1―17 自分達に味方はいない

 事故当日、たかしは病院で死亡診断書の受け取りや、今後必要になる手続きに関する説明を受けた。無機質なまでに淡々と処理されることに戸惑いを覚えながら、紹介された葬儀社とは翌日に打合せすることだけ決めて家に帰る。夜9時を回っていた。

 結局、その日は「息子をうしなった」という現実を受け入れることができなかった。葬儀や裁判のパンフレットは受け取ったが、それを読む気力などないし、思い出や遺品に気持ちを向けることもできない。ただ空虚に、時間が過ぎていった。


 それは妻のあかねも同じで、娘の真衣まいの世話もままならなかった。真衣まいも、何か感じるものがあったのか愚図ったり泣いたりせず、ずっと静かにしていた気がする。

 もしかすると、その日に公園で動けずにいたあかねを病院まで送った母 清子せいこがずっと相手をしてくれていたのかも知れない。翌日には真仁まさとの通っていた学校や体操教室への連絡も必要だったが、それも清子せいこが段取りを立て、自分達はそれに従い動くばかりだった。

 考える余裕のまったくない状況で、母の先導は本当にありがたかった。


 しかし事故翌日にも、たかしの予期せぬ事態が起こった。

 朝から家にマスコミが押し掛けたのだ。事故の報道自体は当日にされていたし警察からも発表があったようだが、どうしてか病院から帰る自分達を「被害者の家族」と特定し、尾行していたらしい。


「あいつらのインタビューには応じちゃ駄目だよ。ロクなことにならない」清子せいこは忌々しげに告げると、カーテンを隙間なく閉めた。「買い物は私が行くから、必要な物は紙に書いといて」

 たかしは「うん」と返事しながら、心の中で希望を抱いた。


 自分達を心配してくれているのか。

 事故を二度と起こさないように世間を動かしてくれるのか。


 午前中に葬儀社と打合せをした後、母が買い物に出ている間に、「被害者の父」としてインタビューに対応した。得体の知れない責任感にも駆られ、「隣にいるだけで良いから」とあかねも連れ出した。


「今の心境は!」

「えと……自分でも、まだよくわかりません。……現実を受け入れられてないって言うか……」


「昨日から今朝まで、何をされていましたか?」

「昨日、病院から帰ってからは、何もしてません。そんな余裕もないって言うか、手を付けられなくて」


「加害者は高齢者のようです。どう思いますか!」

「そうなんですか? すいません、何も知らなくて……どう思うとかも」

「何とも思わないんですか?」

「いや、そういう訳では……」


「お子さんが亡くなられて、お辛いですよね!」

「えっと……はい」


 矢継ぎ早に降り掛かる質問には、重複したものや、何を聞きたいのかよくわからないものも多かった。それでも、「自分が話さなければならない」という使命感を胸に対応を続けた。


「どうして、事故は起きてしまったんでしょう!」

「事故当時は、どちらに!」

「お子さんは、どうして1人だったんですか!」


「妻と子供がケンカして、子供が怒って1人で歩いて行っちゃったみたいで。……その、事故の前に呼び戻せれば、巻き込まれることも、なかったんですけど」

「奥さんのせい、ということですね!」

「え?」

「奥さん! 話をお聞かせください! ねえ、奥さん!」


「いや、ちょっと待って! 別に、妻は……」

 しまった、言い方を間違えた。

 過ちを理解したがもう遅い、人、カメラ、マイク――そのすべてが、たった1人に標的を定めた。


 突如として注目の的となったあかねは、泣きそうな顔で口を半開きにしたまま停止してしまう。

 俺がかばわないと。でも、どう説明すれば――


「なんとか言え!」「おい!」暴言紛いの声が降り注ぐ。

 適切な言葉が出てこない。追い詰められた。


 その時、

「何をしてるんだい!」

 母が戻った。

「寄ってたかって! この子らはね、この後もやることがあるんだよ!」

 彼女は取材陣を大声で散らし、インタビューを終了させた。


 その夜は、テレビのどの局のニュースにも自分が映っていた。

 事故車のドライバーについては何も知らないこと、自分がいない間に妻と子供がケンカしてしまったこと、子供を呼び戻せなかったために子供が死んでしまったこと……自分の受け答えがすべて正しかったとは思っていないが、ニュースの出演者が一様に悲しむ様子には感動を覚えた。

