鏑木 4

 その夜。

 着物姿のまま渡り廊下に立つ桃子のもとへ興人がやってくる。

「まだ着物のままなのか?」

「ここはいわば敵地ですからね。気を抜くわけにはいきません」

 興人は一瞬面食らったようだったが、やがて声を上げて笑い出した。

「アイツを見てどう思った?」

 桃子は正面を見たまま、

「お父上によく似ていますね。言ってしまえば想像通りです」

「腕は確かなようだけどな。だがまだ青い。経験が無さすぎる」

「別にわたくしは強い男に魅かれるわけではありませんよ」

 興人はやや不服そうに横目で見る。

 武術など所詮人殺しの技。心だ清さだと唱えた所で弱ければ意味をなさない。

 人は弱い者の言うことなど聞きはしない。

 人の心を動かすのも結局は強さ。

 心が強ければ技も強くなるものだ。

 それが連動するのなら、技の強さがそのまま心の強さになるはずだ。

 これは稲葉流の教えというより興人自身が己の芯に留めていることだ。

 稲葉流は教え子を抱える道場を構えている。

 興人はそこの師範でもあるので、体面上は清く正しい心を持つよう教えている。

 魁一郎はその教えの見本とも言える育ち方をしているようにも見える。

 どちらの信念が強者の理念に近いのか。それを確かめる絶好の機会なのかもしれない。

「まあ確かに、始めはお前の前でいい所を見せたい気持ちはあったけどよ。今は純粋にアイツとどっちが強いのか確かめたくなった」

「それで仕切り直しを?」

「どうかな」

 稲葉流と蕪古流は同じ源流を辿るとはいえそれは大昔の話。

 分家本家の間柄ではない。

 他の流派とて遡ればどこかしら繋がりがあったりするものだ。

 どちらが本家筋に近いのか。

 そういう勝負事が過去にも幾度となく行われたが、結局勝負あった所でその当人が未熟だっただけで、流派が破れたのではないという話で終わる。

 門徒の中でも誰が一番かでは揉めるのだ。

 大会のようなものを開いても、木刀では技術面に秀でたものが上位に行く傾向がある。

 練習で興人に一本を取る者は何人かいる。

 だが興人に真剣勝負を挑みたいという者はいないだろう。

「少なくとも彼には興味がわきました」

 興人のその言葉に少し表情を硬くしたが、話を逸らすように口調を変える。

「どうもその硬っ苦しい物言いには慣れねぇなぁ」

 桃子はふっと笑うと興人に背を向ける。

 立ち去るように数歩足を踏み出した所で、突然振り向きざまに手拭てぬぐいを繰り出した。

 湿気を含んだ手拭は、棒のように興人の顔面を叩く――所だったがいつのまにか取り出された小太刀に巻き付いた。

 二人はしばし鋭い視線を交わしていたが、やがてどちらともなく顔を綻ばせる。

「あなたも気を抜いてはいないではありませんか」

 力を抜き、手拭を解いて懐にしまうと、興人も小太刀を手の後ろに隠すようにしまう。

 それなりの長さがあるはずの刃物が、現れた時と同様どこにあるのか分からなくなった。

 小太刀に限らず剣術には、相手に刀を持っていることを悟らせない立ち方や歩法がある。

 懐や袖に隠すのはもちろん、武士の時代には腰に差した太刀を相手の死角に隠し、すれ違うまでその存在を悟らせなかったという。

「なるほど」

 興人は口を歪ませた。

 桃子には桃子の戦いがある。

 鏑木家から本家鏑古流の本拠地に赴いているのだ。

 元の家の名を汚さぬよう常に気を張っているのだろう。

 桃子は与えられた寝所へと向かい、興人はその後姿を見送った。

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