第9話 時間の過ごし方

 お風呂に入って二階で一人。

 壁に寄りかかって窓の外を見る。暗くなった外は、風が渡って木を揺らしているだけで、見ていても面白いことはない。


 こんな時に、今までだったらスマホを見ていた。SNSをチェックして、好みの動画をチェックして、それから友達とメッセージを交わして。時間なんてあっという間に過ぎて渋々ベッドで横になる。

 毎日、そんな感じに過ごしてきた。

 なんに変哲もないありがちの過ごし方。


「時間って、こんなにゆったり流れるんだ」


 今までの人生は、あの崖の下にぶっ飛ばして捨ててきた。

 幽霊の幽子さんとなった私は、スマホの契約が出来るはずもなく、私は、それまでの中沢理恵子の生き方を全部放棄した。


 スマホは……ちょっと惜しかったかもしれないけれども。

 スマホ……買いたい。お金を貯めたら、どうにかチャレンジしてみようか。


「何をボケッとしておるのか」


 声に振り返れば、官兵衛がいる。

 畳の上で、前足をテチテチと舐めて毛並みを整えている。


「ボケッとって何よ。仕方ないでしょ? スマホも持っていないんだよ? どう時間を過ごせばいいのかも分からないよ」

「情けない! 最近の若者は、あの小さな箱に支配されて、自分で時を過ごすことも出来んのか」


 官兵衛が、ハ~、ヤレヤレと、首を横に振りながら呆れている。


「うるさい。招き猫には分からないのよ。あのスマホと言う箱の有能さを!! 分かる? 世界のいろんなところに繋がって、アイドルの今日のご飯から明日の天気まで。欲しい情報は瞬時に手に入るのよ。夢中にならないわけがないじゃない」


 招き猫相手に私は、スマホの素晴らしさを力説する。

 ふうん。

 官兵衛は、力説する私の話を、静かに聞いてくれている。


「そんなに欲しいならば、また買えばよいであろう? 修平ならば、給料の前借りも快く引き受けてくれるであろう?」

「それが、そう簡単ではないのよ。あれ、お金を出せばそれだけで買えるという代物じゃなくって、買うためには、身分証明書とか色々必要なのよ。私は、今までの中沢理恵子の人生を捨ててしまったのだから、ちょっと……ね」

「家族に居場所がばれる?」

「そう! それがまずいのよ。そうしたら、家族に連れ戻されちゃう」


 それは、困る。せっかく偽名で生活を始めたのに。


「ふむ。何がそんなに困るのじゃ? 家族は、お前が嫌がるならば、無理に結婚しろと迫らないだろう?」

「……そうなんだろうとは、思うんだけどね。でも、じゃあ、今まで渡したお金を返せって話に絶対なるでしょ? それで無理にお金を返したら、家の生活は大変になると思うの。弟の学校の費用も必要な時期に、それは嫌なの。私が勝手に引き受けた話なのだから、私がお金を返して、私がケリをつけたいの」


 そのための幽霊の幽子生活だ。


「ま、せいぜい頑張るのじゃな」

「頑張るわよ。それしかないじゃない」


 官兵衛は、目を細めてニャンと鳴く。

 官兵衛なりに励ましてくれているのだろう。


「あ、ねえ。修平君は?」

「明日は早いからな。もう寝ている」


 早っ! まだ……九時くらいでしょ?

 そう……か。仕入れとかあるものね。

 修平君の時間の使い方は、どうやら中沢理恵子の人生とは全く違う時間の使い方をしているようだ。

 修平君の人生の時間の使い方に興味が湧く。


「明日は、そういうのも手伝ってみようかな」

「お前にできるのか? 明日は、午前四時には起きるのじゃぞ?」

「で、出来るわよ。それくらい!」


 出来ると言い返してみたものの……。

 官兵衛の一言で、私は、自分の不用意な言葉をすぐに後悔した。

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