1-1 可愛い猫がいたから

 東京とうきょう台東たいとう区。

 上野うえの駅から南北へのびる線路が、無数に立ち並ぶビルやマンション群を東西に分断している地域。数年前に工事を終えた駅の西側には都立とりつ上野うえの恩賜おんし公園が広がり、夕陽に照らされる散歩道には週末の家路につく人々の姿が見られた。


 そんな往来から林と神社を隔てた林道の中。

 学校帰りの中学生 郁野いくの 美佳みかは身をかがめ、草むらの奥を注意深くのぞいていた。

 うっそうと茂る新緑が夕闇の陰を一層暗いものに変え、その奥に潜む生物も無生物も視認を困難にしている。

 湿った草木の匂いを我慢して顔を近づけても、探し物は中々見つけられなかった。


 風が吹く。冬に比べてマシになったが、初夏の夕風はまだ肌寒い。

 この「捜索」はうまくいくこと自体そう多くないが、今日は特に妨害が多いようだ。


 「ふう」と息をついて背中を伸ばしながら空を見上げる。

 もう切り上げて、塾で自習でもした方が有意義だろうか……。

 考えるも「もう少しだけ」とに忠実になり、スクールバッグを担ぎ直した。再び薄暗い緑の壁に目をこらしながら傾斜道を池の方へ下っていく。


 池沿いの通りとの合流地点に差し掛かった時、


「どうしたの」


 背後から声を掛けられた。

 郁野いくのは緊張する。恐るおそる振り返った。


 呼び声の主は池を背に通りに立つ、ワイシャツにカーディガン姿の男性だった。髪型はショートレイヤーで年齢は――大学生ではなさそうだが、父親よりは明らかに若い。左手には、男の子が持つような青色のリュックサックを提げている。子供がいて、一緒に散歩でもしているのだろうか。平日のこんな時間に?


 郁野いくのが思考している内に彼が問い掛ける。「探し物?」

「いいえ、その――」郁野いくのはヘアピンで留めた前髪をなでながら述べる。「可愛い猫がいたから、ちょっとのぞいてました」


 探し物には変わりないが、捜索の対象は落とし物ではなく野良猫だった。

 彼女は学校帰りに、日課の「野良猫探し」をしていたのだ。


 男性が「そうなの?」と草むらに目をやった時、見計らったように猫の鳴き声が響いた。郁野いくのが引っ張られるようにそちらへ振り向くと、三毛猫が無警戒に林道へ出てきたところだ。

 ――先ほどまで自分がいた場所だ。


 悔しくなって頬を膨らませる。まだ体の小さい猫の子供に出し抜かれてしまった。

 背中に「ふふ」と吹き出すような笑い声まで受けた。バカにされた気がする。


「もう暗くなるから、気をつけてね」

 と、落ち着いた声の提言で我に返る。慌てて「はい、もう帰ります」と返事をした。


 猫に翻弄された上に注意までされてしまうとは、本当に今日はツいていない。

 もんもんとした気持ちできびすを返す。


 もっと猫の気持ちになって動きを先読みしなければ。

 あるいは、猫缶でも用意すればなでさせてくれるだろうか? ――いや、野生動物に餌付けしてはいけない。


 真面目に考えながら数歩、道を戻ってから振り返ってみる。

 男性は池に面したベンチに腰を下ろしていた。隣に置いたリュックサックの口を開け、左手で中を探っている。左利きらしい。


 やがて彼は小振りな箱を取り出すと、しばしそれを見詰めた。

 何をしているのか気になったが声を掛ける気にはなれず、郁野いくのはその場を後にする。

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