第3話 根の国への案内役「葬麗人」


 ――夜会から一か月後。



「急使!! 急使!!! 急ぎとく開門せよ!」



 夜間、固く閉じられた王都中央神殿の門の前で切羽詰まった男の叫びが響く。



 フォンタール一家の居所きょしょでもある王都中央神殿に急使が訪れるのはいつものこと――とまでは言わないが、ままある出来事の一つだったから、家人や使用人らは慌てる素振りも無く粛々と使者を迎えるべく動き出す。


 詰所で仮眠をとっていた門兵が姿を現しても、取り乱した様子で喚き散らす使者は、「患者」の容態が思わしくないことを表している。


「我が主、ガマーノ伯爵が屋敷で何者かに襲われて怪我を負われた! 血の気が失せ、呼吸も弱まって……最早一刻の猶予もならん! 早くっ! 早く、神官殿と聖女殿を遣わしてくれ!!」


 使者が神殿堂舎にまろび入ると同時に叫んだ頃には、手慣れた我が家の面々によって、既に聖女・神官の出立の準備は整っていた。


「案内を」


 聖女こと、フォンタール夫人が短く告げる。


(ガマーノ伯爵と言えば、ひと月前の夜会で散々リア充っぷりを見せつけて来た人ね。後悔することになる――なんて忠告してすぐに、こんな事になるなんて)


 嫌な予感を抱きつつ、使用人と共に、家族らを見送ろうと玄関に立ったエリーゼに、父が厳しい表情で振り返る。


「エリーゼ、お前も共に行くぞ」


 のんびりと夜会での出来事に想いを馳せていた彼女は、ひっそりと父にかけられた声に目を見開く。


(――嘘でしょ、だって私が出るってことは……)





 ガマーノ伯爵邸へ向けて、使者を先頭に神殿に所属する聖女、神官、下働きらが一斉に出発する。誰もが急患を救いに行くと分かる、純白の法衣の行列だ。道行くものは脇へ避け、こちらに向かって恭しく頭を垂れる。その最後尾に、目立たぬよう頭から腰までをすっぽりと覆うヴェールを被ったエリーゼが続く。


 辿り着いた屋敷は、隣国から渡って僅か1年の間に急成長を遂げ、その権勢が授爵されるに相応しいと誰もが納得するほどの、豪華絢爛たるものだった。


 しかし、その屋敷の主――ガマーノ伯爵は、血の匂いが充満した豪奢な室内にヒュウヒュウと細い息を吐いて横たわっている。時折咳き込みながら血を吐いているが、周囲を染める血は彼の身体のあちこちに負わされた切り傷から溢れたものも多い。全身が血に塗れて表情も分からない有様だ。


 主がベッドに横たわる傍らでは、寝室とは思えない争いの痕跡がそこここに散らばったまま。辛うじて、神官や聖女が治癒を行う場所だけ片付けたのだろうが、場景の生々しさに同行した下働きの者たちは顔色を青くしている。


(まぁ、この呼吸音じゃあ弱っているのは表情を確かめるべくも無いんだけど)


 父親から不穏な同行を命じられはしたものの、これまでにエリーゼは家族の優れた能力を何度も目の当たりにしてきている。「癒し」の力は絶命さえしていなければ、身体の再生能力を引き上げ、傷を治して血を増やす。だから、今回の癒しも上手くいくものだと信じて、父母や兄妹が揃って治癒の力を使う様子を眺めていた。


 どうっ どん どたっ どうっ


「えっ……!?」


 音を立てて、癒しにあたっていた4人が、次々と膝から崩れ落ちる。


(何で!? まさか毒にでも当てられた!?)


 信じ難い状況に慌てて駆け寄り、家族の状態を確認すれば、皆一様に息はあるが血の気の失せた状態で、固く双眸を閉じて身動ぎ一つしない。この症状は知らないわけではない。


(癒しの能力の枯渇――!? どうして? こんな切り傷なら、今まで何度も治して来たし、倒れるほど力を使い切ることも無かったのに!)


 しかも、ガマーノ伯爵も回復しておらず、どんどん吐く息がか細くなっている。


「どうした! フォンタール家の癒しの力はそんなものなのか!? 国王に庇護される聖女、神官が揃って尚、切り傷を負った我が主ひとり助けられないのか!?」


 使者となっていた男をはじめとしたガマーノの部下が、口々に怒声を上げ、なんとか助けろと神殿からの随行者に詰め寄り、掴みかかる。その有り様は破落戸ごろつきを彷彿させられ、とても貴族家に居るとは思えない。ついには、家族に手を差し伸べていたエリーゼに迫った一人が、その肩をきつく掴む。


「お前はどうなんだ!!」


 詰め寄られた時、エリーゼは周囲の騒ぎにも気付かないほど呆然としていた。4人の癒しの力をもってして、即死でない切傷から救えないことはなかったから。だから咄嗟に何の反応をすることもできず、為されるがままに乱暴にヴェールが剥ぎ取られる。


 顕わになったエリーゼの顔を間近で見た者が「ひぃ」と鋭く悲鳴をあげた。


「不吉なっ!! なぜ死者の身体をまさぐるしか能のない、この女が居る!?」


 その叫びを聞いて、混乱に陥っていた室内の一同は、揃って怯え、嫌悪を滲ませてエリーゼに注目し、ひと時の静寂が訪れる。


 倒れた家族、治せない伯爵。放っておけば、またすぐに集まったガマーノ伯爵家の者たちは騒ぎ出して、こちらに身の危険が及ぶやもしれない。だから、エリーゼはこの機会を逃さない様、そして父親がエリーゼをこの場に同行させた意味を相手に伝え、自身を納得させるために静かに言葉を紡ぐ。


「なぜ? ――わたしの役割は根の国へ旅立つ人が思い残すことなく逝けるよう、残る人の最期の想い出が少しでも良いものとなるよう、旅支度をお手伝いすることよ。わたしたちは必ず癒すことが出来る神じゃないもの。キズは塞げるし、折れたものはくっ付けることが出来る。でも、病気で壊れた身体は、多少の元気を与えられても、元に戻すことは出来ないわ」


―――エリーゼの役割は、残される者達が心安く故人を見送れるよう遺骸を整える「葬麗人」なのだ。

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