っていると、ちょっと眠そうな顔をしたガリードさんが出て来た。柔らかく下がった目尻が、眠そうな時はもっと下がったように見える。


「おはようございます!」

「おはよう、フレイナ。腫れはもう引いたみたいだな」


 ガリードさんが私の頬の様子を確認する。薄紫の瞳が落ち着いた光をたたえて、私の頬に向けられる。距離が近くて心臓がぴょこぴょこする。


「ひどい色になっている。これは⋯⋯しばらく残るだろうな」

「色?」


 そうか、あざになっているのか。腫れも痛みもほとんどなくなったので気が付かなかった。


「大丈夫です。鏡なんて見ないので、気が付かなかったくらいです」


 グレイドさんは、ちょっと困ったような顔をする。


「さ、朝飯に行くぞ」


 今日は『草を食べてくるな』と言われている。食事を一人でするのが嫌いなので、朝ごはんを一緒に食べるのも仕事のうちだとも言われた。


「マジューって強いですか?」


 確か、マジュー退治がガリードさんに依頼された仕事だったはずだ。パンをスープに浸して柔らかくしながら聞く。まだ口の中の切れた傷が治らないので、ガリードさんがこうやると痛くないと教えてくれた。


「村に出る魔獣の事は聞いたか?」


 マジューのこと自体、良く知らない。正直に言うとガリードさんが説明してくれた。


 魔獣は文字通り魔力を持った獣で、種類によって見た目も振る舞いも違う。色々いるけれど、人間の魔力を吸う点が共通している。


 人間は皆わずかな魔力を持っている。魔術師と言われる特別な人達はその魔力を使いこなすことが出来るけれど、大抵の人間は『そんなものあるんだ』程度だ。


 ガリードさんが言うには、人間の魔力は体力に近くて魔獣に吸われると病気になったり、ひどいと死んでしまう事があるらしい。


「その魔獣が、村に出ているんですか?」

「山の方でイタチのような獣に襲われる事件が増えているらしい。ただ噛むだけなんだが、噛まれた人間は異常に弱ってしまい、噛み傷の炎症が治らずに腐り落ちてしまう事もあるそうだ」


(やだ、噛まれたくない!)


「弱り具合から、ただのイタチじゃなくて魔獣じゃないかと判断して村の連中が俺に駆除を頼んできた」

「それで、魔獣学者が戦うんですか?」


 昨日、ガリードさんは『魔獣学者』と名乗っていた。


 ガリードさんは苦笑した。


「戦わないな。魔獣学者は、魔獣の生態に詳しい人間のことだ。知識を使って魔獣の害を避ける方法を教える。結果的に退治することもあるが、俺は魔獣といえどもむやみに傷つけるのは好きではない。人間に害を与えない方法を考える」

「そんな方法があるんですか?」

「例えば⋯⋯」


 ガリード先生はズボンにたくさんついているポケットの1つから、卵のような大きさの丸いものを取り出した。金属の網で出来ていて、中に枯れ草のようなものが詰まっている。


「これは香り玉と言って中に香草が詰まっている。燃えにくい草で覆った中に乾燥した香草が入っていて、そこに火をつけるんだ。そうすると、香りが立つ。この草の調合を変えて、それぞれの魔獣が嫌がる香りを出すことが出来る」


 鼻を近づけたけど、ただの草の匂いだった。


「人間には分からない。適切な香草を調合して、人が持ち歩いたり場合によっては大掛かりに焚いたりする。今回も初めに魔獣の正体を特定して、適切な香草を調合する事になるだろうな」


 今日は山に行って魔獣の痕跡を探すそうだ。朝食後に宿に戻ったガリードさんは小さめの荷物を持って出て来た。


「これを持ってくれるか?」


 ガリードさんが背負っていたよりも小さなリュックだ。私でも楽に担げる重さで、中に香草などが入っているらしい。


 山への道は私が分かるので案内する。


「村長の息子が噛まれた痕を見たんだが、恐らくヒューリエじゃないかと思う」


 イタチのような2~30センチくらいの大きさの魔獣で、狂暴ではないけどすばしっこく、姿が良く見えないうちにガブっと噛まれて魔力を吸われてしまうらしい。


「やっかいなのが、ヒューリエには何種類もいて、それぞれ嫌う香草が違う。捕らえるのは難しいだろうけど、まずは痕跡を探してみようと思う」

「痕跡って、何を探せばいいですか?」

「そうだな、糞尿や足跡、食べ物や木の噛み痕なんかだな」


 基本的には普通の獣の探し方と同じようだ。ガリードさんと私は、腰に卵型の香り玉を下げている。さっきと同じで私には草の匂いとしか感じないけれど、これで大抵のヒューリエは近寄ってこない。村の近くから追い出す程の効果まで求めるなら、ヒューリエの種類に合った香草を選ばなければならないらしい。


