かんざし仏像

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かんざし仏像

 その居酒屋は、狭い路地にひっそりとたたずんでいた。

 広島県尾道市、路地裏の一角にある小さな店だった。

 看板も小さく、店名さえ書かれていない。だから初めてこの店に入る客の大半は、そこが飲食店だと気づかないだろう。

 ある意味、知る人ぞ知る隠れ家的な存在と言えるかもしれない。

 座敷席で二人の男が向かい合っていた。

 二人共、20代半ばの若い男達だ。

 共にこの居酒屋に通う常連だった。

「なあ。《かんざし仏像》って、聞いたことあるか?」

 そう言ったのは、友人の大樹だいきだ。

「何だそれ? 変な名前だな」

 それに答えたのは、徹也てつやだ。

 二人はビールを飲みながら、世間話をしていた。

 ちょうど話題が途切れた時、ふと思い出したように大樹が言ったのだ。

「なんでも寺の仏像に挿してある、かんざしらしいぜ。しかも江戸時代からあるらしく、それなりの値打ちがするらしいんだ」

 それを聞いて、徹也が興味を惹かれたのは値打ちの部分だった。

 二人共ギャンブル仲間ということもあって、常に金欠気味である。そんな彼らにとって、価値のあるものは喉から手が出るほど欲しい物なのだ。

「どうだ。濡れ手で粟って言うだろ。俺達二人で金にしねえか?」

 そう言って大樹はニヤリと笑った。

 大樹の提案に、徹也は即座に賛成した。


 ◆


 次の日の夕方には、二人は山手にある寺に向かっていた。

 すでに日は沈み、辺りは暗くなり始めている。

 夜の山道を歩く危険はあるが、二人が目指す場所はそれほど遠くはなかった。

 ほどなくして、彼らは目的の場所にたどり着いた。

 ボロ寺と呼ばれるような荒れ果てた外観の寺だが、それが逆に人目を避けるのに適している。

 二人は周囲に人がいないことを確認して、寺の敷地内に足を踏み入れた。

 目的は、本尊として祀られている仏像の頭にある、一本のかんざしだ。

 徹也を先頭に、二人は暗い本堂へと近づいていく。

「大丈夫だ。誰もいねえ」

 大樹の言葉に、徹也はうなずいた。

「よし。さっさと済ますとしようぜ」

 そう言いつつ、徹也は本堂に上がり込むと、すぐに仏像を発見した。

 聞いた通り、仏像の頭に一本のかんざしが不自然に挿さっている。

(あれだな……)

