1-7 子供の交通事故があったのよ

 上野うえの駅から南東方向に徒歩10分ほどの位置。

 そこにある自宅へ郁野いくの 美佳みかが着いたのは、丁度午後9時だった。


 玄関の鍵を開けてドアを開けると、ふくよかな体型の女性が出迎えた。

 美佳みかの母 浩美ひろみだ。鍵を開ける音を聞きつけて来たのだろう。


「ただいま!」美佳みか元気よく挨拶する。

「おかえり」浩美ひろみは返事は手短に、真顔のまま1歩前に出て大げさに鼻をクンクンさせた。


「どしたの?」娘は緊張する。

 対して母は疑り深い顔で答えた。

「あんた、どこで寄り道してきたの?」


「寄り道なんかしてないよ!」

「本当? 猫でも見つけて触ってたんでしょう」

「触れなかったよ! お母さん、クシャミ出ないでしょ! 塾で話し込んでたの!」

「塾に電話したら、授業は予定通り終わって、あんた、さっさと帰ったって言ってたよ」

「あぅ」

 しまった。バレていた。


 浩美ひろみは猫アレルギー持ちで、例え微量であっても猫の毛や匂いに反応してクシャミが出てしまう。その特徴は言い換えれば猫と遊んだ証拠を検出するセンサーであるため、「浩美ひろみのクシャミが出なければ猫と遊んでいない」と

 しかしながら――


「しかもってことは、猫を触ろうとしたってことでしょう。元気に『ただいま!』なんて言ってもごまかせないよ!」

「あぅ」

 あきれた声で追い討ちを掛けられると、もう逃げ場はなかった。


上野うえの公園に寄ったけど、猫に会えなかったの」

「また、あんたは。ウソなんかつかないの、まったく」

 親はため息まじりに子の頭をペチンとはたく。

 美佳みかは三度目の「あぅ」で返事した。


「さっさとお風呂入っちゃって。ご飯の用意しとくから」

「はーい」


 今日は散々だ。

 そんな思いを巡らせながら2階の自室にバッグを置き、制服をつるす。着替えはタンスの中だ。


 時刻は夜9時15分少し前。お腹がすいた。

 塾の時間が遅いと、夕食が遅くなるので参ってしまう。授業中もお腹が鳴りそうで困る。


 入浴を済ませて浴室を出た頃には空腹に耐えられなくなり、ドライヤーはそこそこにパジャマを着て洗面所を出た。


「おかえり。遅かったね」

 リビングに入ると、まずはソファーに座ってテレビを見ていた兄の雅也まさやが声を掛けてくる。

「うん、ちょっとね」美佳みかは即座にごまかした。


「この子ったら、猫なんか探してたんだよ。こんな遅くまで」

 しかしダイニング・キッチンから響く浩美ひろみの声で早々に暴露されてしまう。


 頬を膨らませる妹に、兄はわざとらしく笑った。

「そうだったの? 母さん、心配して塾に電話してたんだぞ。俺にも『捜しに行け』なんて言ってさ」

 彼はしゃべりながら立ち上がり、空のコップをシンクに持って行く。


「そうなの?」美佳みかは横を通過する雅也まさやを見上げた。

 高校3年生の兄は父のとおるに似て背が高く背中も広い。小柄な自分とは対照的な体格である。身長は父より高いかも知れない。


「当たり前でしょう! 子供が寄り道なんかして。

 前も子供の交通事故があったのよ、可哀想に。あんた達も気をつけなさい」

 質問に回答したのは母親だ。


「はーい」

 お説教には兄妹そろって返事した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る