第2節 埋葬

 診療所にやってきた警察官は、いつも通りに横柄だった。


「なんで死体を勝手に動かしたんだ?」顔一面に、こけのような髭を生やした警察官が言った。


「あんたら、呼んだってすぐにこないだろ? 救急車も」ジェイは眉間にしわを寄せる。「まだ生きてたからだよ」


「おまえが殺したんじゃないのか?」


「そう思うんだったら、しっかり捜査をしてみるんだな」


「ああ、犯人はきっと捕まえてやるさ。その気になればな」警察官は唾を飛ばして笑う。「おまえに俺をその気にさせられるか?」


「お断りだね」ジェイは首を横に振る。「おまえらに金を渡すくらいだったら、尻を拭くトイレットペーパーの代わりにするよ。安月給で食べていけるか? 賄賂わいろを巻き上げるのに失敗して」


 警察官は警棒をホルスターから抜き、ジェイの頭を打ちつけた。鈍い音が響く。


「残念だが、犯人が見つかることはないだろうな」


「これまでに、一人でもお尋ね者を逮捕できたことがあるのか? おまえ」ジェイはあざけるように笑う。


 警察官はもう一撃、ジェイの頭に警棒を振りおろし、前蹴りを繰り出した。はずみでよろめくジェイを苦々しく一瞥いちべつしてから、地面につばを吐き捨て、きびすを返して引き上げていった。


    ※  ※  ※


 ヴォドがケーの死亡診断書を書き終えるのを、ジェイは待った。


 その間、誰もいない灰色の待合室で、ジェイはケーとの思い出を反芻はんすうした。


 二人の母親が事故で亡くなり、埋葬を終えた翌日。父親が念入りに防寒着を着こんで、出稼ぎに旅立ったときのことだった。


「お母さん、なんで死んじゃったの?」十歳になったばかりの、ケーの頬を涙がつたった。


「理由なんてないよ」十七歳のジェイは、できるだけ優しく微笑んだ。「わけもなく生まれてくるのと、同じように」


 ケーは目尻を手でこすった。「お父さんはどうして家を出るの?」


「お金が必要だからな」ジェイはケーの肩に、そっと手を置いた。「それにきっと辛いんだ。母さんが突然、こんなことになってしまって」


 父親は家を出る前に、二人を食堂に連れて行った。二人の先を歩く父親の金色の髪は、風で煽られてせわしなく動いた。風が強い日だった。


 食堂に入ると、三人で魚のスープを食べた。川鱒かわます、じゃがいも、玉ねぎを煮こんだ、素朴な味わいのスープだった。


 スープは温かく、冷え切った三人の身体に沁みた。父親はウォッカを何杯か飲んだ。


 父親が二人の元に戻ってくることはなかった。


 父親が帰ってこなくなって、しばらく経ったある夜。ケーが寝静まってから、ジェイは家の戸口の外で、静かに一人で涙を流した。


 張り詰めた寒い夜だった。丸く大きな月と、満天の星が水飛沫みずしぶきのように煌めいていた。ジェイは鼻をかみ、夜空を見上げて、また少し泣いた。


 母親の事故死は、ケーに一因があった。


 高熱を出したケーを診療所に連れていくために、母親は車を飛ばした。丸々と肥えた大福のような牡丹雪ぼたんゆきが降っていた。


 その道中で、母親の運転する車は対向車と正面衝突をした。鎌を鋭く振りおろすように、対向車は突っこんできた。ドライバーは酒に酔い、うたた寝をしていた。


 母親は死に、ケーとそのドライバーは奇跡的に無傷だった。


 熱にうなされていたケーは、そのことを知らない。ジェイはケーになにも言わなかった。それからジェイは、ケーと身を寄せ合って生きてきた。


    ※  ※  ※


 死亡届が役所で受理されると、ジェイは一人で家に帰った。役人の目は落ち窪み、なんの感情もないように見えた。なにもかもが嘘みたいで、現実感を欠いていた。


 ジェイはグラスに冷たい水を注ぎ、一息で飲み干した。続けて二杯、三杯と水を飲んだ。喉の渇きは、なかなか癒えなかった。


 グラスをシンクに置き、ケーが息絶えたソファの前にジェイは立った。ソファに付着した血痕も、コンクリートの床にできた血溜まりも、すっかり乾いていた。


 ケーが使っていたシーツをソファに掛けて、血の跡を隠した。


 それから床にひざまずくようにして、かじかむ手で濡れ雑巾を使って血痕をふいた。血はなかなか落ちなかった。


 そこまでやってから、ジェイは熱いシャワーを浴びて、歯を磨き、ベッドに入った。


 最後に眠ってから、長い時間が経っていることに気がついた。眠りはすぐにやってきた。


    ※  ※  ※


 その翌日のクリスマス。ジェイはヴォドと二人で、母親の墓の隣に、錆びたシャベルで深い穴を掘った。その穴の中に、ケーが眠るひつぎを入れた。


 ジェイは穴の底で棺の小窓を開き、ケーの顔を眺めた。半開きのまぶたと口、昨日からより一層、透き通るように白くなった肌。髭が少しだけ伸びていた。


 ジェイは棺の小窓を閉じると、穴のふちに立てかけた梯子はしごをのぼった。ジェイが地上にあがると、ヴォドもそれに続いた。梯子は軋んだ音を小刻みに鳴らした。震えるように。


 ジェイとヴォドは、ケーの棺が入った墓穴はかあなに、乾いた土をシャベルで落とした。


 土は白っぽく、さらさらとしていた。墓地を冷たい風が通り抜け、砂埃が宙を舞った。砂がジェイの目に入る。


「砂が」ジェイは目を手の甲で擦る。「涙が」


 ヴォドはシャベルの動きを止めて、ジェイを見てうつむき、少しだけ身体を震わせた。


 正午過ぎまで時間をかけて、墓穴は埋まり、山なりになった。二人はその上に乗り、足で固く踏みならしてから、地面に墓標を突き立てた。


 ジェイとヴォドは、できあがったばかりのケーの墓前でかがみ、祈るように手を合わせた。


    ※  ※  ※


「これからどうするんだね?」ヴォドはジェイに訊いた。


「しばらく仕事を休もうと思う』


「スーツのセールスを? 休めるのか?」


「どうせスーツを買う客なんて、ろくでもない奴がほとんどなんだ。構うことないさ」木製のスプーンでシチューをすくいながら、ジェイは言う。「これから近所で聞きこみをしてから、ケーが働いていた工場に行って、話を聞いてこようと思う。殺された日の様子なんかを」


 ヴォドはウォッカを一口飲み下した。「私にできることがあったら、なんでも言ってくれ」


    ※  ※  ※


 ジェイはヴォドの診療所でシチューを食べ終えると、家の近所で聞きこみに励んだ。


 しかし、住人は身の回りのことにまるで関心がなく、あるいは居留守をつかわれて、どんな手がかりも得ることができなかった。


 ジェイは早々に聞きこみを切り上げて、車を北に走らせた。ケーが働いていた工場にむかった。


 エフの街並みに雪が降り積もる。道路の両脇に林立する、枯れた街路樹が天に伸びている。樹木を覆う雪化粧が、昼さがりの陽光に照らされて光る。


 次第に工場の巨大な煙突が近づいてくる。煙突からは、白く濃い煙がもうもうと立ち昇る。


 固く閉ざされた工場の堅牢な門の前で、ジェイは車を停めて、門衛もんえいの小屋に歩いた。

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