最終話

数日経って、体調が安定したマレリィは、少しずつ表へ出るようになった。


後宮で働く者達に大きな変化はなかったが、日々を過ごす内にマレリィの人となりを知り、敬う者も親愛の念を持つ者も増えていく。

相変わらずザクバラ国への忌避きひを露わにする者もいたが、マレリィは意識して顔を伏せるのをやめた。


エレイシアは相変わらずマレリィを頻繁に訪ね、出来る限り公務を共に行った。

多くの正妃と側妃との間に起こり得る、嫉妬や衝突などは、彼女達の間には縁のないものに思えた。


時には友のように、時には姉妹のように。

二人は共にあり、そして、そこに時折王太子が加わる。



年が明け、マレリィの腹が誰の目から見ても大きく映る頃、エレイシアの懐妊が告げられた。


「おめでとうございます、エレイシア様」

涙を浮かべて祝いを述べるマレリィの腹に手を伸ばし、エレイシアは嬉し気に語りかける。

「そなたの妹か弟が生まれますよ」

二人は顔を寄せ合い、ふふと笑い合う。


「あー…、父親の私が入る余地を残しておいてはくれぬか?」

知らせを受けて飛んできた王太子が、部屋に入るなり仲良く微笑み合う二人を見て、複雑そうな顔で言う。

二人は更に楽し気に笑った。




その年の火の季節の末、マレリィは第一子、王女フレイアを出産する。

予定よりも随分早い出生となったが、母子共に健康で安産だった。

しかし、陣痛からずっと付きっきりだったエレイシアは、誰が子を産んだのかという程に疲れ果てた様子だ。

「おめでとう、マレリィ。おめでとう、フレイア」

そう言って、泣きながらヘタリと座り込んでしまった妊婦のエレイシアを、周囲の者達が慌てて寝台に運ぶ。

薬師が彼女を診ているその場に入ってきた王太子は蒼白になったが、事情を聞いて、呆れるやら苦笑するやらだった。



翌年、難産の末にエレイシアが産んだのは男子で、第一王子エルノートの誕生に国中が喜びに湧いた。


マレリィは、寝台の側でエレイシアと手を握り合う。

「おめでとうございます、エレイシア様」

喜びに声を震わせるマレリィに、エレイシアは握る手に力を込める。

「男の子だったわね。……マレリィ、これで、貴女の心を少しでも軽く出来たかしら……」


正妃が第一王子を授かるべきだと、マレリィはずっと思っていたはずだ。

その願いを叶えることが出来て、エレイシアもまた、荷を下ろせた気がした。


二人は微笑み、抱きしめ合った。




翌年、王の崩御により、王太子はネイクーン国王の座に就き、エレイシアは王妃となる。

その頃には、常に一歩下がった立ち位置で夫妻を支えるマレリィの存在は、側妃のかがみとして、好意的に認知され始めていた。


数年後、マレリィが第二子である第二王子カウティスを出産すると、続けてエレイシアが第二子を懐妊する。

王家は喜びに溢れていた。


しかし、エレイシアの第二子出産は、困難を極める。

何とか産まれた第三王子セイジェは、小さく軟弱で、育つかどうか危ぶまれた。

エレイシア自身も産後の回復がままならず、寝台から起き上がれない日々が続いた。




「マレリィ、お願いがあるの」

ある日、見舞いに訪れたマレリィに、エレイシアは細い声で話し掛けた。

二児の母になっても愛らしい彼女の顔は、今は紙のように白く、やつれていた。

「……私が死んだら、貴女に王妃の座を継いでもらいたいの」

周囲の者達が息を呑み、侍女頭が思わず、何を仰るのですか、と小さく漏らしてしまったが、マレリィは静かに寝台の側に座っていた。


彼女は少しも動じず、やがて口を開く。

「お断り致します。私は決して王妃の座には就きません」

周囲の者達は更に息を呑んだ。

「マレリィ……」

「代わりの王妃が必要だと仰るなら、貴族院の釣り合う令嬢をお迎え致しましょう」


サッとエレイシアの表情が変わった。


「いやよ! それは駄目!」

「それならば、弱気なことを仰らないで!」

マレリィがギュッと眉根を寄せ、初めて声を張った。

いつも控えめで物静かなマレリィのその声に、部屋の中はしんと静まり返る。


「陛下の代に、王妃はエレイシア様ただお一人です。私も、他の誰もその座には就けません」

マレリィは厳しい目線でエレイシアを見詰める。

エレイシアが王を愛し、心の底ではその隣を自分以外に譲りたくないことを、マレリィは知っている。


「庭園の花になるのだと、仰ったではありませんか。枯れて落ちるまで、精一杯力を尽くして咲くのだとお約束して下さったはず」

