神様へラブレター

雨乃よるる

描くということ

 葉月は、大きな茶封筒を胸に抱え、そそくさと席を移動した。

 雑然とした休み時間の教室で、蒼斗あおとは一人小説に没頭している。カバーのかかった文庫本だ。葉月が声をかけると、蒼斗はしおりを挟むのも忘れて勢いよく本を閉じた。

「あのね、蒼斗くん」

 葉月の真剣な目に、蒼斗は一度座りなおした。

「私、小説、書いたんだ。読んでくれない?」

 差し出された茶封筒に一瞬固まってから、蒼斗が口を開く。

「小説?」

「うん」

「葉月さんが、書いたの?」

 蒼斗を見据えたままこく、とうなずいた。

「どうして、僕に?」

 薄氷を踏むような慎重さで蒼斗が尋ねる。

 構わず、葉月はいきなり、周囲がびっくりするような大声を出した。

「私、蒼斗くんのこといつも見てるんだ!」

 踏んだ薄氷が、盛大に割れた。氷の下から噴き出た水に慌て、蒼斗は口を半開きにした。

「いつも見てたら、蒼斗くんの出てくる小説を思いついちゃって、十一万字書いちゃったから、本人に渡さなきゃって思って」

 じゅういちまんじ、と蒼斗はあきれたように繰り返して、渡された茶封筒を受け取った。

「ありがとう。また感想聞かせてね」

 葉月は風のように去っていく。蒼斗の手元には、ずっしり重たい十一万字がのっかっていた。


 *


 母に呼ばれて、ページをめくる手が止まった。我に返ってみると、もう半分以上読み進めてしまっている。

 驚いたことに、小説は実に上手く書けていた。プロの作品と並びたつほどの構成力で、次々と読ませる。さらに純文学と見紛うほどの硬派な文体で紡がれる美しいシーンの数々。それでいて、エンタメとしての面白さも忘れてはいない。

 プロ以上だ、と蒼斗は思った。

 夕食を食べる間も話の続きが気になって、いつもはゆっくり味わう料理もかきこんでしまう。早めに食べ終わると、すぐ二階の自分の部屋へ駆け込んだ。

 舞台は世紀末。孤独な旅を続ける少年が、自ら「神様」を名乗る少女に出会う。初めは何も知らないお嬢様に見えた少女が実は心に闇を抱えていたことを知り、少年はある集団から彼女を守る決意をする。しかし、少年は彼女が「神様」の権限で地球を破壊しようとしていることを知り……。

 終盤になるにつれて深化していく二人の心情の描き方にも圧倒的なリアリティを感じる。ラストは、少年が荒廃した世界で再び希望を見出そうとするところで終わった。

 窓の外の闇を見つめながら、蒼斗はしばし余韻に浸った。


 *


「小説、どうだった?」

 日は差しているのにやけに湿度の高い不思議な天気だった。二人きりで話せるように、葉月と蒼斗は学校の屋上へ来ていた。

「すごい、面白かったよ」

 そう言うと、葉月は目をぱっと見開いて徐々に口元を緩ませた。

「ほんとに? 誰に一番共感した?」

 蒼斗は一番初めにその質問をされたことに困惑した。強いて言えば、と口に出したのは、主人公に敵対する組織の下っ端の名前だった。

「仲間をすごく愛してるのに、その輪にうまく入っていけない感じに共感したかな」

 その答えを葉月は真顔で聞いてから、目をぎゅっとすぼめて考え込んだ。

「アオイには共感しなかった?」

 アオイは、「神様」を自称するヒロインの少女の名だった。

「心情は上手く書けてると思うけど、自分の生い立ちとはあまりにもかけ離れてて」

「生い立ちが違っても、気持ちの深い部分で共感したりとかは?」

 葉月の目でぐっと見つめられた蒼斗は、きっぱりと言った。

「共感しなかった。アオイは仲間を必要としていなくて、孤独を愛している感じがした。だから僕とはタイプが違う」

 葉月はさっと視線を逸らして、蒼斗から離れた。屋上の柵に手をかけ、騒がしい道路に行き交う車をしばし見つめる。

「あのね、アオイって、蒼斗くんなの」

 言葉を一瞬切るたびに、息を吸う儚げな音がはさまる。

「独りで本を読んでる蒼斗くんを見て、きっとすごく難しいこと考えてるんだろうなと思った。そのとき、誰ともわかり合えない孤高の神様のイメージが浮かんだの」

 蒼斗は、何か言おうと吸いかけた息を止めた。

「人には分からないことまで見えてしまうから、人よりも多くの選択肢を知っている。そんな決定権を持っている蒼斗くんが素敵だと思ったし、自分次第ですべて決まってしまうって辛いだろうなとも思った。そんな苦悩を抱える神様を描きたかったの」

 青空の下たたずむ葉月の頬に、水滴が一つついた。雨だった。その姿が、蒼斗の中で誰かと重なる。そう、ラストシーンの、少女を失って独りになった少年だ。

 急激に、顎の辺りに血が集まって沸騰していく。

 蒼斗は、その少年と目の前の現実にいる少女を、同時に殴り飛ばしたい衝動に駆られた。口の中に溜まった熱い塊を、葉月に叩きつける。

「言っておくけど、僕はアオイとは全然違う。本が好きで、友達が欲しい普通の高校生だ。葉月が言ったような決定権も、特別な何かも持っていない」

 葉月はそれを聞き終えると、待っていたかのように口を開いた。

「じゃあ、あんまり、小説は面白くなかった?」

 彼女の横顔に、雨ではない水が流れたのを、蒼斗は見た。

「面白かったよ。だけど、僕をモデルにしてあの少女を書いたんなら、葉月さんはいろいろ勘違いしてる」

「そっか」

 すがすがしい顔で振り向いた彼女は、空を仰いで目を細めた。

「じゃあ、小説のラスト通りになったね」

「どういうことだよ」

 あきらめと希望を湛えた笑顔を、真っ直ぐ蒼斗へ向ける。


「私は、あなたを失った」


 低くきっぱりとした声を残し、日差しと雨粒が、葉月をさらっていった。入れ違いのようにクラスメイトの女子が屋上へやってくる。

「蒼斗くん、そこにいたんだ」

 その声の主は、蒼斗のもとに駆け寄り、恥ずかし気にハートマークの付いた小さな封筒を差し出した。


Fin.

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神様へラブレター 雨乃よるる @yrrurainy

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