2-8 君のおかげだ

 荒城あらき たけるにとって、郁野いくの 美佳みかは興味深い存在だった。

 芳川よしかわから「天才少女に宝箱を開けてもらった」と聞いてはいたが、それが今日、何の前兆もなく来訪したこの少女だとは露ほども思わなかった。昨日 久我くがが対応したそうだが、どうして情報共有してくれなかったのか……あぁ、そうか。芳川よしかわが欠勤することを彼は知らなかったから、芳川よしかわにだけ連絡したのだろう。久我くがという人間は、必要最低限のことしかしない男だった。


 宝箱を開けた本人であることは彼女自身の発言から知ったが、レナと言い合いをしたり、幸せそうにお菓子を頬張る様は「天才」という単語と今ひとつ結び付かなかった。真面目ではあるのだろうが、年相応に無邪気で元気な印象がやや勝る。

 しかし、芳川よしかわが現れてから雰囲気が一変した。どこか緊張気味になったと思いきや、間もなく理路整然と推理を披露してみせたではないか。集めた情報と脳裏に留めた記憶を違和感なくつなぎ合わせた論理にも、荒城あらきは舌を巻いた。


 何故か自分が話し掛けると「その言い方、なんか駄目です」などと「知的」とはかけ離れた言葉づかいになってしまうものの、この中学生がキレ者であることはよくよくわかった。

 ――面白い子だ。


 現時点の評価を胸に、荒城あらきは客人の前にある角皿へ、小分けされた一口大の大福を置く。空いている湯飲みにも冷えた緑茶を注いだ。

「ありがとうございます」美佳みかが律儀に頭を下げる。

 ――良い子だ。


 今までそうしてきたように、湧いてくるまま言葉を口に出す。「どういたしましてー」

 と、美佳みかはどこか不満そうな顔をして芳川よしかわに向き直った。子供がゲームを邪魔されて怒るような、そんな表情の変わり方だ。俺、なんかやっちゃいました?


「宝箱を開けるのは、霊感を使った調査の一環だったんですね」美佳みかが話を続ける。

 芳川よしかわはうなずいた。「うん。隠しごとして、ごめんね」

 彼の前にカエルまんじゅうと大福を、どちらも小分けの袋のまま置く。探偵は片手と会釈で意思表示した。


「宝箱の中身も、USBなんかじゃなかったんですね」

「あ……」不意の指摘に、芳川よしかわは目を泳がせ、左手を後頭部にあてた。「ウソついて、ごめんね」


 自分より先輩で年上の男が深々と頭を下げる。

 荒城あらきは詳しい事情を知らないが、カエルまんじゅうを美佳みかの前にスライドさせておいた。

 少女の方はと言うと、頬を膨らませたのも束の間、自分を見上げるカエルと目が合うなり笑いを堪えるように口元を強張らせた後、長めのため息ですべてをごまかす。

「ダイジョブですよ。守秘義務があったから、仕方なかったんですよね」


 とても面白い一続きの変化に、いつまでも頭を下げていた芳川よしかわは気づいていない。この事実もまた面白い。

 マヌケな霊感探偵は顔を上げ、真剣な面持ちで述べた。


「あの時、亡くなった真仁まさとくんの想いを、今回の依頼人であるご両親は知る必要があった。詳しいことは話せないけど、そういう状況だったんだ。そのために、あの宝箱を開けなければいけなかった。

 郁野いくのさんが宝箱を開けてくれたことで、霊視ができて、昨日、すべてが解決したんだ」

「解決、したんですか?」

 空気が変わった気がする。美佳みかも、何かしらを宿した目をする。


 芳川よしかわが力強くうなずいた。

「うん。ご遺族は報道とかで傷ついていたんだけど、そんなものよりもずっと大切な、真仁まさとくんの本当の想いを知ることができた。周りの勝手な意見に気を取られずに、前を向けるようになったんだ」

「……そうなんですか?」不安そうに震えた声で美佳みかが問う。「私の、自己満足とかではなくて、ですか?」


 芳川よしかわは再びうなずいて、

「君のおかげだ」

 断言した。力のある眼差しが相手を射抜く。


 それは霊感探偵が時折見せる目だった。

 彼が「相手に必要な言葉」を見極め告げる時に見せる目。

 相手を捉えて放さない、強さと鋭さを持った目だ。


 美佳みかは目を丸くして、芳川よしかわの視線を、主張を、浴びていた。

 そのまま、3秒ほどの沈黙。

 それが何に起因したものか、荒城あらきにはわからない。

 ただ何となく、その間は、少女の心の中で何かが氷解する時間であったように感じた。


「はい……」返事と言うよりもつぶやきのような声の後、美佳みかはおもむろにうつむき、唇を引き結んで震わせる。

 今にも泣き出しそうな顔でゆっくり深呼吸すると、彼女は顔を上げた。

 とてもまぶしい笑顔が現れる。

「お役に立てたなら、良かったです!」

 憂いから解放された、元気な声が響いた。


 荒城あらきの心中に、つい先刻耳にした少女の言葉がよみがえる。


 ――成り行きで協力はしたんですけど、それが本当に正しかったのかどうか――

 ――もしかしたら、その箱は、私なんかが触っちゃいけない物だったのかもって――


 人助けをして、どうして不安になるのだろうか? その時は、そんなことを思った。

 今なら、彼女の心情も理解できる。真面目で賢い彼女だからこそ、芳川よしかわがうかつに与えた情報によって上野うえの暴走事故にたどり着いてしまったのだ。


 軽々しい気持ちで遺品に触れたことへの負い目か、はたまた本当に役に立てたのか自己満足なのか判断できない状況への恐怖か――芽生えた不安は深刻な悩みとなり、今まで彼女をむしばんでいた。

 女子中学生が一人で、知らない探偵事務所へやってくるほどに。


 しかしその勇気によって、彼女は確かめることができたのだ。

 自身の行動が自己陶酔に終わる程度の行為ではなく、

 本当に正しい善行であったことを。

 たたえられるべき事実を。


「やっぱり郁野いくのさん、天才! 最強!」荒城あらきは声を張り上げ、拍手した。そうせずにはいられなかった。

 天才少女がイスの上ではねる。「うわ! ビックリした!」

「あはは! ごほうびに大福もう1つプレゼント!」

 荒城あらき芳川よしかわの前の大福を祝福すべき人物の前へスライドさせた。


「え! それ、僕のでしょ!」

「何言ってんすか! 恩返しが足りないでしょ! 冷淡探偵!」

「冷淡!?」

「えと、もうお昼だし、私、帰るのでダイジョブですよ」

「いやいやダイジョブ! 3時のおやつにすればダイジョブだって!」

「うああ! いちいち言い方をマネないでください!」

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