某市の工場

せなね

某市の工場


 これは私が十数年前、愛知県某市の工場で派遣社員をしていた時の話です。

 皆様もご存知の通り、愛知県は日本が誇る某世界的大企業が籍を置いている関係で、県内には自動車関係の工場が無数に存在しています。

 私が勤めていたのは、その無数の工場の内の1つ、※※市の※※工業団地にある、※※工業でした。

 当時、私は前職を退職し、就職活動を行なっていましたが、思うような成果を得られず、底をつきかけている生活費を何とかするために、やむなく派遣社員として工場に勤めることにしました。

 面接に赴いた際、私の履歴書を見た担当の社員は渋い顔をしました。それもそのはず、私の前職は製造業とは全く関係の無い営業職であり、スキルも資格も何も無かったからです。

 「何で工場で働こうと思ったの?」

 それは、単に給料が良かったからでした。しかし、それをストレートに言う訳にもいかず、私は適当なことを並べ立てて返答しました。相手の社員も、そんな私の苦し紛れを見抜いているのか、終始適当に頷いていました。

 「・・・ま、いいでしょう。丁度『あそこ』に空きが出たし。じゃあ、明日くらいに面接に行きましょうか」

 面接は、驚くほどあっさりと終わりました。大学時代の就職活動を経験した私には、その異常な程の速さにびっくりしました。アルバイトの面接よりも判断が早い。てっきり、数日後に返答しますと言われるものとばかり思っていた私は、思わず、何でこんなに即決なんですか?と尋ねてしまいました。

 「不満なの?」

 相手の社員は、不機嫌そうに言いました。私は慌てて、単に疑問に思っただけです、と答えました。

 社員はめんどくさそうに鼻で笑うと、「ウチはこんなもんだよ」と言いました。そして、その後、小さな声で、

 

 ーーーまあ、『あそこ』は特に、だけどな。


 と、言いました。



 工場での面接は、派遣会社のものよりも更に簡易なものでした。

 担当者が私の履歴書をざっと見た後、

 「いつから働けますか?」

 もう、それで決まりです。その異常な速さにこの職場は大丈夫なのだろうかと不安になりながらも、後がない私は、いつでも大丈夫です、と答えてしまいました。

 結果、私は翌週から、※※工場にてお世話になることになりました。



 私が配属されたのは、自動車部品の検品を行う部署でした。1つの部品につき20項目程のチェックを手順書に従って行い、正常なものと異常なものを仕分ける、というものでした。作業自体は極めて単純なものでしたが、何せ、何百何千とある部品を何時間にも渡ってチェックし続けるのです。初日が終わる頃には、私は精も根も尽き果てていました。

 しかし、人間とは慣れる生き物で、1週間も経つ頃には、私はそれなりに作業に慣れてきました。流石にベテラン社員には遠く及ばないものの、何とか合格ラインと言えるくらいには、作業のスピードは早くなっていました。

 これなら何とかやっていける。ほんの少しだけ、自信が持ててきた頃でした。

 ある日、私は妙なことに気が付きました。

 ベテランの社員の内の1人に、異常な程に作業のスピードが速い人がいたのです。

 その人は私が配属された部署の中でダントツで仕事が早く、私の3倍の量の仕事を毎日こなしていました。

 すごい人がいるものだな、いったいどうやっているのだろう?

 私は、単純にその人のことを尊敬していました。

 ある時、私は検品した部品を他のラインに納品してきた帰りに、そのベテラン社員が検品をやっている姿を偶然目にしました。

 えっ、と思わず声を出してしまいました。

 ベテラン社員は、部品をほとんど見ず、適当にくるくると手元で転がしただけで『チェック済み』の箱に入れていたのです。

 私は愕然としました。

 その人が検品していた部品は、私もやったことのある部品でした。そのチェック項目は、私たちが扱っている部品の中でも特に多いものでした。

 (あんな横着が許されるのか?)

