鏑木 3

「ほう。ここが蕪古流の道場か」

 魁一郎の後をついてきた大柄の男、興人が屋敷を見上げながら言う。

「こちらは華道の道場でしょう? 蕪古流は一子相伝と聞いているわ」

 その横に立つ女学生姿の少女が興人の言葉に応えた。

 魁一郎は門を潜る。

 てっきり稲葉の家から許嫁が来ると思っていたのだが、大男の方が稲葉だと言う。

 少女と兄妹かとも思ったが、先程鏑木と名乗っていたようだ。それとも名前ではなかったのだろうか。

 などと考えながらも、魁一郎は背後から発せられる殺気に常に意識を働かせていた。

 荷物を抱えながらも棒はしっかりと手に持ち、隙を見せればそのまま斬りかかろうと言わんばかりに威圧感を醸し出している。

 男の用向きは明らかに魁一郎にあるようだ。

 魁一郎の母――和子は稲葉から許嫁が来るというようなことを言っていたが、それはこういうことだったのだろうか。

 つまり用件は婚姻の約束などではなく、古来より続く蕪古流と稲葉流の因縁に決着を着けるための刺客だったのではないか。

 和子はあれでいて悪戯好きな所があるので、十分に考えられることだった。

 ならば話は早い。

 自分はまだ婚姻など考えられない。あるのは技の上達のみ。

 武道というのは道場で向かい合ってから始まるのではない。

 いつ何時でも戦いに備えていなくてはならない。

 この男もそれは分かっているのだろう。だから常に隙を窺っている。

 魁一郎は玄関を上がり、廊下を歩く時も一切油断することなく気を張っていた。

「ようこそ。あら、もうお目通りは済んだのかしらね」

 和子は道場へ通し、ではこちらへと少女を案内する。

 この娘は付添人だろうか。

 まあどうでもよいかと魁一郎は興人へ意識を戻す。

「私はいつでもよいぞ」

「やはり分かっていたか。全く隙を見せなかったからな。丸腰を装っているがしっかり帯刀しているな」

 それは興人も同じこと。

 もっとも稲葉流の場合は棒の両端に小太刀を仕込んでいて、抜かずとも武器になる。

 長い分有利だが、初めから見えているという不利があるものだ。

「別に殺し合いに来たわけじゃない。木刀くらいあるんだろう?」

 魁一郎は道場に備えてある小太刀ほどの木刀を二本、興人へと投げ渡す。

 魁一郎も一本手に取り、もう一本大きさは同じだが、ただの棒を持つ。

「なるほど。そっちは鞘か」

 説明の必要がないのなら、と魁一郎は構え、興人と臨戦の距離を取る。

 興人も木刀を構えた。

 じりじりと互いに距離を詰める。

「もう。男の人というのはせっかちですね」

 道場に染み渡るような静かな声に、向かい合っていた二人は動きを止める。

 声の主は和子だが、その後ろに着物の姿が見えた。

 和子が道を空けると、そこには先程の少女がいた。

 髪を結え、しっかりと着物を着付けている。

 それだけではない。伸ばした背筋は地の底から天空まで、一本の線が通ったように真っ直ぐで、それでいて左右均等ではない、バランスの取れた立ち振る舞い。

 武道を嗜む者でなくとも、美しいと思わせる。

 年の頃は十五、六であろうが、着物を着るだけで女性として完成されたかのようにも思えた。

 魁一郎は一瞬臨戦態勢だということを忘れて見入ってしまう。

 はっと戦いの相手に注意を戻したが、それは興人も同じだったようだ。

 互いに相手に注意を戻すが、間合いというか呼吸を測り直すためにいったん距離を取る。

「しかし今の間に着替えたのか?」

 興人が魁一郎から目を離さずに問う。

「当然です。わたくしは古流を嗜む者ですよ」

 その言葉に魁一郎は思わず少女の方を見る。

「申し遅れましたね。わたくしは、鏑木桃子とうこと申します」

「あなたの許嫁ですよ」

 魁一郎の口は無意識に開いていた。

 その隙を逃さないように、興人は一瞬で間を詰めて襲い掛かり、木と木のぶつかる甲高い音が響き渡る。

 すぐに反応したものの、魁一郎も受けるので精一杯だった。

 だが稲葉流は二刀。すぐさま反対の手にある木刀が襲い掛かり、それも同じように受ける。

「婚礼の儀を執り行う前に、お互いの意志を確認しておかなくてはなりませんが……、まああなたの意志は聞くまでもないとして、桃子さんの方は少し解決すべき問題がありましてね」

