第2話

 東京都心部にある某出版社ビルの一室。白の壁に囲まれた部屋の中で、私はキャスター付きの黒い椅子に座っている。机を挟んで向かいにいるのは、担当編集の佐藤さとうだ。


清水しみずさん、今回も海を描いてきたの?」


 同性同年代の佐藤は、黒いロングヘアを左手の人差し指でくるくる巻きながら尋ねた。


「ダメ、でしょうか?」

「いや、いいんだけどさぁ。読者もそれを望んでる節があるし」


 マグカップに入った熱々のコーヒーを口に流しながら、佐藤は机上の資料に視線を落とす。


 資料に描かれた海は、濃い青色を主体としながらも、白色や黄色、赤色なんかも混ぜられている。タイトルは『希望のうみ』だ。


「でもさぁ、清水さんの画力なら他の題材もばっちし決まると思うんだよねぇ。例えば、廃墟と化した建物とか」

「う〜ん……。でも、私は海を描くために……」

「この業界に入ったんでしょ?それはわかる。でも、伸びたいならもっと手広くいかないと」


 私は閉口する。確かに彼女の言っていることはもっともだ。絵で食っていくのなら、もっと幅を広げていろんなものを描かないといけない。


「そういえば、清水さんは本物の海を見たことがないって言ってたけど、これから見にいく気もないの?」


 佐藤が鋭い質問を飛ばす。


「はい……」

「なんでよ。見に行った方がクオリティ高いものが描けるでしょ」

「それは……ちょっと」


 答えを濁す私に、佐藤が呆れた様子で言う。


「まぁ、いいや。私は行った方がいいと思うけどね。今回のも充分出来いいから、そのまま掲載ね」

「あ、ありがとうございます!」

「じゃ、ちょっと他の人と話してくるから、ちょっと待っててね」


 そう言い残し部屋を出た彼女を横目に、私はスマートフォンを開いた。ホーム画面が網膜に投映される。


大地だいち……」


 壁紙の大地は、サーフボードを手に持ちながら満面の笑みを浮かべていた。背後には、宮崎の海がある。


 私はその笑顔を記憶に焼き付ける。また会いたい笑顔、また見たい笑顔を。


 もう見れない笑顔を。

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