少年よ大海を抱け!

染谷市太郎

夏だ!海だ!沖縄だ!

 それのなにが楽しいのだろう。

 ここは夏の沖縄。目の前には海。

 炎天下に頭を焼かれ。べたつく潮風は居心地が悪い。

 南国を理想郷とイメージづけた旅行会社には反吐が出る。こんなものは水のあふれた砂漠だ。


「なにが楽しいんだ」


 少年はぼつりとつぶやいた。

 手元のタブレット。カメラ機能になっているそれは、画面に青い海と白い砂浜を映している。

 画面からもあふれるまぶしさに、少年は顔をしかめタブレットを地面に向けた。

 バン! ブロロロロ……。

 車が走り去る音。

 少年はしゃがみこむ。

 父が去ったのだ。少年を置いて。


「見送りはいいのかい? 少年」


 少年は振り返った。

 日に焼けた女。少年が置いていかれた家の持ち主。そして遠い親戚だ。

「別に……」

「そうか。まあ、好きにするといいさ」

 女はへらへらと笑う。

 女の名前は父から聞いたような気がするが、忘れてしまった。女は比較的若いようにも見える。一応の品行方正さがある少年は、さしあたって、お姉さん、と女を呼ぶことにした。

「あ、そうそう」

 お姉さんは振り返る。

「ヘビでるから、そこ。気をつけてね」

 忠告と共ににょろ、と出てきた蛇。飛び上がる少年。それを大きく口を開けて笑うお姉さん。

 少年は、やはり女呼びでもよかった、と口をへの字にした。




 お姉さんの家は、いわゆる沖縄の古民家だった。

 橙の屋根に、風通しのいい屋敷。その周りを石垣がかこっている。

 少年は縁側で寝ころび、入り込む風を受ける。

 海で遊ぶ気にはなれない。あるいは、森林を探検する気にも。

 お姉さんは昼食の準備をする、とだけ言って少年は放られている。

 下手にかまわれるよりも楽だった。


 両親の不仲は、薄々感じ取っていた。離婚するのだろう、とも察しのいい少年は気づいていた。

 父も母も、互いの人生を生きることに忙しいらしい。

 そして少年は、南国においてけぼりとなった。


 頬に風を受ける。

 暇だ。

 やることがない。

 眠気もなく、ゆるゆると目をあけてタブレットを点ける。

 ゲームでもやろう。しかし、開いた画面は『インターネットに接続されていません』。

「え」

 Wi-Fiがない。

「あ、昨日ルーター壊れちゃって、こんど直すから、待ってて~」

 お姉さんはご飯を並べながら笑う。

「電話はそこにあるからさ」

 と指されたのは、黒電話。番号を回すタイプ。プッシュ式ですらない。

 デジタルに慣れ切った少年には考えられない環境だった。

「そんな顔するなよ。昼飯食ったら、この辺案内してやるから」

 胡坐をかいたお姉さんは、豪快に笑った。白い歯が見える。

 昼食だというのに、卓上には5品もおかずが並んでいた。わざわざ多く作ったのか、とお姉さんをみやるが、どうやらこれが普通らしい。

 よく見れば漬物が多い。少年が食べられるものは、主菜と汁物とご飯くらいだった。

「このあたりは森が多くて街は少し離れている。なにか用があれば声をかけてよ、車出すから」

 もそもそ、と少年はご飯を口にした。

「今は夏休みだろう? 宿題はもってきたのか?」

 もう終わらせた、と少年は首を横に振る。

「なんだ、読書感想文くらい代筆してやろうとおもったのに」

 お姉さんはカラカラと笑った。

「自由研究も終わらせちゃったか。こっちの虫を標本にでもすれば、学校で人気者になれるぞ。今からでもどうだ?」

 虫は嫌い。と少年は首を横に振った。

「残念。おもしろいのに」

 お姉さんはしゃべりながらも、さくさくと食事を終えてしまった。

「じゃ、私は畑にいるから」

 食器は自分で洗ってね。と言い残して家の裏手に消えてしまった。


 少年は今だ、と思った。

 現代っ子の少年にとって、こんな家は地獄だ。文明の利器というものが全くない。おそらくあのお姉さんは、いわゆる田舎にあこがれた類の人間なのだろう。だが少年は田舎よりも都会がよかった。自然よりも文明に囲まれたかった。

