1-5 約束ですよ

 数秒前までウキウキとした様子だった芳川よしかわが、蓋を開けた箱を見詰めたまま硬直している。

 気のせいかと思ったが、こちらがしゃべるのを止めて5秒ほど経過してもそのままだった。


 ついまくし立ててしまったから、驚かせてしまっただろうか。もしかして、何か気に障った? 急に不安になる。


芳川よしかわさん?」声を掛け、恐るおそる彼の腕へ手を添えた。

 すると芳川よしかわは消え入りそうな声で「ごめん、ちょっと待って」と言ったきり沈黙した。間もなく目を閉じてベンチに座ったままうずくまると、ゆっくり深呼吸を繰り返す。


芳川よしかわさん!」

 郁野いくのは彼のひょう変振りに恐怖を覚えた。

 一体、何が起きているのだろうか。


「具合が悪いんですか? ねえ!」

 今しがたまで屈託のない顔をしていた人が、急に人形みたいに冷たくなってしまった。

 声が届かない。まともな反応がない。

 そんな事象が、


 芳川よしかわに添えた手が、どうしようもなく震えた。

 探さなければ。自分の「できること」は、なんだ――


 動かない相手の腕をつかむ。力を込める。

 「どこにも行かないで」と祈る。

 それしかできない。


 どれだけの時間が経過しただろうか。

 やっと芳川よしかわは深呼吸を数回繰り返して「ごめん、もう大丈夫」と言葉を紡いだ。


「どうしたんですか!」郁野いくのは怒鳴る。涙が出そうになった。「具合、悪いんですか? 救急車呼びますか?」

「いや、本当に体は大丈夫なんだ」芳川よしかわは疲れた声で受け答えしながら、自分の腕をつかむ郁野いくのの手をそっと片手で包み込む。

 彼の腕を強くつかんだままだったことを思い出し、郁野いくのは慌てて「ごめんなさい」と謝り手を引いた。


 大人は「心配させちゃって、ごめんね」と言って笑い掛けてくれたが、疲労感がにじんでいるように見える。

 また隠しごとか。こんな思いをさせておいて。子供は感情のまま追求しようとしたが、


「さっき探偵って自己紹介したけど、今、霊視をしていたんだ」

 先に口を開いたのは相手の方だった。


「霊視?」

 まだドキドキしている胸に片手をあてながら、言葉を口にして、そしゃくする。

 どうにも怪しげだ。態度もあいまって、ごまかしているのか本気なのか、いよいよわからなくなる。と言うか、急に色々なことが起き過ぎだ。


「詳しいことを話すと長くなるから、今日はここまで」

 混乱する女子の心中を察してか(あるいは逃げ口上か)芳川よしかわは強引に話を終わらせる。そそくさと宝箱をリュックサックに仕舞い、帰り支度を始めてしまった。


「そんな!」

 郁野いくのは納得いかない気持ちを口にしたが、それ以上は言葉が出ない。「もう夜遅いから」という反論が来るとわかっていて引き留める口実が見つからなかった。

 腕時計で時刻を確認すると8時30分を回ったところ。いつもなら帰宅している頃だ。母が心配して塾に連絡するかも知れない。


 考えている間にリュックサックの口を閉じる音が。

 子供が顔を上げると丁度、大人もこちらに顔を向ける。顔色は幾分良くなっていた。


 この人は何を考えているのだろうか?

 郁野いくのはいぶかるも何も言えず、せめてもの反抗として頬を膨らませる。


 と、謎だらけの探偵はまた苦笑し、スラックスのポケットから薄い革製の入物を取り出した。

 そこから1枚の紙を取り出してこちらへ差し出す。

「今日は本当に助かったよ、ありがとう。聞きたいことだらけだと思うけど、遅い時間だから、ごめんね。上野うえのの事務所に連絡するか来てもらえれば、ぜんぶ説明する。約束する。あ、甘い物は好き? 用意しとくよ。

 あと、何か悩みごとがあったら相談して。ウチはいつでも、何でも対応するから」


 郁野いくのは受け取った紙に視線を落とした。名刺だった。

 じっくり見詰めたところで、どう返すべきかはわからない。


「甘い物、好きです。約束ですよ」

「うん」

 それ以外にやりようがなくて放った言葉にも、相手はすぐに答える。余裕がありそうな返事だ。


 こっちはこんなに心配しているのに。無性に悔しくなった。


「1人で帰れる?」

「帰れます! 子供じゃないんだから!」


 相手は今度こそ「はは」と笑うと、きびすを返す。「じゃあ、気をつけてね」


 郁野いくのは息をのみ、歯がみする。

 やられた。まんまと別れる口実を言わされた。あとバカにされた気がする!

 「何よ、もう!」という言葉はどうにか堪え、歩き去る男性をにらみ続ける。


 こちらへ振り返ることなく足早に離れていく背中。

 迷いなく、次の使命を見据えているかのように。

 しっかりとした足取りで。


 本当に、先ほどの不気味な硬直はなんだったのだろう。

 ため息をつく。当然そんなことで疑問も不安も吐き出せはしない。


 残された唯一の情報である名刺を見る。


 後藤ごとう探偵事務所

 霊感探偵  芳川よしかわ 亮輔りょうすけ


 それが彼の肩書きだった。

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