 私は何だか怖くなってしまいました。製造業のベテランの中には、触っただけでミリ単位の凹凸を感知出来る人もいると聞いたことがありますが、ろくに触ってもいない見てもいないで検品など出来るものなのでしょうか? 適当なことをして不良品を取引先に送っては大惨事になります。私は悩んだ末、休憩時間に私の教育係だった社員さんにそっと聞いてみることにしました。

 「ああ、アイツね…」

 アイツはいいんだよ、と教育係は言いました。

 「いいって、それはどういうことですか?」

 教育係は、タバコを吸いながら、半笑いで「うーん」と唸っていましたが、

 「ここだけの話にしとけよ? 他の派遣には言うんじゃねぇぞ?」

 そう前置きして、こう言いました。

 

 ーーーアイツはな、『知ってる』んだよ。


 「何を『知っている』のかは、ちょっと俺の口からは言えないね。ただ、この工場はな、どれだけ横着な仕事をしようが、不良品を流そうが、絶対にトラブルにならない奇跡の工場ってことで、業界内では有名なんだわ」

 流石に、私は担がれていると思いました。いくら製造業に無知な私とはいえ、そんなことがあり得る訳がないことくらいは分かります。

 教育係は私の心の内を見透かしたように鼻で笑います。

 「俺が吹かしていると思ってんだろ? でもな、お前が言ってるあのベテラン、アレがそんな優秀な奴に見えるかよ?」

 私は返答に窮しました。

 そのベテランは、まるで鞠のような肥満体型をした、どんよりした眼の四十がらみの女性でした。正直、優秀そうかどうか問われたなら、首を横に振らざるを得ませんでした。

 「アレは元は引きこもりでな。※※市の市議の娘らしいんだわ。その市議に泣きつかれて、仕方なくここで正社員として雇われたって訳だ。ここの仕事はな、どんなバカでも出来るんだよ。何せ、どれだけ適当にやっても『アレ』のおかげでトラブルが出ないんだから。この工場の社員にはな、あのベテランと同じような『仕事が早いように見えるだけの何もやっていないボンクラ』がいっぱいいる。天下りの亜種みたいなもんだ。何せ、かく言う俺だってそうだからな」

 教育係は、※※※の関連会社の重役の息子なのだそうです。本人曰く、ドラ息子とのこと。

 「・・・『アレ』って、いったい何のことなんですか?」

 「それは流石に俺の口からは言えねぇわ。黒い権力って奴だよ。バラしたら殺される」

 教育係は戯けて笑っていましたが、その目は少し怯えていました。

 「俺も大概クズだけどよ…流石に、流石に、もうそろそろ、きちぃわ。まだ班長とかにしか伝えて無いんだけど、俺、来週にはここを辞めるんだ」

 「・・・それは、また急な…」

 教育係はタバコを揉み消し、私の目を見て、

 「お前もな、必要な金が貯まったらすぐに辞めろ。ここはマジで良くねぇから」

 じゃあな、といい、教育係は私の元から立ち去りました。

 「・・・」

 疑問は山ほどありましたが、私は何も聞くことが出来ませんでした。

 その人とは、それきりです。



         ※



 正直、私は教育係の話を鵜呑みにはしていませんでした。ただ、彼が話していた時の怯えた目、あれは嘘を言っている人間のものではありませんでした。

 やっぱり、この工場は何か気味が悪い。折を見て辞めよう。そう思っていたのですがーー

 気付けば2年、私はその工場に勤めていました。

 理由は色々あります。何かヘンだとは言え、金払いは良かったこと、転職活動が上手くいかなかったこと、付き合っていた彼女に振られたこと等々、様々なことが重なり、目標を見失った私は、惰性的にその工場で働き続けました。

 その間、奇跡的に私には何もおかしなことは起こりませんでした。

 それが、良かったのか良くなかったのか、私は2年もあの工場に居着いてしまったのです。

 その頃には、私は派遣社員の中では最古参となっていました。僅か2年勤めただけの人間が最古参になるなどと、当時では考えられないことでしたが、私は無知で、あまり自分の現状に疑問を持っていませんでした。教育係の忠告も、この頃にはすっかり忘れていました。

 思い出したのは、ある年の年末年始の長期休暇明けでした。

 「え、山田さん、辞めちゃったんですか?」

 連休明け、派遣会社の人間からそう言われました。山田さんは、つい1か月程前に工場に雇われた派遣社員で、農閑期を利用して出稼ぎに来ていた人でした。確か、九州の方で農業を営んでいた方です。

