神の粋狂(二)

 刃物を、武器を向けられている。


 丸腰で対峙する夢二は特に焦る様子もない。焦る様子も動揺する様子もなく、私を腕に乗せたまま立っている。


「夢二」


 ちょっと待って欲しい。逃げるとかして欲しい。

 あの刀は、雰囲気は、玩具や冗談のようには見えない。


 夢二の肩を掴む手に力が入る。呼ぶ声が、ちょっと震えてしまった。


「うん?」


 そんな私の様子が気になったらしい夢二が、三人から視線を外し私を見た。

 ちょっと横目でとかじゃない。顔ごとしっかりこちらを向いて。一瞬前まで表情の無かった顔が、ふんわりと微笑んでいる。


 そんな場合か!


 もちろん、それは刀を構え斬りかかるタイミングを計っていただろう人達にとっては隙以外のなんでもない。

 私の視界には、刀を構えたまま動き出した三人が見えていた。


「ゆめ……っ」


 言いかけたところで再び頭をぐっと抑え込まれ、夢二の肩に顔を押し付けられた。


 何が起こっているかは見えないものの、夢二の身体が動くのが伝わってくる。その場から大きく動くではなく、腕を軽く振る程度の動き。


 振り落とされないようにその夢二の首筋にしっかりと腕を絡める。


 呑気にも、ふ、と笑うのを聴いた気がする。


 抑えつけらえていたその手がなくなるまで、ほんの数秒程度だったと思う。

 争っているような音もなく、夢二が動きを止めた。


 恐る恐る上げた顔の先、最初に見えたのは濃い色の着物。


 前方へと突き出た、白い着物を纏う腕がある。その右手の先に、人の姿があった。


 夢二の腕の先が、見えない。その腕が人の身体を貫いているのだと、見た瞬間には理解できなかった。


 先程刀を振りかぶって襲い掛かって来た人、その身体から無造作に引き抜かれた夢二の腕。


 そして、男性の姿が掻き消えた。

 覚悟したような血飛沫もなく、悲鳴も呻き声もなく。


「え?」


 ひらりと、白い紙が宙に舞う。

 まるで、人がその紙に代わったようだ、なんて、非現実的なことを思った。


 呆然と辺りを見回すが、誰もいない。襲い掛かって来たあの三人の姿も、その死体も、刀も。

 ただ夢二の足元に、破れた白い紙が三枚落ちていた。


「式などけしかけて、なんのつもりだ?」


 夢二がそう、暗闇の向こう側へと問いかけた。


 砂利を踏む音がする。

 暗闇の中から、白い着物姿が浮かび上がった。


「式神などいくらけしかけたところで、あなたにはどうということもありますまい」


 穏やかな口調。落ち着いた物腰。

 月明かりの元、姿を現したトキヒト様は、今まで一度も見たことのない剣を持っている。


 剣を片手に、普段通りの穏やかな口調で夢二の問いに答えた。


 互いに、淡々と。


「己が周りを羽虫が飛べばそちとて不愉快であろう。のう、小童。不遜なる振る舞いを見過ごしてやる気はないぞ。我に刃を振るうがいかなることか、無論わかっていような」


「わからないほど耄碌したつもりはございませんよ。それに、問いたいのはわたくしの方です。なぜ、あなたがその娘を助けるのです?」


 私に死んで欲しいと、そう言ったトキヒト様。その姿を見ても、思っていたような動揺を感じなかったのは、色々なことが起き過ぎたせいだろうか。


 それとも、あまりにもトキヒト様がいつも通りだから、武器を手にしてなお、微笑むその顔が今まで通りのものだからだろうか。


「あのいとけなわらしが、随分と変わったようだ。この娘についてはそちが気にする必要などない」


 夢二の方が、僅かに目を細めた。


「……気にするな、ということでございますか。まあいいでしょう。それよりも、八百年です。わたくしがこの世界に縛り付けられて、八百と三十年余り。人とは、変わるものでございますよ」


