つかれる世界

縁田 華

「つかれる」世界

 この世が誰かの夢だとしたら、これ程後味の悪い夢もないだろう、と俺は思う。誰かの夢の中という脚本の中で、俺は道化を演じているのだから。でも、いくら頰をつねってみたところで、現実が変わる筈はなく、俺は今日を生きねばならないという事実に直面する。




 何気なく、ふらっとコンビニに訪れた俺は、新聞を手に取り、中にあるカラー広告を見た時、「なんて馬鹿な話だ」と思っていた。一面まるまる使ったそのページには、「あなたの夢を叶えます!昨日までのあなたにサヨナラ!今日から別人に生まれ変われる!」と大きな明朝体で書かれているのだ。どうせ整形か何かだろう、と思っていたらどうも違うようで、下まで目をやると、

「理想的なあなたに生まれ変われます!整形ではありません。あなたの精神をデータ化し、好みの身体に移し替えるのです」とあった。つまりは、身体だけなら丸ごと生まれ変われてしまう訳で。だが、そんな都合のいい話などある筈がない。少なくともリスクはどこかにあるだろう。新聞広告の一番下には電話番号が載っている。市外局番らしく、三桁の番号から始まっていた。もしかしたら、小さな事務所みたいなところなのかもしれない。気にすることはない、と思って俺は新聞をラックに戻した。




 今日は休日だからすることがない。友達もいるにはいるが、スケジュールが合わないなどで顔を合わせることが出来ない。家でテレビを見たりゲームをしている方がマシかと考え、俺はマンションへ帰ってきた。一人暮らしだから、自分以外は誰もいない。ワンルームで、家具も必要最低限のものしかない。窓には藍色のカーテン、パソコンは黒いノートパソコンで、ロフトベッドの上の段には藍色の布団が敷いてある。下の段は机というかワークスペースになっているからだ。折りたたみ式テーブルの上には透明なコップとテレビのリモコンがあるだけ。冷蔵庫の中には缶詰やレトルト、フリーズドライの保存食がある一方、生野菜や生の肉などはない。自炊が面倒くさいのだ。




 俺は何をするでもなく、テレビを見て暇を潰すことにした。テレビの中にはいつもと変わらない、朗らかなバラエティ番組が映っている。どうやら数年前の再放送のようで、画面の上の方にある白いテロップにもそう書かれていた。思い切った企画という訳ではないが、それなりに面白いものではある。そのままずっと見ていると、十五分は経っただろうか。いつの間にかコマーシャルに切り替わっていた。たわいもないやつが二つ、三つと流れて来るが、四つ目を見た時、

「あっ‼︎」

昼間の新聞にあった広告と同じものが流れてきた。ブサイクな女性が理想の身体を得たというエピソードの後に、

「今ではこんなにお洒落が楽しめるようになりました」

と笑顔で言う。確かに画面の中の女性は人間離れした美しさだった。彼女の昔の写真は、明らかに肥満体で、その上目も細い。口も小さく団子鼻で美人とは呼べなかった。これで整形をした訳ではない、というのだから驚いている。コマーシャルの最後には問い合わせ先なのか、電話番号が出てきた。あまりにも気になって仕方がないので、俺は急いでメモ帳とボールペンを持ってきてメモをした。





 二日後、俺はスマホで件の会社に問い合わせることにした。真実が気になって仕方がないのだ。高確率で「企業秘密です」と返されそうだが、それでも知りたいものは知りたい。今はもう夜の七時で、俺は工場からの帰り、中々来ないバスを待ちながらメモに書いた番号をタップした。すると、すぐに繋がり、

「もしもし、こちらPTラボでございます。ご用件は何でしょうか?」

「えっ……と、ですねぇ……。お聞きしたいことがありまして……。気になったことがあるんですよ。魂のデータ化などについて」

「かしこまりました、では明後日の三時以降でしたらお教えできます。タケダビルの地下一階まで来ていただけますか?」

「はい、分かりました」

「それでは失礼します」

その言葉の直後に電話が切れた。




 約束の日、俺はタケダビルまでやってきた。エレベーターの下りボタンを押すと、すぐにドアが開いた。「B1」のボタンを押した後、ゴウンという音と共にドアが閉まり、カゴが下に降り始める。地下一階にしては随分と下の方まで行くな、と思いつつ、漸く「B1」の下にあるランプがピカピカとオレンジ色に点滅し始めた。