 そして、徹也は、かんざしに、そっと手を伸ばすと、それを引き抜いた。

 古いかんざしと聞いていたが、意外と簡単に引き抜くことができたことに拍子抜けしながら、それをしげしげと眺めた。

 かんざしを手にするのは初めてなので、価値は分からないが年代物の雰囲気を感じた。

「よし。逃げるぞ!」

 徹也はそう言って、慌てて外に飛び出した。

 大樹も続いて出てくる。

 二人は寺の敷地を飛び出すと、参道を走り下りた。

「やったな。大儲けだぜ」

 大樹が嬉しそうに言った。

 その言葉に、徹也もうなずいて答える。

「これが数十万、いや百万円になるかもな」

 そんな大金を手にしたら、しばらくは遊んで暮らせるだろう。

 そう思うと、自然と口元が緩むのを抑えられない。

「分前は半々だからな」

 大樹は一応、念を押しておくことにした。

「分かってるよ」

 徹也は笑いながらうなずいた。

 その時だった。

 山の木々がざわめいたかと思うと、何かが近づいてくる気配を感じたのだ。

 それは、まるで強風が襲ってきたように背後にある木が揺れ動いたのを感じた瞬間のことだった。

 二人は同時に振り返った。

「……しい」

 声がした。

 その声は女の声。

 だったような気がする。

「……しい。……しい」

 声のする方を見ると、木の上から黒い大きな人影が、ゆっくりと降りて来た。

 人と同じ様に手足はあるが、その異様な姿はどう見ても人間には見えなかった。

 身長2mを超える巨体に、異常に大きな手足を持ったその姿は、猿のようであったが、海藻のように長く伸びた髪の毛の間から覗く顔は人間の女性のものだった。

 美しさはない。

 老女のような醜悪さであり、その顔に浮かぶ表情は憎悪に満ちていた。

 化け物だ。

 その姿を認めた瞬間、二人の中に恐怖心が沸き上がった。

 化け物は頭を下に蜘蛛のような動きで、木の幹を降りて来る。

 姿が見え、距離が近づいたことで、化け物の口にする言葉がはっきりと聞こえてきた。

「……ほしい。…………し、ほしい」

 化け物は、そう言いながら木を降りる。

 いや、降りてくると言うよりも落ちて来ると言った方が正確だろうか。

 化け物は、手足をバタバタさせながら地面に激突した。

 しかし、それで終わりではなかった。

 そのまま地面の上を這いずりながら近づいて来たのだ。

「……ざし、ほしい。…………かんざし、ほしい」

 化け物の動きはまるで蛇のようだった。長い体をくねらせて、こちらに向かってくる様は不気味としか言いようがない。

 徹也達は悲鳴を上げて逃げ出した。

 走りながら振り返ると、化け物は立ち上がって追いかけて来ていた。

 明らかにこちらを狙っているようだ。

 必死に走るが、化け物の動きは速く、あっという間に追いつかれてしまった。

 大樹の腕が化け物に掴まれた。

「……かんざし、ほしい」

 化け物は同じ言葉を繰り返し、大樹は、そのまま持ち上げられる。大樹の足先が宙に浮いた。

 彼は必死になって足をばたつかせて抵抗するが、化け物の力の方が強いようでビクともしない。

 大樹の顔が苦痛で歪む。

 このままではまずいと思った徹也は、とっさに近くにあった石を拾い上げると、力いっぱい投げつけた。

 それが化け物の顔に命中するが、化け物は怯まない。

 それどころか、怒り狂った様子で大樹を投げ飛ばしたのだ。

 大樹は宙を舞い、背中から木に叩きつけられた。

 衝撃で肺の中の空気が一気に吐き出される。呼吸ができない苦しさに咳き込んだ。

 そこに化け物は、大樹に飛び乗ると粘土を揉むように彼の腹に爪を食い込ませた。

「……かんざし、ほしい」

 化け物は呪文のように、その言葉を繰り返す。

 大樹は喉が裂けんばかりの絶叫を上げ痛みに悶絶する間もなく、今度は化け物に首を噛みつかれてしまう。

 鋭い痛みが首筋を襲い血が噴き出す。

「た、大樹!」

 徹也は叫んだことで、化け物の目が彼に向いた。瞳孔が縦に裂けた瞳が彼を捕らえている。

 その瞳を見た瞬間、徹也の全身が総毛立った。

 逃げなければと思うものの、体が言うことを聞かない。足がすくんで動けないのだ。

 化け物は爪の伸びた手を広げ、徹也に対し一気に襲いかかってきた。

 爪の一撃は徹也の胸を引き裂く。

 服の生地と共に、血飛沫が飛び散り激痛が走った。

 徹也は棒のように倒れ込み、地面を転がった。

 痛みに耐えながら起き上がると、胸に激しい痛みを感じた。見ると、服が大きく切り裂かれており、その下の皮膚からは血が流れ出していた。

 傷口を押さえながら顔を上げると、目の前に化け物が立っていた。

 その姿を見てぞっとする。

 醜悪な姿であったからだ。

 女の顔を持つ化け物は、徹也を見下ろしていたが、その近くに、かんざしが落ちていることに気づくと、それを拾いあげた。

 化け物は、かんざしを口にくわえると、逃げるように去っていった。

 助かったのだろうか?