 「辞めたっていうか、飛んだ。帰省するはずだったのに帰って来ないってあの人の家族から連絡あったんだけど、金も家具もそのまんまで部屋から消えてた」

 よくあるパターンだよ、と社員は言った。

 「え、家具はともかく、お金もそのままだったんですか?」

 「そうだよ、いつものやつ。・・・まったく、これだから妻子持ちは『面倒になるから』雇うなっつったのに。お陰で連休中に出勤する羽目になっちまった…」

 社員はぶつくさ言いながら携帯をいじっていました。不貞腐れるあまり、話し相手の私が、同じ派遣社員であることを忘れているようでした。

 私は、つぅっと背中に冷たいものが流れるのを感じました。と、同時に、教育係だった社員さんの言葉を思い出します。


 ーーーここはマジでよくねぇから。


 思えば、※※工業の派遣の離職率は異常なものでした。

 長期休暇明けに辞める人間は特に多く、10人程の人間が一斉に辞めることなど珍しくもありません。連休を区切りに辞めたのかな、と私は勝手に考えていたのですが、果たして本当にそうだったのでしょうか?

 工場に向かうバスの中で、私は他の派遣社員たちの顔触れを見回しました。私が勤め始めた2年前どころか、半年前に在籍していた人すら見つけられませんでした。

 確かに、楽な職場ではありません。作業は簡単でも、根気と集中力が求められます。それに加えて、週毎に日勤と夜勤が入れ替わるものだから、体調を崩す人も多くいます。『俺には無理だった』そう言って、辞めていく人を何人も見てきました。けれど、『借金を返したい』と言って、歯を食いしばって頑張っていた人が、ある日突然辞めてしまったこともありました。『借金取りに追われて夜逃げした』派遣会社の人間からはそう聞きました。が、アレは本当に真実だったのでしょうか?

 バスの中で、私はへんな汗が止まりませんでした。

 ※※工業はトラブルのない奇跡の工場ーーその輝かしい称号は、果たして一体『何』の上に成り立っているものなのでしょうか?

 ※※工業の工場が遠くに見えて来ました。私にとって、そこは最早単なる職場ではなく、何か得体の知れない不気味な建物でしかありませんでした。

 (今月中に、辞めよう)

 遂に、私はそう決心しました。

 ただ、それは些か悠長過ぎる考えでした。その時、私がすべきだったことは、バスを今すぐ降りて、何処か遠くに逃げることでした。

 己の判断の遅さを悔やむのは、それからすぐのことになります。



         ※



 辞めると決めてから一週間が経った頃でしょうか。

 私は、気味の悪い工場に嫌々通っている恐怖とストレスから、体調を崩してしまいました。私は仕事を早退し、帰るための足が無いものだから、仕方なくタクシーを呼びました。タクシーは来客用の駐車場に来るとのことで、私はそこへ向かうことにしました。そこは私が勤めている区画から随分離れた場所にあり、その辺りに行くこと自体、初めてのことでした。そこでーー


 私は、奇妙な光景に出会しました。


 来客用駐車場へ向かう途中の中庭、その中心に、黒い御堂のようなものがあったのです。

 その御堂の前に、高価そうなスーツを着た何人もの年配の人間が、直立不動の姿勢で頭を垂れています。何事かの神事の最中だろうか? 熱に浮かされた頭でそんなことを考えながら、御堂の方へ目を向けます。


 ほんのわずかに開いた両開きの扉の間から、赤い光が漏れていました。


 あの光のことを、何と例えれば良いのでしょうか? 白熱灯やLEDのような人工的なものでもなければ、太陽や稲光ともまるで違う、生まれて初めて目にする、説明することが出来ない『光のようなモノ』でした。