 どうやら知り合いらしい、などという感想を抱く隙もないぐらい、二人の言葉の応酬が、静かでありながらもどこか険を帯びていく。


 トキヒト様の言葉も夢二の言葉も、今一つ私には理解できない。

 だから私には、挟む口もない。 


「縛り付けられて、か」


 でも、そう小さく呟いた夢二のその横顔に、僅かに過った困惑を、私は見たことがある。


「そうか。もう、飽いたか」


 なぜか傷付いたような、そんな表情が過ったのは見間違いかと思う程度の一瞬で、それから先の夢二の声に一切の淀みはなかった。


「ならば、死ねばよかろう」


 そんなことを口にして、夢二は冷めた目でトキヒト様を見た。


 私がトキヒト様から言われたように、むしろそれよりももっと苛烈な、そんな内容に思えてしまう。心臓が、ぎゅっとなった。


 誰かにあんな風に死んで欲しいと言われるのは、結構哀しくて、怖くて、辛い。とても残念なことだ。


「何百年を生きようとも不死ではない。死から逃れることはできぬ、そなたはただの人だ。首が落ちれば死ぬ。腹を裂けば死ぬ。毒を飲めば死ぬ。死に方は好きに選べ。妨げようとする者などおるまい。好きに選び好きにせよ。死にたくば死ねばよい」


 例え言われたトキヒト様が、どんな感慨を抱かないんだとしても、私が哀しい。私が苦しい。そんなことをあっさりとくちにする、夢二が怖い。


 薄く微笑んだままのトキヒト様が、静かに口を開いた。


「わたくしが死すれば、この都は、民はどうなります」


くさびであるそなたが死すれば消えような。元よりうつつより写し取った我が夢に過ぎぬ。気にする必要はあるまい」


 自分の生死よりも、都を気にするかのようなトキヒト様の言葉に、夢二が鼻で笑う。


「元はただの夢に過ぎぬものでございましょう。それでも、当の民にとっては紛れもない現実。八百年の歴史を紡いだ、国と人。幻と切り捨てられるものではございません」


「夢だ。そなたの言う民も全て、うつつのものではない」


「いいえ」


 はっきりと、そう断じた夢二の言葉を、かつてないほど強いトキヒト様の声が否定した。


「いいえ。彼らは生きております。子を成し、育み、老いて死ぬ。田畑を耕し、はたを織り、喜び、嘆き、病で斃れ、斬れば血を流します。現世うつしよの者と何が違いましょうか。この都に生きる、わたくしの民でございます」


 そこで、初めて、トキヒト様が悄然としたような気がした。


「わたくしの、民なのです」


 熱のない声が、うわごとの様に繰り返す。


「あなたには夢に過ぎぬ世界でも、民が、生きているのです。民が暮らし、生きております。海に沈み短き生涯を終えるはずだったわたくしに、あなたが与えたもうた国でございます。情けであろうとも、気紛れであろうとも、民が生き望む限り、わたくしは護らねばなりません。今度こそは」


 言っている内容は、私にはよくわからない。

 ただ、それは、その言葉は、トキヒト様が自分に言い聞かせているように感じてしまう。


「憐れな」


「わたくしの民なのです。民がいる限り、自死などあり得ませぬ。憐れと思し召すならば、どうぞ、その手で。あなたより死を賜りたく存じます。ここで終えてくださいませ。今度こそ、波の下の国などに辿り着かぬですむように。……誰もが皆、逝ってしまいました。わたくし一人が、このようなところで永遠を生き続けております。このような……いったい……いつになれば……」


 最後の方は呟くように、静かなトキヒト様の声が、夜の御所に落ちて消えていく。


 私はその時、ふいに思い出した。

 最初に聞いた、この世界のこと。トキヒト様の言葉を。

 この都は、眠る龍が見ている夢の世界、トキヒト様に、そう教えられたことを。


「なぜかような呪いを我が身にと、思うことすらも、もう疲れたような気がいたします。ただ、あなたをお恨み申し上げます、龍神様」


 そんな恨み言を口にして、それでもやはり、トキヒト様は微笑んだ。

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