前編

 風が吹いた。五線譜の上に描かれた木漏れ日のアートが模様を変える。

 グラウンドに沿って生い茂る楓の木。日陰での練習とはいえ夏の暑さは強大だ。日陰に避難したはずの私の体をじわじわと熱していく。


 夏は蝉がうるさいし、冬は風が冷たい。そして冬以外はいつも何かしらの虫が集ってくる。環境としては最悪だ。それでも、ここから見える景色は好きだった。


 蝉の合唱に負けじと声を出す運動部の人たち。キラキラと眩しい汗をかく。その中でも一際輝く場所があった。


 「はい! そこ、そこ! ナイシュー!」


 鈍い音と共にボールが浮き上がる。彼の蹴ったボールは飛び掛かったキーパーの指先を避け、ゴールに突き刺さった。形を変えるゴールネットとバウンドを繰り返しゴール内を転がるボール。その向こうで仲間と一緒にガッツポーズをする彼の姿が見えた。


 小麦色の肌に長い手足。顔は小さくフェイスラインまで美しい。好きなサッカー選手の影響だっけ? 最近始めたセンターパートも彼のカッコよさを最大限まで活かしている。


 「……ナイシュー」


 声をかける勇気なんてない。友人関係ですら気が引ける。見ているだけで充分だから。手にしたクラリネットを握り締め、小さな声で喜びを分かち合う。


 大丈夫。今はまだこれでいい。


 「……また太陽くん見てる」


 後ろから声がした。慌てて振り返るとタオルを被った親友が立っていた。夏の日差しのせいなのか、眩し方にする彼女の顔が呆れているように見えた。


 「ちょっと、果穂ちゃん! 声が大きいよ!」


 「大丈夫。聞こえるわけないじゃん。それより髪くくりなー。死ぬよ」


 「でも太陽くん黒髪ロングが好きって」


 「だからって、ひまわりちゃんが倒れたら意味ないでしょ? それにポニテにしても黒髪とロングの要素が消えるわけじゃないし。後ろ姿マジで日本人形だったよ。ほら、くくってあげるから。ついでにこれで涼んで」


 そう言ってポケットに入っていたハンディファンを取り出す。果穂ちゃんは音楽室練習だったはず。冷房の効いた屋内ではハンディファンはいらない。きっと私のために鞄から取り出して持ってきてくれたんだ。

 誰からも声をかけられない私にも果穂ちゃんは平等に扱ってくれる。


 「ありがとね。私なんかのために持ってきてくれて」


 「ん? あー。ずっとポケットに入れてただけだけど」


 「照れなくていいよ。果穂ちゃん可愛いね」


 「……まぁいいや。とりあえず後ろ向いて」


 淡々と話す果穂ちゃんに私は大人しく背中を向けた。


 「うわっ、暑っ! これでよく過ごしてたね⁈」


 髪の毛を持った果穂ちゃんの驚く声がした。


 果穂ちゃんの身長は169.4センチ。高身長で、面倒見がよくて、頼れる果穂ちゃんは女の子の間で密かに人気がある。

 先々週の火曜日にセミロングだった髪をベリーショートにした時は部内でかなり話題になっていた。去年、果穂ちゃんが女の子に告白されたのは3回。後輩も出来た今年はもしかしたら2桁になるかも知れない。


 「ひまわりちゃん、聞いてる?」


 「うん。聞いてるよ。この髪で暑くなかったのって話だよね。暑かったけど、やっぱり太陽くんには1番可愛い姿を見てほしいじゃん? そう思ったら意外といけた」


 「うん。手間かかってるのは触れば分かるよ。でも太陽くん――」


 セミの合唱が大きくなった。果穂ちゃんの言葉は見事にかき消される。


 なんて言ったんだろう? 聞き返して確認したかった。でも暑い中、私の髪をまとめてくれているんだ。これ以上迷惑をかけたくない。


 「そうだね。あっ! 話変わるけど太陽くんのシュート見た? ほんとズバーン! って感じで、凄くかっこよくてさ! やっぱりスパイクを新しいのにしたからかな」


 どんな場合にでも使える相槌を打ち、すぐさま話題を変える。違和感に気づかせない。これが私の作戦だ。


 「……そうだね。やっぱり変わらないね」


 「うん。夏祭りの時も話してたし、電話でも言ってたから。でも言ってなくても気付いていたと思うよ。だって色が全然違うもん。でも本当は6月に出た新作が欲しかったんだって。誕生日近いし買ってあげようとか考えてたけど、別の物にお金使っちゃって。今月もう厳しいんだよ」


 「そっか。じゃあポニテ出来たし、私戻るから。ハンディファン返して」


 振り向きかけた私からハンディファンを回収する。果穂ちゃんの腕の長さと力では私は反応することすら出来ない。気付けば果穂ちゃんは日向にいた。


 「ありがとね」


 「いいよ。とりあえず水分補給は忘れないで。何かあったら私が怒られるから」


 「うん。分かった。果穂ちゃんも練習頑張ってね」


 そう伝えた時には、すでに校舎に向かっていた。

 目的を終え、すぐさま練習に戻る。こんなサバサバしたところも人気の理由なのだろう。


 飾らない、ありのままの自分を受け入れてもらえる。残念ながら私にそれほどの魅力はない。だから私は努力する。たくさん調べて、たくさん知って、課題を見つけて。それを1個1個克服していく。


 グラウンドを見ると給水所に向かう太陽くんが見えた。日差しの中、友達と笑いながら走る太陽くん。あの笑顔が私に向けられるのはもう少し先だ。


 私が君の理想になる。その時までこの気持ちは日陰に隠しておこう。


 そう密かに決意し、クラリネットを奏でた。

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