 私が呆気に取られて立ち止まっていると、

 「ねえ」

 背後から、声をかけられました。

 振り向くと、そこには顔の四角いガタイの良い大男がいました。大男は昆虫を思わせる黒豆のような眼でじっと私のことを見やると、

 「アンタ、派遣さんだよね? 今、勤務時間だと思うんだけど、こんな所で何してんの?」

 私は、体調不良で早退するために来客用駐車場に向かっていることを伝えました。

 「ふぅん」

 大男は、私を見定めるように、頭からつま先までを幾度か眺めていました。彼は、私に何かしらの疑いをかけていたようですが、私が本当に体調が悪いらしいことを確認すると、「はっ」と馬鹿にしたように鼻を鳴らし、

 「まっ、分かったけどさ。あそこにいるの、この辺りのお偉いさんだから、邪魔にならないように静かに歩いて行ってね」

 と、言って、さっさと行けとばかりに手を振りました。

 常ならば腹を立てる所ですが、そんな余裕は全くありませんでした。体調が悪いこと、何よりあの気持ちの悪い『光のようなモノ』が恐ろしくて、私は何も言わずにさっさとこの場所を立ち去ろうとしました。大男から視線を切り、御堂の方へ身体を向けるーー


 ーーー頭を垂れていた全員が、いつの間にか私の方をじっと見ていました。


 私は思わず後退りました。彼らは全員、ガラス玉のように感情の抜けた眼で私のことを見ていました。

 「な…」

 なんですか、と言うことは出来ませんでした。


 気付いてしまったからです。


 黒い御堂の両開きの扉、その隙間から、灰色の指が覗いていることに。


 ーーーギッ、ギギ…


 扉が軋む音がしました。ゆっくりと、御堂の扉が開こうとしています。中から、『何か』が出てこようとしている。


 ーーーアレを見てはいけない。


 私は全速力でその場を駆け抜けました。御堂の方を一切見ずに駐車場まで辿り着くと、そこにはもうタクシーが到着していました。飛びつくように扉を開けると、

 「早く出してください!」

 大声でそう怒鳴りました。タクシーの運転手は私のことを異常者を見る目で見つめていましたが、結局何も言わずに車を発進させました。

 私は家に辿り着くまでガタガタと震えていました。体調のことなどもう忘れていました。私は、ただただ恐ろしくて震えていたのです。



         ※



 その日の夜から、私は高熱にうなされる日々を過ごしました。

 退職する旨は、帰宅後すぐ派遣会社に伝えました。『そんな急に言われても…』と言った風に引き止められましたが、私は辞めるの一点張りで通し、電話を切りました。後日、諸々の手続きに必要な書類が送られて来ましたが、私はしばらくそれに手をつけることが出来ませんでした。先にも書いた通り、高熱にうなされる日々が続いたからです。


 ーーーその最中、妙なことがいくつか起こりました。


 真夜中にインターフォンを鳴らされたことがあります。ドアスコープを覗くと、そこは真っ暗で何も見えない…私は、イタズラだと思い、布団に戻りました。

 随分後になって、『何も見えないのはおかしい』ことに気付き、ぞっとしました。


 夜中に目を覚ました時、時計を見ると夜中の2時でした。しかし、トイレを済ませて戻ると、夜中の4時になっていました。時計はアナログで、時間が狂ったのはその時だけ。

 熱でぼぅっとして、見間違えたのだろう、と自分を無理矢理納得させました。


 寝ている時、顔に誰かの息遣いを感じました。飛び起きて電気を点けると、一瞬だけ赤い光のようなものが見えました。


 ーーーアレは、私を狙っているのだろうか?


 その日は、一睡も出来ませんでした。

 (私は、このまま『連れて行かれる』のだろうか?)

 恐怖はありました。けれど、どこか他人事のように考えていました。長く続く熱が、私から生きる気力のようなものを奪っていたのでしょう。

 きっと、連れて行かれようが行かれまいが、私は死ぬのだろう。

 そう考えると、何もかもがどうでもよくなりました。

 その後も大なり小なり『おかしなこと』は続きましたが、私はもう構いませんでした。


 しかし、2週間後、私を苦しめていた熱は、まるで嘘だったかのように引いたのです。

 そして、不思議なことに、『おかしなこと』もぴたりとやみました。

 私は久しぶりに、自分が生きていることを実感することが出来ました。

 私は軽く身なりを整えて外出し、まともな食事を摂った後、諸々のやらねばならないことを片付けました。その際、ずっと後回しにしていた退職手続きも終わらせました。


 ーーーあれは悪い夢だった。


 そう思うことにしました。

 その後、私は製造業とは全く違う職種に就職し、1から新たな生活をスタートさせました。色々と苦労はあったものの、あの工場に比べれば天国のようなものです。私は充実した日々を送っていました。

