まどい、むかい、花ひらく世界

篠騎シオン

第1話 あなたのそばに

「あなたは要領が悪いから、いい旦那さん見つけて早く結婚なさい」


数年前に亡くなった彼女の祖母の言葉。


当時はそんなことない、と思っていたのだけれど、自分の学力より少しだけ背伸びした、でも世間的には中の下ほどの大学に行って彼女は思い知った。


自分は、本当に何もできない人間だったのだと。


友達は、課題もそこそこに遊び歩いていて。でも、単位を落とすなんてしない。

彼女はというと、何時間も何時間も必死に勉強して、やっとみんなと同じ成績なのだ。

幾度も彼女はくじけそうになった。

でも、意地でも努力は欠かさなかった。


『そのまま落ちていって、誰も私を見つけてくれなかったら?

私にはみんなのように要領よく生きることはできない。

だから、私は頑張り続けて早く誰かに見つけてもらわないと……』


祖母の言葉は彼女の心を呪いのようにむしばんでいたのだ。


『私には不相応なほどの結婚が決まった時は本当に嬉しかったっけなぁ』


そう思い出した瞬間、心とお腹のあたりにずきりとした痛みが走る。

思い出してはいけない、辛い記憶が、彼女の頭の中で暴れだしそうになる。


叫び声を上げようとしたその時、


――ふわり。


彼女の頬に柔らかい何かが触れる。

それは彼女のすべてを見透かすようで、そして安堵を与えるようで。


彼女は、そっと、苦しみの眠りから目を覚ます。


「苦をとるだけのつもりだったが、起こしてしまったか。すまないな」


「いえ……」


彼女はそう答えながら体を起こす。

まだ耳慣れない、けれどあの人の声とは違って不快ではない男の声。

彼女は声の主をちらりと見る。

白く美しい毛並みの耳と尾をもった、この世のものとは思えない端正な顔つきの男。


『現実味がない。ううん、当たり前か。ここはもう現世げんじつではないのだから』


狐の妖と名乗る彼は、見えてきている緑に囲まれた集落のような場所を指さす。


「あそこが今日から其方が住まう世界。幼き妖たちが住む、魂久良たまぐらだ」


そして彼は、彼女に微笑みかける。


「頼んだぞ、母よ。そして私の妻よ」


彼女は、何年かぶりに羞恥に由来せず自分の頬が赤くなるのを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まどい、むかい、花ひらく世界 篠騎シオン @sion

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