第一章 ①はじまりの宇和島

 旧暦神無月かんなづきの昼下がり。

 小春日和の瀬戸内海の反射光がたっときシトラスを暖かく照らす。

 吉田町よしだちょうのみかん山。急斜面の砂利道を軽トラックが行き来する。積み上げられた石垣の南向きの段々畑には柔らかなみかんがたわわに実る。市街地を見下ろす鬼ヶ城山の山頂はもうすぐ雪化粧をするだろう。

 

 しま真珠しんじゅいろ龍神が出雲いずも大社おおやしろのカミハカリ(神議かみはかり)に出立しゅったつする。龍神界ナンバーワンと評判の見目麗しい女龍神が宇和島湾の海底から天高く飛び立った。

 八百万やおよろずの神々が神在かみありつきの出雲に集結するということは。えにしある氏神うじがみが不在になることを意味している。しかし神無月かんなづきを不安に思う人間はいない。

 人間はこのひと月に『未來』の明暗分かれたる審判ジャッジくだされていることを知らない。

 知らないから神の力を信じない。

 信じないから自らの運命が定められていく『カミハカリの演算』を恐れもしない。

 あべこべに。天地あめつちの生命と万物に宿る精霊たちは。神在かみありつきのカミハカリの演算を根源からきょうしている。

 

 谷風吹くみかん畑に。男の荒い息遣いがだまする。固い土には太ももから清らかな鮮血が細い川をなして流れては染み込んでいく。小さな手にぎゅっと握りしめられたみかんから。果汁が弱くにじみ出る。

 仰向けに横たわる幼女の顔は蒼白そうはくだ。おおいかぶさる若い男に容赦なく揺さぶられている。小さな身体は脱力して息絶え絶えになっている。朦朧もうろうとする幼女はただうわの空に。澄んだ青い空を見つめていた。

 幼女の見つめる視線の先には。天空を飛翔する真珠色龍神の姿があった。

 

 真珠色龍神は空上静止した。キラリ、龍眼が光る。たちまちに青い空に黒雲が呼び寄せられた。途端に辺りは暗くなって迅雷じんらいとどろく。にわかにかた時雨しぐれが降り出した。

 閃光せんこうが走る。一筋の落雷が若い男のすぐ脇をかすめて地面をつんざいた。みかん畑は地響きにうなって揺れる。

 ジュウウウゥゥ……。真珠色龍神は怒りをにじませ男の首筋に焼き印を押した。それは『空蝉うつせみ模様の烙印らくいん』だった。

 

 落雷の衝撃と首筋に走った疼痛とうつうに。興奮状態だった男はハッとして我に返った。

 ふと視線を下に落とす。地面には血まみれの幼女がぐったりとして横たわっている。

 死んでしまったのか? まるでボロ人形のように動かない。

 かすかにまぶたが揺れた。しかし。もはや虫の息だ。

 瞬時に自己保身の心に支配される。男は幼女を置き去りにして走り出す。

 急な斜面を転げるように駆け降りる。停めてあるシルバーのワゴン車の運転席を占拠してアクセルを踏み込んだ。キキキイィッ、タイヤを鳴らして急発進させた。

 エンジンをうならせながら猛スピードで砂利道を走り抜ける。騒音は雷鳴に打ち消されていた。

 

 男の首筋には消えない烙印らくいんが焼き付けられていた。この空蝉うつせみ模様の烙印は。天上界に仕える龍神を敵に回したという『証憑しょうひょう』なのである。

 真珠色龍神は急いで出雲いずも大社おおやしろへと向かう。これから七日間。八百万やおよろずの神々がつどうカミハカリの神事がある。この先の未來を定める会議に出席するのだ。

 

 ある場所では。或るたっとき人物が。小さく息を漏らして静かにいきどおっていた。

 あらがえずに招来するであろう否運ひうんを見澄まして。わずかになげいた。

 そして。変革していくであろう未來の構築コンストラクトを開始していた。

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