 ゆえに少年はチャンスを逃さない。

 お姉さんの目が届かない今のうちに、どこかで電波を拾って、母に連絡を取ろう。

 きっと母なら、都会の家に住んでいる。そこにいさせてもらうのだ。こんなよくわからない田舎よりはましだ。


 少年は行動が早かった。

 わずかな荷物が入ったリュックサックを背負い、タブレットを小脇に抱える。

 地図は必要ない。父の車で来る際ある程度の道は眺めてきた。

 適当なコンビニか喫茶店にでも駆け込めば、Wi-Fiを使える。


 しかし、少年の考えは甘かった。

 暑い。道が長い。じめじめする。なんか虫も湧いてる。

 車と徒歩の距離は全く異なるのだから、当然だろう。しかし、普段はネットの案内で判断する少年は、簡単に見誤ってしまった。

 帽子のひとつ、水筒の一本持ってくればよかったものを。少年は想定だにしない道のりに、ぎらつく陽光を睨んだ。

 どれもこれも、おいていった父が悪いのだ。ネットにつなぎ、母に連絡さえ取れればどうにかなる。

 ただその一心が少年の足を動かした。

 そのようにけなげな少年の耳に、笑い声が聞こえた。子供の笑い声だ。

 ぱっ、と少年は顔を上げる。

 子供がいるということは、家か何かがあるということだ。そこにはネットにつなぐこともできるかもしれない。

 声の方向へ進んだ少年を、しかし金属製のフェンスが阻んだ。

 少年の身長をゆうに超えるフェンスを少年は見上げる。それの向こう側、緑の芝生の上で子供が数人遊んでいた。

 人がいる。ではフェンスは家を囲うものか。

 なんとか声をかけて試してみよう。少年はフェンスにそって歩いた。

 しかし、フェンスは切れることなく続く。そしてフェンスの向こうの景色も少しずつ変わった。家が並んだ景色から、学校のような建物が並びだす。タイヤの大きな車が中を走り、滑走路が遠くに見え始めたところで少年はおかしいことに気づいた。