「もうすぐ着くんだな……」

ゴトン、という音とともにドアが開き、俺は暗い廊下を歩いていった。




「ようこそ、PTラボへ。あなた様は、昨日電話をされた方ですね」

「え、あ、はい。高森です。本日はよろしくお願いします」

「では、高森様、私浅木が案内いたします。着いてきてくださいませ」

俺は、スーツを着た男性……もとい浅木に言われるがまま、後ろへついていくことになった。周りをキョロキョロ見渡すと、まるで水族館のような暗さだ。受付の目の前には一対の椅子と、それに挟まれるようにして円いテーブルがある。水槽はないが、近くには観葉植物の植木鉢があった。床は鏡のように磨かれていて、暗くても俺の顔が映りそうだ。それ以外には特に何もない。殺風景とも違う、黒と水色で占められたスタイリッシュな空間だった。




 奥にある自動ドアの向こう、無数の試験管の中に、老若男女問わず裸の人間が液体の中に浮いている。いや、厳密には老人はおらず、中年までと言った方が正しいだろうか。中には赤ん坊もいるし、若い女性もいる。まるで映画でも見ているかのような光景だ。

「一体コレは……」

「コレはですね、精子バンクから取ってきた精子と卵子を掛け合わせて作られた、美しい人間達です。攫ってきた訳ではございません。顔は皆整っているし、運動能力にも問題はない筈です。思考も意識もありませんが。彼らはこのラボを訪れる人間達の為に生まれてきました」

「……究極の、美容整形」

「旧来の美容整形とは訳が違いますね。だって、他人に魂を移植するのですから。だから、遺伝子は美しい人間を産む方向に作用しますし、美しさから自信もつく。一石二鳥でしょう?」

「まさか、遺伝子を弄ったんですか⁈」

「まあ、そういったこともたまにはありますね。高森様、何故、誰がこんな技術を開発したのか、お聞きになりますか?」

「……はい」

「では、こちらへどうぞ」

そう言って、浅木は俺をまた別の部屋へ案内した。今度はどうやらガラス張りの、小さなオフィスらしき部屋のようだ。




 通された部屋の机には、一台の黒いノートパソコンが用意されていた。俺と浅木は向かい合って座り、浅木がパソコンのモニターを見せる。

「こちらが、当社独自の技術『サイバーポゼッション』でございます。この技術は、今から数年前に、一人のハンガリー人の女性科学者の手で生み出されました。彼女はその時既に年老いていましたが、若い頃の美しさに執着し、結果としてこの技術を開発したのです。最初は彼女だけのものでしたが、美しさにこだわりを持つ者がこの世に何人もいると知り、すぐにこの技術を広めました」

浅木がマウスをカチカチと押すと、次のスライドに切り替わった。

「それ以降は、美しくなりたいと思う人たち向けにこの技術を発展させ、今に至ります。特許も取得済みです。次は、メカニズムについてですが、こちらをご覧ください」

彼はまたマウスをクリックし、スライドを切り替える。すると、沢山のカラフルな図形の上に文字が書かれた分かりやすい図が現れた。

「これは……」

「『サイバーポゼッション』のメカニズムです。分かりやすく言えば、魂をデータ化した後、任意の人物に憑依します。ちなみに意識のある人間ですと大体一週間、意識のない人間ですと一時間程度で完了します」

「ひぃ……」

「次に、魂が抜け落ちる条件ですが……」

「もういい、もう沢山だ!こんなイカれた技術に手を出すつもりはない!」

俺は席を立ち、乱暴にドアを開けてフロアの中を一目散に走った。イカれてるし、あの人間達が可哀想だ。何より恐ろしい。




 エレベーターのドアが開き、俺はそのまま飛び乗った。やっとこのイカれたラボからおさらば出来ることにほっと胸を撫で下ろす。ドアの向こうはいつものように夕焼けの空が広がっていて、カラスの鳴き声が聞こえる。そうだ、美しくなろうとしなくても、俺は充分やっていけるんだ。




 その数ヶ月後、俺は何故だか高校生くらいの、車椅子の少年に公園の遊歩道で追いかけ回されていた。恐らくは彼は健康な足が欲しいのだろう。

「おじさーん、待ってください!」

「待てるか!」

そのうちに捕まってしまい、彼は目の前で首を掻き切った。少年は息絶えたが、その直後、俺の脳に変化が起こる。そう、少年の意識が入り込んできたのだ。

「もう少し、もう少しだ……。やっと、みんなと同じになれる……」

そんなことを口にした俺は、最早俺ではなくなりつつあった……。

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