エレイシアは目を見張る。

「私達は、まだ咲ききってもおりません。次に咲く者達に、種を蒔くことすらせずに落ちるなど許しませんわ!」


初めて向けられたその強い声と瞳に、エレイシアは唇を震わせる。


「……王妃になること以外であれば、どんなことでも致します。力を尽くし、お支えします。ですからどうか、お心を強く持って下さい」

マレリィは寝台の上でエレイシアの手を強く握り、額を落とした。


「家族となって、一緒に生きようと言って下さったではありませんか……」


エレイシアの瞳から、雫が溢れた。

マレリィの手を、今出し得る限りの力で彼女は握り返した。



居室を出たマレリィは、全身に震えが走って壁に手をつく。

エレイシアに対して初めて声を荒げ、強く反抗したことに、自分でも驚いた。


「マレリィ様」

侍女が前を示すので、弱々しく顔を上げる。

廊下の少し先に、王が立っていた。

マレリィの声は、居室の外にも漏れていた。

王は唇を引き絞り頷くと、黙って側に寄り、マレリィを優しく抱きしめたのだった。




それから約三ヶ月程、マレリィは王妃の公務を完璧に代行した。

エレイシアは徐々に体力を回復し、彼女が四ヶ月目に公務に復帰すると、マレリィは代行業務から速やかに退いて側妃の役割に戻り、王妃を支えた。


三人の関係は、他の者は入り込めない、特別なものだった。


それから十四年後にエレイシアが病に倒れて亡くなるまで、国境の河川氾濫で両国間に再び紛争が起こっても、三人の関係が変わることはなかった―――。






早朝、内庭園に足を踏み入れたマレリィは、紫の細身のドレスを揺らし、奥へと進む。

侍女を途中で留め、一人で長椅子の置かれた側まで来ると、ゆっくりと辺りを見回した。


周囲には白い大輪の花が咲き誇り、朝の澄んだ空気に、甘く温かな香りが漂う。

担当の庭師が変わっても、この時期には必ずこの花を咲かせるように頼んであった。


「……今年も、見事に咲きましたね」

マレリィは独りつ。

大輪の花が揺れる側に、エレイシアが白いドレスを風に揺らして立ち、こちらを振り向いて微笑む。

……それを見た気がして、マレリィは表情を緩めた。



「今年も美しく咲いたな」

「陛下」

入り口側から、王がこちらに歩いて来た。

銅色の髪には白いものが多く混じり、目尻の皺も深くなったが、その立ち振る舞いは危なげなく力強い。

エレイシアの一番好きだったこの花が満開になる頃、約束をしていないのに、よく二人はここで顔を合わせた。


そして、在りし日のエレイシアを想う。


互いに歳を重ねたが、二人の関係は、いや、三人の関係は少しも変わっていないのだった。


「……来年は、ここでそなたとこの花を愛でることは出来ないかもしれぬな」

年が明ければ、王は譲位して王座を退く。

エレイシアが亡くなっても、マレリィは内庭園の造りを一切変えなかったが、新しい王妃がその座に就けば、庭園のおもむきも変わるだろう。


「どんな花も、花は花でございます。いつか枯れて落ちるまで、精一杯咲きますわ」

王が隣に立つマレリィを見れば、彼女は満足気に目を細めている。

「そうしてまた散り、次の花が咲く。それこそエレイシア様が思い描いていた生涯でございますもの」


王がマレリィの手を握ったので、彼女は顔を上げる。

柔らかく光る青空色の瞳と視線を交わし、二人はふと微笑み合った。




そろそろ準備の時間だと、侍女に告げられて、二人は内庭園を後にする。

今日は、王太子エルノートの婚約式が行われるのだ。


ネイクーン王国に、また新しい王と王妃が立つ。


その行く末を見守り、いつか枯れゆくまで、私は己の生を精一杯生きましょう。

胸の内で呟いて、マレリィは振り返って内庭園を眺めた。


風が吹き、甘やかでいて力強い花の香が流れて、マレリィは目を細める。


「マレリィ、行こう」

前を向けば、王がこちらを見て手を差し出す。

彼の髪に蜂蜜色の陽光が降り、温かな金色に輝いて見えた。


「はい、陛下」

マレリィは微笑んで、降り注ぐ陽光と共に、その手を取った。




《 完 》



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

庭園の花 幸まる @karamitu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