クリームソーダの記憶

あまたろう

本編

 レトロな佇まいの喫茶店。

 昔このあたりに住んでいたが、この喫茶店にはあまり入った記憶がない。父親に連れられて何度か、といったところか。

 喫茶店、というぐらいだから煙草を吸う人が多く、この店に来た数回は客の半数が喫煙者だった。今はそうでもないが、もともと僕は煙草の匂いが苦手で、誰も吸っていなかったとしても店の中に染みついた空気がダメだった。父親に連れられたときに飲んだクリームソーダは好きだったが、むせるような匂いに顔をしかめる僕を見ると、父親もあまり連れてきたがらなかったのかもしれない。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの奥から声がした。店内はカウンター席が4席、2人用テーブルが2つ、4人用テーブルが1つのこじんまりした空間だ。

 女性が一人で回しているようだが、今は客がいないため入口からギリギリ姿が見えるか見えないかのところで作業をしている。


「お好きな席にどうぞ」


 さすがにカウンター席に座るのははばかられたため、2人用テーブルにした。


「ご注文は?」

「……えっと、じゃあクリームソーダを」


 注文した瞬間、店員の目が丸くなったことを僕は見逃さなかった。


「あ、いえ、子供の頃このお店に何回か来たことがあって、その時にクリームソーダを飲んでいたんです。久しぶりに来たのでちょっと飲んでみようかと思って」

「いいえ、ごめんなさい。大人が難しい顔をしながら一人で入ってきてクリームソーダを注文したもんだから、ちょっと驚いてしまって」


 そう言って小さく笑う店員さんには不思議な魅力があった。年齢は正直わからないが、見た目の若さの中に落ち着きが感じられる。10歳ぐらいは上だろうか。


「子供の頃、というのはどれくらい前の話?」

「5~6歳の頃なので、15年ぐらい前になりますね」


 それなら私が高校生のときにこの店でバイトをしていたぐらいかもしれないわね、という店員さんの言葉でだいたいの歳がわかってしまったが、それを指摘するのは野暮だろう。……というか、僕が気になっている素振りを見せてしまったのでわざとわかるように言ってくれたのかもしれないな。


「おまたせ。ごゆっくり」


 店員さんがクリームソーダを置いてカウンターの奥に引っ込んでいった。

 ソーダに浸かっていた部分のアイスをスプーンで取り、口に運ぶ。これだ。たぶんどこで飲んでも同じ味だと思うが、どこか懐かしいクリームソーダの味だ。

 次にソーダを飲んで、これはまあドリンクバーでも飲めるよな、と思って顔を上げたその時。

 向かいの席に信じられない人物が座っていた。


「うまいか?」

「……うん」


 小学校に入学するかしないかのときにどこかに消えてしまった父親。

 正直顔もおぼろげだったが、いざ目の前で見ると記憶から鮮明によみがえってきた。

 なぜここに父親が?

 というか、その姿は記憶の中の父親のままで、一切歳をとっていないような気がする。


「今日はお前に大事な話があるんだ」


 そう言った父親の姿には既視感があった。

 ちょっとクリームソーダを飲んで落ち着こう、と思って伸ばした手は自分が思っているよりはるかに短く、そして小さかった。まるで5歳児かそこらのようだ。

 ……いや待て、どういうことなのだろうか。思い出に浸っているのか。


「父さんな、悪い友達のせいで……というか、その友達は父さんのことを友達だとは思っていなかったんだろうな、とにかくその人のおかげですごい借金を抱えることになっちゃってな」


 この話はなんとなく覚えている。5歳ぐらいの頃の話だ。

 このときは何の話をしていたのか一切理解できなかったが、いま聞くとわかる。要は父親が連帯保証人にされてしまって、おおかたその友達とやらが逃げてしまったのだろう。


「連帯保証人になって友達に逃げられた、ということ?」


 父親が心底驚いた顔を見せ、「そうだ」と答えた。驚くということは、これは何らかの理由で父親と会話ができているということか。

 話の内容としては、友達が残した借金のせいで母と別れることにしたということらしい。


「借金はいくら?」

「300万円ぐらいだ」


 ふむ。

 この時代の300万円がどれぐらいの価値なのかあまりわかっていないな。


「父さんのお給料は月どれぐらい?」

「……だいたい25万円だな」


 ってことは、だいたい年収ぐらいか。と言っても、この額が手取りかそうでないかでまた変わってくる。

 どちらにしろ、かなりの金額ということになる。


「そこまで物事がわかっているなら、母さんにうまく言っといてもらえないか? 父さんは口が下手だからうまく言えなくてな」

「……というか、別れなくてよくない? 正直に話せば、母さんも父さんを助けてくれると思うけど」

「そう、かな」

「そうだって」

「まあ、言うだけ言ってみるか。ダメだったら父さんと母さんは別れることになる」


 少し吹っ切れた顔になって、父さんはアイスコーヒーを飲み干した。僕はクリームソーダを飲み切る。氷にこびりついたアイスクリームがちょっとおいしい。

 と思ったら、父さんの姿はなくなっていた。アイスコーヒーもグラスごとなくなっている、というのが正しいのか最初からなかったようだ、というのが正しいのか。

 ちなみに飲み干したクリームソーダは飲み干したままだった。くそう。


 あのときの父さんは小さい僕に話すことで母さんに話がうまく伝わることを望んでいたのかもしれない。

 5歳やそこらの子供が連帯保証人の話なんかできるわけないじゃないか。


 ともかく、そのあと父さんは母さんと別れて失踪し……ん?

 おかしいな、父さんが失踪した記憶がない。

 むしろ、そのあとから父さんと母さんは仲良くなって、妹が生まれ……あれ?

 借金抱えてるのに子供を増やしてどうすんだよ……あれれ?

 そんな苦しい生活を強いられた記憶がない。……というか、父さんが失踪し、生活が苦しくなった記憶が頭の片隅にはあるものの、それより大きな記憶でそれが上書きされていく感覚というのが正しいのか。


「おう、ここにいたのか。……なんだお前、クリームソーダなんか飲んで子供かよ」


 入ってきた人物を見て僕はひっくり返るほど驚いた。

 カウンターの奥で、店員さんが微笑むのが見えた気がした。


(おわり)

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