 自分の言葉が何か新たな秩序を生み出そうとしているかのような、高揚にも似たものを感じた。


 自分が伝えるべきことは何だ? 語るべきものは何だ? きっと、自分にしか言えないことがあるはずだ――

 記憶を探り、思いを巡らせ、何を聞かれても答えられるよう夜通し回答を考えた。言い間違えも、ないようにしなくては。


 取材陣は翌日もやってきた。平日だからか、記者は増えていたように思う。母に「忙しいんだから、30分だけにしな」と忠告され、自分1人で出ることにした。


 確かに、短時間で終わらせるべきだった――と言うより、母が「応じちゃ駄目だ」と言った意味を思い知った。

 30分足らずの時間でもたかしは心を込めて胸中を語り、自分達がなくした存在の大きさを理解してもらえるよう、思い出の写真もカメラに見せた。


 しかし記者は初日と同じ質問を執ように繰り返すばかりで、自分を取り囲む目も表情も昨日から一転、どこか気持ち悪く思えてならなかった。

 その原因は、その後の新聞やニュースを見ることで判明した。


 独占! 被害者が語る悲劇の裏側!

 衝撃の事故の真実!

 「被害者の父」が話した内容は、そんなタイトルを冠して余さず報道された。そしてそのどれもが、インタビューの映像はそこそこに、どうやって入手したのか事故現場近くの防犯カメラ映像や視聴者提供の事故当時の映像をただ垂れ流すだけの時間と化していた。


 メディアが欲しているのは被害者の思いや願いなどではなく、ただ真新しい思い出話とスクープだけだった。結局、テレビで流すネタの1つでしかなかったのだ。自分達の悲劇は。


 元気な少年。妹想いの兄。祖母が飼う猫と仲良しの孫――自分にとって、かけがえのない存在だったから、思い出すのが辛くても、すべて正直に答えたのに……。

 なのに、奴らはその情報を流した後に必ず「事故直前の映像」を流し、真仁まさとの写真を大写しにして、ただの悲劇としてだけ情報を吐き出した。それからタレントやコメンテーターが涙ながらに「あんまりですよ」と語りのだ。


 どうしてか加害者の情報は初日の警察発表を最後に一向に出されない中、生放送番組では初老で熱血を売りにする芸能人が「子供から目を離す親も自覚がないんですよ」と言い放つ始末だった。


 なんなんだよ、お前。

 うかつだったことは認めるが、色々なことが起こっていたことも想像せずに、何様なんだよ。子供がどこかに行って、そこへ車が突っ込んでくるなんて誰が予知できるんだよ――。


 後悔ならしてるよ。ずっと。

 あの時、こうしていれば。

 言うことを聞いてくれるよう育てていれば。

 俺が、もっとしっかりしていれば。


 死に寄り添ってくれる人も、事故をなくそうとしてくれる人も、テレビの中にはいない。

 ショックを受けたと語り、怒りをぶつける何者かだけだ。


 理解してからも、マスコミの取材は止まらない。何度追い払おうとしたところで、彼らは何も聞こえていないかのようにまぶしいライトとマイクをこちらに向け続けた。

 きっと暴言でも吐こうものなら、今度はそれをネタにする気だ。ネット上で自分達が「子供が死んでスター気取りかよ」などと罵られていることをたかしは知っていた。


 誰も信じられない。自分達に味方はいない。

 「あの日」から、落ち着く時間は一瞬たりともなかった。

 手を変え品を変え、自分自身が強烈に感じている罪悪感を、改めて、周囲が思い知らせようとしてくるのだ。


 これは、真仁まさとの怒りなのだろうか?

 自分達は、許されないのだろうか?


 確かめる術のない疑問。

 かないようのない切望に切り裂かれそうになりながら、

 父は玄関から外に出る。


「今回の事故について、何かコメントは!」


 真仁まさと、どうか許してくれ。

 しょく罪の気持ちを、そのまま絞り出した。


「ごめんなさい。こんなこと、もう二度と繰り返してはいけません」


 丁度そこで清子せいこが記者をかき分けて入り、家に引きずり込まれた。

「あんな奴ら、ほっときなさい!」


 玄関に腰を下ろして、たかしはぼんやりと思い出す。

 母は事故当日も忠告してくれていた。

 こうなることをわかっていたのだろうか。


 母なら、何でもわかるのだろうか――

 そう思った途端、感情が口を衝いて出た。


「母さん、俺、真仁まさとの思っていたことを知りたいよ。

 真仁まさと、俺のこと恨んでるのかな。

 どっか行ったまま帰ってこない俺のせいで、死んじゃったんだよ。

 あんな元気だったのに、俺のせいで死んだから、俺のこと恨んでるんだよ。

 だから、謝らなきゃいけないんだよ。

 もう、謝るしかないんだよ」


 本当に、もう、そんなことしかできなかった。

 それが息子の死の翌水曜日――葬式を終えて間もなくの出来事だ。

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