 それから、半年が経った頃でしょうか。

 とある町で、ばったりと※※工業の班長に会ったのです。

 お互い、あまりに意外な再会に目を丸くしました。

 正直、※※工業の人間にはもう関わりたくなかったのですが、私は在職中、班長にだけは色々と良くしてもらっていたのです。私は頭を下げ、急過ぎる退職をしてしまったことを謝罪しました。

 班長は、笑って手を振りました。

 「ああ、いいよいいよ。謝る必要なんて無い」


 ーーーお前、『アレ』を見たんだろ?


 班長が言わんとしていることを、私は瞬時に悟りました。

 「逃げて正解だよ。・・・俺含め、碌な奴がいやしないんだ、あそこは」

 班長は自嘲で顔を歪めました。

 「・・・『アレ』は、一体なんなんですか?」

 「俺も詳しくは知らん。・・・ただ、『アレ』は、東北の山奥で製鉄をやっていた連中が崇めていた『何か』らしい。良質な鉄を保証する代わりに…という類のやつだよ」


 ーーーまともなモノじゃねぇ


 班長は、硬い声で吐き捨てました。

 「・・・」

 私が何も言えずに立ち尽くしていると、班長は私の肩をぽんと叩き、

 「今、この瞬間から俺とお前は会ったことも無いただの他人だ。俺はお前を見ても話しかけないし、お前も俺に話しかけるな。あんな所のことは綺麗さっぱり忘れて、新しい人生を生きろ。いいな?」

 そう言って、班長は私に背を向けました。

 「班長は…何であんな所にいるんですか?」

 その背に、私は我慢出来なくて声をかけてしまいました。私にはどうしても、この人があんな気味の悪いものに加担する人間には思えなかったのです。彼に助けられたことは一度や二度ではありません。仕事上のミスや、従業員同士のトラブルに巻き込まれた時も、班長は助けてくれました。彼が度々「若いんだから、もっとマシな職につけ」と言っていたのも、今にして思えば班長なりの警告だったのでしょう。※※工業側の人間とはいえ、私はこの人だけはどうしても恨むことが出来ませんでした。

 班長は立ち止まり、背を向けたまま言いました。

 「逃げたくても逃げれんのよ。俺は、お前とは違って、もう他の場所では生きられない人間なんだ」

 声には疲れが滲んでいました。

 「お前、今度実家帰った時、ご先祖様によく手を合わせとけよ。お前が2年も『連れて行かれなかった』ことも、『アレ』を見たのに逃げ延びれたことも、全部、ご先祖様が守ってくださったおかげだからな。しっかりお礼しとけ」

 それじゃあな、と言い、今度こそ班長は歩み去って行きました。

 私は、彼の姿が見えなくなるまで、その背を見つめていました。



         ※



 あれから十数年が経ちました。

 日本の製造業は、かつての異常な円高やリーマンショック等の余波により、私が派遣社員をやっていた頃の勢いは見る影もありません。

 つい先日、何気なく、私は※※工業のホームページを開いてみました。

 そこに記載されていた社員数は、私が在職していた頃の半分程度になっていました。

 おそらく、どこの工場でも行われていたように、大規模な人員削減を決行したのでしょう。新入社員や派遣社員も募集している様子はありませんでした。


 ーーーなら現在、『アレ』に『連れて行かれている』のは、いったい誰なのだろうか?

 

 ※※工業の業績は、このご時世にも関わらず、好調なようでした。おそらく、品質だけは、あの頃と何も変わらず『良好』なのでしょう。それならば、『連れて行かれている』誰かも、変わらず存在するはずーー

 それが今、『どのような人』になっているのか、私には調べる勇気はありません。


     

                 <了>


 



















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