 ここは家ではないのでは。

 途方にくれた少年はぼんやりとフェンスを見上げる。


「Are you lost, boy?」


 少年は飛び上がる。フェンスの向こうで背の高い男がこちらに向かってきた。

 英語で話しかけられた。知らない人に話しかけられた。

「ご、ごめんなさい!」

 少年は混乱し駆け出す。とにかくフェンスから離れよう。そのような考えしか持たずに、少年の足は森の中に向かっていた。

 うっそうとした南国の森は、一歩でも立ち入るだけで少年の姿は隠れてしまう。

 加えて少年は気づいていないが、森の中には虫も蛇も、彼が想像する以上に潜んでいる。

「ひっ」

 足を緩めた少年が、気付いたころには遅く、その腕にぴったりとヤマヒルが噛みついていた。

「いいぃぃぃぃっ」

 ナメクジのような見た目に少年は必死に腕を振るが、ヤマヒルは離れることはない。

「あぅっ」

 しかもぬかった地面に足を取られ転んでしまう。

 そして転んだ先、少年の目の前には長い胴体。ヘビが。

「うわあぁぁぁっ」

 少年はタブレットを拾い駆けだす。がむしゃらに走った。右も左もなく走った。

 とにかくこの未知の空間から逃げ出したかった。しかし少年はその意志とは真反対に、森の奥へと駆けていた。


 少年が、迷子になったと気づいたころには、もはや手遅れだった。

「ここ、どこ」

 どちらから歩いてきたのか、どちらへ行けばいいのか。もはや少年には判別つかなくなっていた。

 腕にはまだヤマヒルもくっついている。

 挙句にはぽつりぽつりと雨も降ってきた。雨はあっという間にスコールに変わる。

 少年は慌てて、目についた洞窟に入る。

 もう足は棒のようで、動けなかった。しゃがみこみ呆然とする。洞窟の奥から吹く冷たい風に、ぶるりと震えた。振り返れば、洞窟はぽっかりと黒い口を開けている。

 ぎゅっ、と体をこわばらせた。薄暗いなか、明かりが欲しい。少年はタブレットを点ける。

「え」

 しかし、画面がひび割れたタブレットは黒い画面のままだった。

 壊れてしまった。

 タブレットが壊れてしまった。

 ばたた、と割れた画面にしずくが落ちる。

 黒い画面に、少年の泣き顔が反射していた。

「ふぅっ……ぅ゛っ……」

 情けないその顔に、少年は涙を流すまいと目をこする。泣いてはいけない。情けないところを見せてはいけない。我慢しなければ。

 けれども、少年の内に渦巻く感情はぐるぐると少年の心を乱し続けた。

「ぅう゛~っぅぁああ~っ」

 苛立たしい。コントロールできない自分も。自分を置いていった両親も。わけのわからないこの土地も。思い通りにならないこの環境も。

 苛立たしい少年は、堰を切ったように声を上げて泣き出した。

 それをかき消すように雨は強い。わんわんと洞窟に響く。

 すすり泣きに変わるころには、少年は冷え切った足を抱え丸まっていた。

 足元に虫の死骸が転がっている。

 腕のヤマヒルはいつの間にかいなくなり、血がわずかに流れていた。

 こんな知らない場所で自分は死ぬのか。

 少年は絶望の淵に立たされていた。まだ子供の少年には、世界から切り離され一人ぼっちのこの孤独に耐えられなかった。

 すんすん、と鼻をすすり、うずくまる。

 父は何も知らずに遊んでいるのか。誰も自分を心配することはないのだ。自分はいなくていい。わかっている。けれど、せめてさいごに、あいたかった。

「……おかあさん」


「少年!」


 鋭い声が雨音を引き裂いた。

 雨足が弱くなる。

 顔を上げた少年。その目の前に、ぬっと日焼けした女が表れた。

「少年! 生きているか!」

 がしっと両肩を掴まれゆすぶられる。

 少年の顔を見たお姉さんは、その存在を確かめ、一息に表情を緩めた。

「よかった」

 少年の体を両腕がつつむ。雨で冷えた体に、お姉さんの体温が伝わった。

 その感覚は、いつか昔、母に抱きしめられたときのようで。少年は静かに目をつむった。




 車の助手席で揺られる。

 お姉さんは何も聞かなかった。聞かなくても、わかっているのかもしれない。

 少年はバスタオルにくるまれて、窓の外を眺めていた。

 車は、家とは逆方向に向かっていた。

「機械に詳しい友達がいるんだ」

 そういったお姉さんは、車を繁華街近くの駐車場に止める。

 連れられて入った、古いビルの二階。刺激のある煙草の匂いが廊下にこびりついていた。

「おーい。修理たのまれてくれよ」

「うるっせぇな」

 ノックもそこそこに侵入した部屋。奥から太った男がのそのそと現れる。

 少年は、その恰幅のよさよりも男の青い目をじっと見てしまった。

 男は少年の視線を感じるやいなや、チッ、と舌打ちをして室内にも関わらず黒いサングラスをかけた。

「ガキつれてくるんじゃねえよ」

「この子のスマホ直して欲しいんだよ」

「スマホじゃなくってタブレットだろ。このおおざっぱ」

「ついでに今度ルーターも直して~」

「なんでもかんでも俺を頼るな!」

 といいつつ、タブレットを持って男は机に向かう。


「安心しなよ。あいつは機械に強いんだ」

 お姉さんは放置されたペットボトルゴミや缶ゴミを回収しながら、少年へ声をかける。

「だから、あれもきっと直してくれるよ」

「いっとくが、そう期待するなよ」

 丸投げなお姉さんに、男は眉を顰める。

「割れてるし若干水没してるし、データの救出はできるけど、機械は買い換えたほうがいいな」

 いろいろな機材をつなげながら、男はパソコンを操作していた。

「写真とかは、いっそアナログなほうが持ちがいいぜ」

「じゃ、印刷しといてくれる?」

「注文増やすな! それくらい自分でやれ!」

 男はメモリーカードを投げてよこした。写真のデータが入っているようだ。

「あんがと。お礼に部屋掃除しといたから」

「勝手にいじんな!」

「おかずの写真集、Aカップから順に並べといたから」

「もう出てけ!」

 投げ渡されたタブレットをキャッチし、じゃぁね、とお姉さんは少年を抱えそそくさと出ていった。


 電源ボタンを押せば、タブレットの画面はしっかりと明るくなった。ヒビは入っているが。

「いい腕してるだろ?」

「うん」

 買い出しに行っていたお姉さんは、両手に荷物を持ちながら笑う。

 タブレットの中身は無事に回復していた。残っていた写真を眺めて、少年は少しばかり口角を上げる。

 それを見たお姉さんは、目元を緩めた。

「夕飯は、なにがいい?」

「え」

 頬杖をしてこちらを眺めるお姉さんに、少年は振り返る。

「お昼はあまり箸が進んでいなかっただろう?」

 見られていたのか、と少年は顔を赤くした。

「今夜は特別だ。肉でもケーキでも、なんでも食わせてやるさ」

「……どうして」

 少年はタブレットに視線を落とす。

「どうして、僕を預かったの」

 どうして。

「僕をいさせてくれるの」

 少年の問いに、緩やかに笑む気配がする。

「同じだからだよ」

 お姉さんは静かに答えた。

「同じだからだ。私も、おいていかれた口だから」

 少年は目を丸くした。

「さっきのあいつも、同じ。だからかな、うまが合う」

 タブレットを直してくれた男も、同じだという。

「置いていかれて、いろいろなところを迷子になった。だから、同じ迷子は見捨てられないのさ」

 白い歯を見せて笑うお姉さんに、少年は表情を緩めた。

「腹が減っただろう。うまいものを食おう。ここは飯がうまい。ブタも、マンゴーも、海ブドウも、ハタも、うまいものを食おうや」

 明るい声に、少年は小さくしかししっかりと返事をする。

 エンジンをかけられた車は、少年を乗せ走り出した。

 車窓に夕日が差し込んでくる。まぶしく目をそちらへ向ければ、水平線の向こうに夕日が沈もうとしていた。青かった海が、赤く輝く。

 自然と少年の手はタブレットを操作し、レンズの向こうで海をとらえた。

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少年よ大海を抱け! 染谷市太郎 @someyaititarou

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