1―25 事実整理

 無人の探偵事務所に戻った探偵は、スマートフォンを取り出し、アドレス帳から知っている番号に電話を掛ける。

 もうすぐ日が変わってしまう頃だが、出てくれるだろうか……。


 数コールの後、

「もしもし」

 待ち望んだ無愛想な声が聞こえてきた。「知り合いの警察」だ。


 用件を2つほど話して1通だけメールを送った後、エレベーターで下に降り、ビルの裏口から外へ出た。

 この雑居ビルには正面口と裏口があり、裏口側にだけ自動販売機と灰皿が設置されている。手狭ながら立ち話するには丁度良いその場所は、ビルに入っている会社の関係者が利用できる休憩スペースであった。


 昼間であれば通りすがりの老人が一休みすることもあるが、深夜である今、利用者は芳川よしかわのみ。

 ラークをくわえて火をつけると、まずは1口ゆっくりと味わった。


 煙を吐き出す。

 一陣の風が吹いた。

 次いで静寂が訪れる。


 永遠のような孤独の中、

 虚空を眺めて、思考する。


 今日という1日の間に得た浅野あさの 真仁まさとの情報、知識、思い出。


 最初に事務所で浅野あさの夫妻と会話をした後、ヒアリングの時間まで、「上野うえの暴走事故」と名付けられた今回の事故について調べていた。

 事故の概要、交通安全の専門家やコメンテーターの意見、発言、インターネット上の反応――掃いて捨てるほどある悲喜こもごもの感想の中から、慎重に事実を拾い上げた。


 ほぼすべてのニュースで流された防犯カメラ映像に、人波にまぎれる真仁まさとの姿が克明に記録されていた。

 それは、多くの人にとっては「単なる事故直前の様子」でしかない。事故からおよそ一週間も経てば、の過ぎたその映像もすっかり流されなくなった。歩いている姿を赤枠で囲みながら、スローで5秒程度だ。しかし事故翌日の報道番組で「独占映像」として流された時は、犠牲者が映ってから、画角の外ではあるが事故が起きてその場が騒然とする時点までの30秒ほど。


 そこには、信号が青になるタイミングで歩き出す群衆の中、真仁まさとが首を振って周囲を見ていたことが確認できた。

 その姿は、自分を呼び戻しにくる親を探しているようにも見えた。そんな直感を支持するように、SNSにも同じ主旨のつぶやきがあり、多くの「いいね!」も寄せられていた。そして、そこには様々な主観や憶測にもとづいた怒りや悪意を「加害者」と「真仁まさとの親」へ向ける主張もばっこしていた。


 テレビでは他にも、現場に居合わせた何者かが撮影した事故直後の映像も流された。当然、被害者の顔や故人、車のナンバープレートにはモザイクがかけられている。

 一方、ネット上に同じ映像には何の配慮もない。スマートフォンのカメラは、限界までアップにしてもなお高画質で、頭部が血まみれになった少年の悲惨な姿を無慈悲に記録していた。


 何のメッセージもない、無意義な動画。

 あるいは、ショッキングでグロテスクであることを売りにする、悪意に満ちた作品。


 ならば、これで十分なのだろう。

 ただし、を見出すにはまだ足りない。


 この不足を補うべく、探偵はつい先程、仕掛けを施した。

 それが実を結ぶかは、明日にはわかるだろう。


 他方、夕方から夜にかけて実施した浅野あさの たかしあかねへのヒアリングでは、真仁まさとの性格や趣味趣向を知ることができた。

 報道でも語られていた通り、やんちゃなほど元気で、猫と妹が大好きな小学1年生の少年。ヒーローや怪獣など強く大きい存在に憧れ、負けん気が強い分、遊びや競技で勝った時は人一倍に大喜びした。祖母 清子せいこの家に住む猫のヌクとは大の仲良し。妹 真衣まいの世話には積極的で、彼女のために絵を描いたりするほどだ。


 真仁まさとという少年は、何をしようとしたのだろうか?

 彼にとって、何が一番大切だったのだろうか――


 翌日(金曜日)、芳川よしかわは朝一で管理所に連絡しリュックサックが見つかっていないことを確認した後、午前中を事故現場の一見とリュックサック捜索に費やした。平日の上野うえの公園は週末に比べ観光客や学生の姿がまばらで、人目や往来を気にせず物陰や林の中を探すことができた。

 公園を散歩する近隣住民やホームレスにも青色のリュックサックを見掛けたか聞き込みしながら歩き回った末、いけ沿いの林へ踏み入った際に目当ての遺品を発見した。


 リュックサックには、依頼人の言っていた通り、たくさんの思い出が詰まっていた。ヒアリングのかいあって、の故人の記憶が――彼が何を思い、何をしていたのかが段々と見えてきた。

 郁野いくの 美佳みかと出会った後は、日が沈む前に改めて真仁まさとの足跡をたどっていた。家族と別れた地点から事故現場までの道のりをつぶさに観察した結果、霊視した感情や記憶と対応する景色を特定することができた。


 そして夜、奇跡的に開くことのかなった宝箱によって、霊感探偵は確信を得た。


 霊視は、自力では発動できない。

 そこに込められた強い想いによって、


 宝箱を受け取った瞬間、今までにない勢いで感情や記憶が流れ込んできた。

 この事象は、宝箱に他の遺品よりも強い感情が宿っていることを証左した。

 宝箱には、真仁まさとにとって最も大切なモノが仕舞われていたのだ。


 以上の事実が、おぼろげだった故人の像を、その行動原理を、明確にしていった。

 芳川よしかわ 亮輔りょうすけは理解した。

 浅野あさの 真仁まさとは、あの時――

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