 齧りかけの木の実や、糞、足跡を見つける度にガリードさんに報告して確認してもらう。どうやら、私は見つけるのが上手いらしく、ガリードさんはご機嫌な様子だった。


「これは、本当のイタチの噛み痕だな。さっきのと比べて見ろ。⋯⋯ほら、ヒューリエの方が牙の痕が小さいだろう。牙が細いんだ」


 私にもだんだん見分けが付くようになってきた。迷子にならないよう、木に印を付けながら探索を続ける。村から離れて普段来ないような山奥まで来ている。


 途中、お昼休憩も取ってくれた。何と、私が背負っているリュックにはお弁当まで入っていたのだ。ガリードさんが食堂で作ってもらっていたらしい。


(1日に3食、こんなにちゃんとしたご飯食べるなんて贅沢すぎる!)


 母が死んでからは初めてかもしれない。


(ずっとガリードさんに雇ってもらえたらいいのにな)


 夕方に差し掛かる頃だった。傾斜がきつめの坂を登った所に大量の糞が見つかった。周りには大木が多く生えている。


「この辺りに巣がありそうだな。木の根元を重点的に調べてくれ」


 二人で地面を慎重に調べる。穴があってもただの根の隙間だったり、別の生き物の巣だったりして、目当てのヒューリエの巣穴はなかなか見つからない。


「ヒューリエは群れで巣穴を共有するんだ。あれだけの糞の量だから、それなりに大きな穴だと思うが」


 少し小さめの木の根元に、不自然な膨らみを見つけた。覆い被さっている木の葉の下が、もごもご動いている気がする。


「ガリードさん!」


 小声でガリードさんを呼ぶ。ガリードさんは膨らみを見ると、黙って頷いてくれた。私のリュックから香草の束を取り出し、変わった紙で包んで中に火をつけた。


「もう少し後ろに下がっていろ。香り玉はちゃんと持っているな」


 ヒューリエの種類を判断するのは、毛の色と目の色だそうだ。私も見逃さないよう視線を膨らみにしっかり合わせた。


 ガリードさんがじりじりと膨らみに近づき、香草を地面に置き、足で膨らみに向かって蹴りつけた。


「「「キュイーッ!!」」」


 金切声と共に、中から数匹の獣が飛び出してきた。


(薄緑の毛に、赤の瞳!)


 それはそのまま、私の方に向かって来る。


(やだ、齧られる!)


 ヒューリエは素早いと言っていた。走って逃げても追いつかれそうだ。とっさに、上着を頭の上まで引っ張り上げて地面に丸くなった。手も袖の中に引っ込めて素肌を出さないようにする。背中にはリュック。これで多少は防げるだろうか。


「そのまま、丸まってろっ!」


 ガリードさんの声が聞こえたと思ったら、体がふわっと浮いた。リュックごと持ち上げられたようだ。バサバサと何かを振り回しながら、ガリードさんが山を駆け降りる。荒い呼吸が聞こえる。


 しばらくすると立ち止まり、そっと地面に降ろされた。ガリードさんは真っ赤な顔をして地面に座り込み呼吸を整えている。振り回していたのはガリードさんの上着のようだ。飛び掛かって来るヒューリエを振り払いながら、私を抱えて逃げてくれたようだ。


「ったく、何だあれは。あれだけの香草を焚いたのに、こっちに向かってくるなんて。子供の魔力が好きなのか?」


 ヒューリエは臆病なので好んで人を襲って魔力を吸うよりは、危険を感じて攻撃するついでに吸うはずなのに。香草を避けて逃げる姿を確認する予定が、なぜか全部が私に向かって来てしまった。ガリードさんが心配そうに私の姿を確認した。


「お前、どこも噛まれてないな?」

「はい、どこも噛まれてません!助けて頂いてありがとうございました。ガリードさん力持ちですね」

「お前、軽すぎるぞ。草以外もちゃんと食え」

「私、毛の色と瞳の色、見ました」


「「――薄緑の毛に、赤の瞳!」」


 二人の声が重なる。ガリードさんがにやりと笑った。


「さ、今日は戻るぞ」

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