 音を立てて打ち合う二人を他所に、和子は涼し気に話す。

 興人は二刀を順手に持ち、握り込みは弱いがリーチを活かした攻撃を繰り出す。

 対して魁一郎は逆手に持ち、リーチは短いが力強い防御でそれを受けていた。

 体格は興人の方が大きい。

 順手逆手の有利不利を含めても互角のようだった。

 だが見た目は興人の一方的な攻撃となる。

 しかし剛の――力の型とはいえ、魁一郎も無駄なく攻撃を受けているため、一方的に疲労が蓄積するというほどでもない。

 しばし木が木を叩く音が道場に木霊した。

 その音が永劫に続くかと思われた頃、興人は攻撃の手を止めて二歩三歩と距離を取る。

 魁一郎は多少訝しんだが、油断なく興人の動向から目を離さない。

 興人は構えを解き、木刀で魁一郎を指した。

「まだ型が荒いな。そう、硬い。蕪古流は流れる水の如く柔の技が主流と聞くぞ。俺を倒せない奴に桃子はやらないつもりだったが、思ったよりは骨がありそうだ」

 興人は木刀を降ろす。

「このまま続ければ俺が勝つが、後で動揺したからだとかケチをつけられてもつまらん。勝負は預けよう」

「勝てると思うのなら続ければいい」

 興人は驚いたような表情を見せる。

「なんだ? お前、桃子が欲しいのか?」

「いや、そういうわけでは……」

「ならいいだろうが。挑むのは俺だ。いつ挑むのか決めるのも俺だ」

 身勝手な奴だ……と思いつつも、魁一郎もろくに事情を知らないのだ。

 ここは大人しく話を合わせることにした。

 木刀を置き、畳の上に正座する。

「では母上、説明をして頂けますか」

 和子は桃子にも正座を促す。

 その無駄のない動きに、魁一郎は思わず魅入った。

「蕪古流が元々京都にあったのは知っていますね?」

 魁一郎は肯定する。

 都が京にあった頃、無頼者から力なき者を守るため、はたまた魑魅魍魎を祓うために培われた。

 国に従事していたわけではなく、元は寺から発足したと聞いている。

 将軍家指南役に抜擢され、それを断ったために殲滅された流派もある中、蕪古流は華道にその太刀筋を隠した。

 表向きは鏑古流華道家元。

 その裏で脈々と技と理念を受け継いできた。

 弾圧の危険が無くなってからは表立って隠してはいないが、廃刀されて剣で身を立てる世の中でもなくなり、今は伝統芸能として華道の傍らで細々と続けているだけだ。

 それが先々代くらいで関東に居を移した。

 本家の道場は京都に残っていて、その後も華道だけは続いていたと聞く。

 武家としては親戚筋に当たる稲葉と交流が続いていたとしてもおかしくはないが……。

「桃子さんは旧家鏑木の娘で、幼い頃から筋が良いと聞いていました」

「それがこの度皆伝を賜ったものでして」

 次代華道家元として武家に嫁ぐことがしきたりだと言う。

「だがな、桃子は俺が初めに唾付けたんだ。ガキの頃に稲葉に嫁入りする約束をしてるんだよ」

 下品な物言いに、桃子がやや強い視線で興人を睨む。

「ならば稲葉の許嫁であろう。それがなぜこちらに?」

「あなたのお父様と約束をしたからです」

「父上と?」

 父弥一郎は蕪古流の先代だが、魁一郎が少年の頃に京都で辻斬りと闘い命を落としたと聞く。

 その時に桃子に会っていたのだろうか。

 修業に関しては既に基礎と理念を叩き込まれていたので、あとはただ修練を積むだけだ。

 だがいずれ稲葉とは剣を交え、自分の中に皆伝を見出す時が来るのではないかと思っていた。

「どんな約束をしたのかは知らないが、私には関係ない」

「ええ、その通りですわね。わたくしはあなたがどんな人なのかを見に来ただけです」

 女学生姿の時とは打って変わって落ち着いた様子の桃子に、若干戸惑いを見せながらも毅然とした振る舞いで、

「それなら、お二人で婚約すればよかろう。私は遠慮させてもらう」

「ああ、いいぜ。稲葉流には敵わぬとみて身を引くのは賢明な判断だ」

「いや、そんなことは言っていない」

「受けるのか?」

「無論。挑まれた勝負に背を向ける道理はない」

 魁一郎は木刀を手に取り、道場の中央に立つが興人は動かない。

「どうした? 臆したのか?」

「なんだ? お前そんなに早く桃子が欲しいのか?」

「いや、そうではないが」

 いきなりこんないい女が現れたら無理もないが……、と勝手なことを宣う興人に魁一郎は渋い顔をする。

「見極めるのは桃子なんだ。いつ決めるかは彼女に聞いてみたらどうだ?」

 桃子は二人を交互に見据える。

「わたくしは長旅で疲れました。できたら今日の所はゆっくりと休みたいのですが?」

 涼しい顔をして言うが、当人がそういうのならと、ここは引くことにする。

 魁一郎が桃子を一瞥すると、その口元は悪戯っぽい笑みを浮かべているように見えた。

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