誰かのために
三鹿ショート
誰かのために
私は、他者の前に立つことが苦手だった。
本来の実力を発揮することで、多くの人間よりも前に立つことは可能であるが、それは余計な争いや嫉妬を生んでしまうからだ。
ゆえに、私は常に中間あたりで留まるようにしていた。
その結果、私の実力以下の人間に利用されるようになっていたが、その現状に不満は無かった。
私の行為によって他者が喜んでくれることが、私にとっても喜びだったからだ。
***
本当のところを言えば、私が他者に利用されることを望んでいる理由は、己の失敗を恐れていたということが大きい。
自分の意志で行動した結果に訪れる失敗というものを味わうことを、私は嫌っていたのだ。
自分で選び、自分だけで進んだ道では、全ての責任は私に存在している。
だが、他者の命令によって動くということは、たとえ私が失敗をしたとしても、それは他者の命令に従ったことが原因だと、言い訳をすることができるようになるということである。
しかし、失敗ばかりでは愛想を尽かされるために、他者の望みを叶えることができるように、私は自身を鍛えていた。
その結果、私は他者の依頼を見事に叶える人間として評判を博し、自然と私は人々から頼られるようになった。
人々が見せる笑顔は、私も笑顔にさせる。
この生き方は、誰にとっても幸福なものに違いない。
***
会社の上司に紹介された女性は、美しい人間だった。
私は一瞬にして心を奪われ、彼女もまた、私という人間を気に入ったらしい。
だが、私は一歩を踏み出すことができなかった。
彼女と交際を開始するということは、彼女と対等な存在と化すということになる。
他者のために生きることを常としていた私にとって、そのような存在に対してどのような言動を示せば良いのか、まるで分からなかった。
彼女が喜ぶようなことに専念すれば良いのだろうか。
しかし、そのようなことをしてばかりでは、使用人以外の何物でもない。
時には争い、互いに譲ることができない事柄を示す必要があるのだろう。
だが、私はそのような争いを嫌っている。
ゆえに、彼女と同じ想いを抱いていると知りながらも、私が彼女と深い関係に至ることはなかった。
今では、彼女は別の男性と交際しているらしい。
***
私の生き方は、何時までも変化することはなかった。
誰とも争うこともなく、ただ誰かのために生きていた。
周囲の人間は、私のことを友人や同僚ではなく、自分のために役に立つ人間として認識しているようだが、それでも構わなかった。
***
病気で入院することになった際、私が密かに期待していたことがある。
それは、これまで私が助力をしてきた人間たちが、揃って見舞いに訪れるということだった。
見舞いに来ることで私に対する恩返しと化すわけではないが、これまで私が力を貸していた分、心配してくれるだろうと考えたのである。
自分が弱ったときに手を差し伸べてくれることを期待して、これまで誰かのために尽くしていたという考えも、私の中には存在していた。
第一は他者が喜ぶ顔だったのだが、それによる副産物を堪能したところで、罰があたることもないだろう。
しかし、私を見舞う人間は、存在していなかった。
私が入院していることは知っているはずだが、何故誰もやってこないのだろうか。
何かの間違いだと考え、期待を捨てることなく日々を過ごしていったが、何時の間にか私は退院していた。
私は、手にしていた鞄を地面に叩きつけた。
***
実は入院していたということを伝えると、相手は揃って驚いた顔を見せた。
そして、決まって予後を心配するような言葉を吐いた。
その反応から察するに、誰も私のことを気にしていなかったのだろう。
これまで尽くしてきた私に対する反応としては、随分と冷たいのではないか。
だが、そこで私は気が付いた。
たとえ私が存在していなくとも、他者にしてみれば、他に頼る人間は幾らでも存在しているのだ。
私ほど満足することができるような対応を見せるわけではないが、それでもその場を凌ぐためには充分な働きだといえるだろう。
ゆえに、私の姿が無かったとしても、他者にとってはそれほど大きな問題ではないのだ。
今さらながらそのようなことに気が付くとは、なんと愚かな人間なのだろうか。
それから私は自宅に籠もり、これまでの時間を取り戻すかのように、己の好きに過ごすようにした。
***
自分のために生きることで分かったことといえば、やはり私は、他者のために生きることを喜びとしているのだということだった。
三日ほど閉じこもっていた部屋から飛び出し、私は再び、他の人間のために働くことを始めた。
誰もが私を利用するだけではあるものの、私が不満を抱くことはなくなっていた。
他者が己の利益のために私を利用するように、私もまた、己が満足するために他者を利用しているだけだったからだ。
今日も私は、他者が見せる笑顔で、笑顔と化す。
それは、幸福であるということの象徴以外の何物でもなかった。
誰かのために 三鹿ショート @mijikashort
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