神の粋狂(三)

 龍神。神。

 人ではない。


 ちょっと、待って欲しい。


 龍神、ってあの白くてにょろっとして都の上空飛んでたやつ?


 自分を抱き上げている夢二をまじまじと見るも、普通の人間に見える。

 肩に置いた掌には夢二が着ている着物が触れている。着物を通し、それを包む夢二の肉体がある。


 五体揃ってどこもにょろっとはしていない、そう見える。


「龍神……?」


 ってなに、ぐらいの呟きだった。


 その私の声に夢二が反応した。


「なんだ?」


 ほんとにちょっと待って欲しい。なにそれ、どういう反応?


 え、ほんとうに神様なの?


 これが、ここに確かに存在して触れているこの人が、人間ではないって言うの?

 龍で、神様だと。


 確かに変わっているとは思う。その言動も、金の瞳も白い髪も珍しく、人外の美貌だと、そんなことも思った気がする。


 いやいや、本当に人外とか思ったわけではもちろんない。


 暗闇を躊躇なく歩きまわり、扉を木っ端微塵にしたり、刀を向けられても怯まなかったり、そういえば初めて会ったときにはいきなり消えた気がするけど……。


 ……ああ、うん。いや、なんかあんまり人間っぽくない気はしてきた。


 さっきまでの会話でも、かなり人外だった気がする。


 私のそれがただ呼んだだけで意味があるわけではない、と思ったのかなんなのかは知らないけど、夢二が再びトキヒト様へと視線をやった。


「死にぞこないのわらしが無念だと嘆く声があまりにも煩かったゆえ、望みを叶えてやったにすぎぬ。それを呪いとは心外だ。恨まれる筋合いもないわ」


 普通に会話を再開した夢二が言い放つ。それにあくまで笑顔で答えるトキヒト様もそれなりに人外感がある気がする。


「神にとっては気紛れの思い付きに過ぎぬことであれ、人の身には過ぎたるもの。奇蹟と呪いは紙一重。自覚なされませ。あなたは神です。我ら人とは根本より相容れませぬ」


 そう、静かに強く断じたトキヒト様が、ひたと私に視線を据えた。


「その娘も、ただの人です」


 え、私?

 ああ、まあ確かに、ただの人ですよ。なんか文句ありますか。


「あなた様を抱くその方は、いにしえの海の神。龍神であらせられる。我ら人とは相容れぬものでございます。仮初のその姿がいかな人に過ぎぬとも、その本性は人ではございません。生も死も無き、神の一柱ひとはしら。意思の疎通が適うなどと決して思いますな」


 何を言われるのかと身構えた私にとっては予想外になことに、なんか言われてるのは夢二の方だった。

 なんかそいつ話通じないよ的なこと言われた気がする。


「おい」


 半眼でトキヒト様を見る夢二が、どこか不貞腐れたような表情をしている。


 意思の疎通、どちらかと言えばトキヒト様よりまだ夢二の方が感情も見えてわかりやすい気はしてますけど。


 という、私や夢二の様子に頓着する様子もなく、トキヒト様が疑問を口にした。


「その娘を、いかがするおつもりでございますか」


 それ、私も結構気になります。


 問われた夢二はふむ、と私を見て、しばらく考える。


「特に考えておらん」


 ちょっと。


 私を至近距離でじっくりと眺めるその目は、どこかトキヒト様と似通っている気がする。トキヒト様と同じく、遠慮がない。

 そもそもこの世界には人を観察するようにじろじろ見るのは失礼かも、という感覚がないんだと思う。別にそれはいいんだけど。


 なんだろうな。やっぱりちょっと、子どもが面白がって観察している動物園の猿みたいな気分になる。

 色恋が絡んでいるというよりは、ただの興味の対象のような。

 私が恋愛について不感症だからかもしれないけど。 


「いや、我自身、まだようわかっておらぬ。気に入ったように思うゆえ、傍に置きたい。傍に置き、我がいかなるつもりであるか、とくと考えようかと思うておる」


 私を眺め、恋愛初心者なんだか上級者なんだかよくわからないことを言った夢二に対し、トキヒト様が間髪入れずにばっさりと両断した。


「おやめください」


 そのトキヒト様に、興を削がれた、と言わんばかりに夢二が眉を顰める。


「いちいち口を出すな煩わしい」


「僭越ながら、その娘はわたくしが庇護せしむ者でございます。神であれおいそれとくれてやるわけには参りませぬ。お返しください」


 なんか、気のせいかな。トキヒト様の言葉は私を気遣うものになってはいないだろうか。

 神である夢二から、人である私を庇っているような気がする。


 そしてそのせいか夢二に対する当たりが強い。

 口調は丁寧だし、顔は笑ってはいるけど。言い方や内容が明らかにきついと思う。

 まあこの状況でまだ微笑んでるの、相変わらずちょっと怖いとは思うんだけど。


「殺そうとしておったではないか」


「都のために必要と思えばこそ、稀人まれびとの存在がこの都にとって毒となる、そう思えばこその行いでございましたが、今は心より悔やんでおります。反省し心を入れ替え、二度とかようなことは成さぬとお誓い申し上げます。そも、人の世の話にて、神の干渉は無用にございます」


 二人とも別に早口でまくし立ててるわけじゃないのに、なんでか全然口を挟めない。

 私のことを言ってるんだと思いますが、当事者の私がちょっと置いてけぼりですよ。


 声を荒げるでもなく、立て板に水のごとき会話に、ヒアリングが精一杯である。

 当の本人を蚊帳の外に置いたまま、話がどんどん進んでいく。


「そなたこそ、神である我が行いにいちいち口を挟むな。出過ぎた真似ぞ。そもそも八つのわらしに色恋の話など早いわ。すっこんでおれ」


「八つであったのは八百年以上昔の話、とうに成人しておりますれば。それより古来より神に人が嫁いで幸せになった試しなどございません。あなたに弄ばれるその娘が哀れです。人の子が神になぶられるを見過ごすわけには参りません」


「いちいち絡むな煩いのう。女が欲しければ式神に母の代わりでもしてもらえばよかろう。乳でもなんでも吸わせてもらえ」


「わたくしの話をしているわけではありません。あなたこそ戯れに人の子に手など出さず神は神同士で乳繰り合っていればよいではございませんか。さあ、その娘をこちらへ」


「死にぞこないの小童が、神たる我より奪うと申すか」


「海の底でとうに朽ち果てた大蛇の残りカスごときが未だそのように神を気取るとは、滑稽なことよ」


 ハラハラしてる間にただの喧嘩になった気がする。

 もしかしなくても、この二人めちゃくちゃ仲悪いのでは……?


 そんなことを思った私の目の前で、夢二が変貌した。


 その瞳が爛々と輝き、瞳孔が縦に割れる。頬に浮かぶのは白く輝く鱗。

 頬まで裂けた口の中に、鋭い歯が覗いている。


「いかな優れた術者であろうと人に過ぎぬ。随分と思い上がったものだ。もうよい。望み通り嬲り殺してくれるわ」


 その正面に立つトキヒト様はトキヒト様で手にしていた剣を抜き放った。刀ではない、両刃の剣である。

 鞘を放り投げ、その剣を夢二に構える。

 その表情が、好戦的な笑みへと変わっていた。


「望むところ。神殺しの剣の斬れ味、とくと味わうがよろしかろう」

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