 そう思いながら胸を押さえると、ぬるりとした感触が伝わってきた。

 掌を見ると真っ赤な血がべったりと付いている。

 出血が多いせいか頭がふらつく。

 意識が遠のいていくのを感じた時、誰かが駆け寄ってくる気配を感じた。

 その気配が誰なのかを考える余裕もなく、徹也は意識を失った。


 ◆

 

 徹也が意識を取り戻すと、木製の天井が見えた。

 和室だ。

 横を見ると、そこには僧衣を身にまとった老人が座っていた。

 年齢は60代後半くらいだろうか。白髪交じりの頭髪を後ろに撫でつけ、口周りに髭を生やしていた。その顔は穏やかそうな印象を受けるが、どこか厳かなものを感じさせる雰囲気があった。

「気が付きましたか?」

 老人は優しい口調で話しかけた。

 徹也は自分の体をみると手当されていることに気が付いた。どうやらこの人物が手当てしてくれたらしい。

「あんたは?」

 徹也が訊く。

「寺の住職です」

 老人・住職の言葉を聞いて、自分が寺に来た目的と何をしたのかを思い出す。

「そうだ!大樹は!?」

 慌てて周囲を見回すと、同じ部屋に大樹の姿があった。徹也と同様に手当をされた姿で、布団の上に転がっている。

「生きていますよ。酷いケガですがね」

 それを聞いてホッとした。

 あの状況から考えると奇跡的なことだ。

「……かんざしを盗みましたな」

 住職の言葉にドキッとした。やはりバレていたのだ。

「金にしようと……。それで化け物に……。あれは、何なんだ」

 徹也の言葉に、住職は深く息を吐く。

「尾道にお住まいなら、かんざしと聞いて何を思い出しますか?」

 唐突な質問に戸惑ったが、すぐに答えが浮かんだ。

「……かんざし灯籠とうろう

 それは、かつてこの地で起こったという悲劇だ。


【かんざし灯籠】

 江戸時代の末。

 芝居小屋にそれは美しい、しかしどこか寂しい影があってあまり客の寄りつかない、お茶子がいた。

 お茶子とは、観客にお茶や座布団、時にはお酒の接待などもして心付けをもらう女性をいう。

 そのお茶子に浜問屋の若旦那が恋をした。

 内気な娘の、そんな心ともなさがかえって、豪商の跡取りながら一人の多感な若者の心に火をつけたのだったが、身を飾るかんざし一つとてない娘の姿を見た若旦那の親は、こんなみすぼらしい娘を嫁に迎えることなどもっての外と、その恋を許さなかった。

 娘は悲しみのあまり身を投げた。

 そして、若旦那も娘の後を追い同じ海で身を投げてしまった。

 若旦那を失くした浜問屋の主人は力を落としてしまい、やがて店も落ちぶれていったという。

 以来、幽霊が出るという噂があった。

 幽霊は夜な夜な銀杏の木の下に現れ、「かんざし欲しい…」と悲しげな声で訴えった。

 人々は娘を哀れに思い、かんざしの形をした灯籠を建てた。

 この燈籠は《かんざし灯籠》と呼ばれ尾道久保新開の八坂神社に背の高い石灯籠が現在もある。


「話には、語られていない箇所もありましてな。親に認められなかった若旦那は、すぐに、かんざしを買って娘に与えようとした。じゃが、かんざしを手渡す前に娘は身投げした後じゃった。

 若旦那は、行き場のなくなった、かんざしを挿す仏像を作らせた。娘を弔おうとしたんじゃろうな」

 住職の言葉に、徹也は言葉を失うしかなかった。

「……俺が、かんざしを盗んだことで、仏像が取り返しに来たのか」

 徹也の問いに、住職は静かに頷いた。それから少し考えて、言葉を紡いだ。

「言っておったじゃろ。《かんざし、欲しい》と」

 その言葉に、徹也は背筋が寒くなった。

 それは、あの化け物が繰り返していた言葉だ。

 徹也の目に、涙が浮かんできた。

 何の涙か自分でも分からなかった。

 かんざし灯籠の悲しい恋物語なのか、自分が行った愚かしい行為の後悔か、それとも命が助かったという安堵からか。

 ただ、徹也は頭を下げていた。

「……すみませんでした」

 頭を下げたまま、そう謝った。

 しばらく頭を下げていると、肩に何かが乗せられた感触を覚えた。

 住職の手が自分の肩に置かれていることが分かった。

「ワシは、お務めがあるでの」

 優しい声だった。

 徹也が顔を上げると、住職の顔が間近にあった。

 目が合うと、住職はにこりと笑った。

 そして、住職は、ゆっくりと立ち上がると部屋を出ていった。

 一人残された徹也は呆然としていたが、ふと思い出したようにスマホを取り出すと、自ら110番を押していた。

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