後編

 「九十九つくも、ごめん。いきなり呼び出して」


 部活終わりの校舎裏。日が当たらないだけで随分と涼しく感じる。耳を澄ましてもセミの声しか聞こえない。

 先ほどグラウンドを見たが午後練をしている部活はもうなかった。仮にまだ帰っていない生徒がいたとしても、わざわざ校舎裏に来る可能性は0に近い。


 直接会わなくても伝える事は出来たと思う。面倒ごとは嫌いだ。変な噂になりそうな行動は出来ればとりたくない。だが、これは俺の問題だ。しっかりと向き合ってけじめをつけないと。


 心を決めて彼女を見つめる。


 黒くて長い髪。日陰にいるはずなのに見ただけで艶感が伝わってくる。多分身長は150センチもないんだろう。小動物を連想させる小柄な体格と握れば簡単に折れてしまいそうな小さな手。前髪からちらりと見える泣きぼくろも、文化部独特の白い肌も、風に乗って伝わる甘い香りも。

 驚くほど全部が俺の好みだった。


 「あー……ちょっと九十九に確認したいことがあって」


 「う、うん……何?」


 少し長めの前髪。若干下を向いているせいで目元が完全に隠れて表情が読めない。しかし赤く染まった耳と忙しな動く手が、充分過ぎるくらい好意を伝えてくる。

 もっと早く気付けばよかった。部活なんかに熱中せず、もっと周りを見ていれば。後悔しても遅いのは分かっている。それでも自分を責めずにはいられない。




 充分過ぎるくらい時間をかけた。この関係もここで終わらせよう。




 「これ、九十九のだよな」


 ポケットに入れていたアルミホイルの塊を取り出す。幾重にも巻かれたアルミホイルをベリベリと剥がすと中から黒い物体が出てきた。


 「鞄を落とした時に偶然出てきて。見覚えないから、もしかしたら他の誰かの物かもしれないと思って部室で聞きまくってさ」


 大きさは500円玉ぐらいで材質はプラスチックだろう。最初はボードゲームの駒かと思った。ふと瞬間に謎の場所から昔のおもちゃのパーツが出てくる。そういう経験は割とあったから、あまり深くは考えていなかった。


 だが実際はおもちゃなんて可愛い物ではなかった。


 「ガチでビビった。これ盗聴器なんだな。面白半分でサッカー部のみんなと調べまくってたら、ネットに同じ画像出てきてさ。最初は果穂に問い詰めたんだ」


 この夏、部員の次に一番会っているのは果穂だ。鞄に入れるチャンスはいくらでもあるし、彼氏を監視するって目的で入れる可能性もあり得なくはない。驚きはしたが、そうあって欲しいと思う俺がいた。


 「でも違うって。私は太陽を信じてるから盗聴なんてしないって。で、しばらくしたらお前の名前がでた」

 

 多分、果穂は最初から気付いていた。盗聴器を仕掛ける人間なんてそういない。犯人に心当たりがありながらも、すぐには言わなかった。言えなかった。


 「お前、中学の時にキレて部室めちゃくちゃにしたらしいな。果穂はお前が何するか分からないからキレさせないように慎重に自分が彼女だって伝えた。何度も何度も伝えたけど日陰から見るのやめなかったって。プレーに集中出来なくなったら嫌だったから俺には相談出来なかったって。泣きながら話してた」


 果穂はいつも頼られる側だから頼ることが苦手だ。きっと今回も誰にも話さず、1人で解決しようとしたんだろう。でも無理だった。解決出来ないまま時間が過ぎ、俺が証拠を見つけてしまった。

 盗聴器を仕掛けられたこともそうだが、苦しんでいたことに気付けなかった自分が憎い。


 俺がもっとしっかりしていれば。


 怒りを露わにする俺に対して、九十九は無表情だった。動揺しているのか反省しているのか。何も言わず前髪で隠れた目で俺を見続ける。


 正直これで分かってくれたら俺も充分だった。最初から大事にはしたくなかったし、下手に刺激すると果穂に怒りの矛先が向きかねない。どんな手段を使っても果穂だけは守りたい。だから2人っきりで話すことを選んだ。


 無言のまましばらく見つめる。


 すると彼女の口角がゆっくりと斜めに上がった。三日月のような口元。笑みを浮かべただけなのに背筋が寒くなる。


 「見つかっちゃった。でも、もういいよ。欲しい情報は全部手に入れたし」


 手を後ろに組み一歩前に進む。細い腕。低い身長。絶対に勝てる相手に対して俺の体は臆病だった。無意識に後退りをしてしまう。


 「私ね。太陽くんの理想の女の子になろうと頑張ったんだよ。過去に太陽くんの好きだった女の子を人に聞いて、他の学校に忍び込んで調べて。その盗聴器も一万円くらいするんだ。そこまで頑張って太陽くんのタイプを調べて、次は行動に移した。太陽くんは小さくて細くてサラサラのロングヘアーが好き。背は元から低かったから助かったよ。でも体型と髪は頑張った。痩せるために2日3日ご飯を食べない日もあったし、この髪だってすごいお金かかってるんだよ。他にも理想のために頑張った」


 一定のペースを保ち足を進める。それに合わせるように俺も後ろに下がる。目の前の人間の危険を理解しながらも、逃げるという判断が出来ない。それが敗因だった。


 突如背中に伝わる衝撃。息を飲み後ろを見ると壁だった。

 何も考えずただ後退りをする。そんな俺を九十九は校舎側に誘導していた。


 「あーあ、もう下がれないね」


 静かに顔を前に向ける。手が届く距離で立ち止まった九十九は笑顔で見上げていた。

 

 落ち着け、俺。こっちには証拠もある。恐れる必要はなんだ。


 「お、おい! いいのか? こっちには盗聴器があるんだぞ! 警察にバレたら困るのはお前だろ!」


 「太陽くんは出来ないよ」


 「……え?」


 「太陽くん。果穂ちゃんのこと好きでしょ? 大切でしょ? 自分を犠牲にしても守りたいでしょ?……分かるんだよ。私、果穂ちゃんよりも太陽くんの側にいたんだよ? 仲良く電話してる時も、ぐっすり寝ている時も。デートの場所も電話で話してたよね。だから先回りも簡単だった」


 前髪で隠れた目が見えた。この上なく幸せそうな笑み。光の宿らない暗い瞳が歯向かう気力を奪い取る。


 「ねえ、私頑張ったんだよ? 求められたから応えたのに、どうして私が求めたら拒むの? やっぱり、まだ足りない? 足りないならもっと頑張るから。何が欲しいの? 果穂ちゃんみたいになれって言ったらなるし、もっと頼って欲しいって言ったら頼るよ。知ってるよ。果穂ちゃんは太陽くんに頼らないんだよね。私ならその願いを叶えられるし、甘える果穂ちゃんに飽きたら他の人の性格になるよ。他に好きな人がいても大丈夫。どんな言葉でも従うし、どんな暴力でも受け止めてあげる。だから私を受け止めて」


 止むことなく浴びせられる甘ったるい愛の言葉。それがただただ気持ち悪かった。

 暑さは感じない。セミの声も聞こえない。吐き気だけが込み上げる。もう限界だった。


 目の前の化け物を突き飛ばし、日の当たる場所へと駆け出した。

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