第38話 フルートのしらべ

 教室は緊張感のある雰囲気に包まれていた。

 いつもは生徒がいっぱいいて賑やかな教室も、今は先生と僕と母親の3人しかいない。


 先生と母親が成績表と大学偏差値ランキング表を見ながら、僕の進路について話し合っているのを僕は見守るしかなかった。


「転校当初は慣れないせいか成績悪かったですけど、そのあとは順調に伸びてきているんで、このあたりの大学は大丈夫かと思います」

「親としてはできれば国立の方が、学費が安くて助かるんですけどね」


 我が家から通える範囲にある国立大学は全国屈指の難易度を誇り、桜ノ宮女学院からも毎年数名程度しか合格していない。

 すこし成績が伸びてきたとはいえ、そのレベルには到達していない。


 となると私立大学に行くしかないが、学費の問題が立ちふさがっていた。

 工場の方は業績が上向いてきたとはいえ、私立大学に行けるほど余裕はない。

 苦労してきた父は自分の代で工場は閉めるつもりで、後を継げとは言ってこない。

 大学はあきらめて、専門学校にでも行って資格でも取ろうかなと漠然と考えていた。


「学費が問題というなら、うちの付属大学はいかがですか?」

「付属大って、女子大でしたよね?」


 先生の思いもよらない展開に、思わず口をはさんでしまった。


「確かに女子大だけど、LGBTに配慮して男子でも入学できるようになってるの。あまり知られてないけどね。それで大学側としても世間にアピールしたいから、ぜひ下野さんに来て欲しいみたいです」


 先生は事前に準備していた、付属の桜ノ宮女子大学のパンフレットを机の上においた。


「入学してくれてテレビなど取材に応じてくれたら、授業料無料って担当の人が言っていましたよ」

「あら、本当ですか?夕貴、そこにしちゃいなよ」


 授業料無料という言葉に目を輝かせた母親は、パンフレットを興味深そうに見始めた。

 大学に行けるのは嬉しいが、女子大に入学するということは男に戻れないということで僕の心は複雑だった。


「あらこの大学、国立大学の近くじゃない?だったら、上園さんと一緒に学校行けるよ」

「そうなんですよ。大学は違うけど、国立大学の部活のマネージャやっている桜ノ宮女子大学の学生も多いんですよ。それがきっかけで付き合い始めて、結婚する生徒も多いですよ」

「商学部にいって、簿記とか会計の資格とるのもよさそうね」


 僕はそこに決めたと言っていないのに、決まったかのように母親と先生は話を始めた。

 全国一位をとるぐらいの葵なら余裕で国立大学には合格するだろう。国立大学は僕には到底無理だが、キャンパスが近いなら大学終わった後一緒に帰ったり遊びに行ったりしやすい。

 それも悪くないだろうと思えてきたところで、「3月にも進路相談あるから、それまでに決めておいて」と先生が話をしめたところで、進路相談面接は終わった。


 放課後の校庭からは、部活をする生徒の走る足音やかけ声が聞こえてくる。

 一緒に帰ろうという母親の誘いを断り、一人になりたかった僕は売店横の自販機でカフェオレを買い、中庭のベンチに腰かけた。


 肌寒い外気の中、暖かいカフェオレが心地良い。カフェオレから立ち上る白い湯気をボーっと眺めながら、葵のことを考えていた。

 葵と高橋さんはあのホームパーティーの後も何度か会っているようだ。葵を束縛する権利はないが、それでも葵が他の男性と仲良くすると心がざわついてしまう。


 葵とは住む世界が違う。

 葵が僕と付き合っているのは、僕を女子高に転校させたのと同じように単なる気まぐれで遊びなのかもしれない。


 そんな嫉妬と不安が入り混じり、僕は大きなため息をついた。

 考えに集中していて気付かなかったが、中庭には美しい音色が響いていた。


 音色が聴こえてくる方向に顔を向けてみると、吹奏楽部の生徒がフルートを奏でていた。

 艶の良い真っ黒な髪を高い位置で縛ったポニーテールが風になびかせながら、整った鼻筋の彼女が上質な唇でフルートを吹く姿は、まるで絵画のように美しくつい見入ってしまった。


 僕の視線に気づいたのか彼女は演奏をやめ、僕の方に近づいてきた。


「あっ、ごめん、邪魔だった。いい音色だったから」

「ひょっとして、下野さん?」

「そうだけど」

「あ~やっぱり、下野さんのことは佐野っちから聞いてるよ。私、同じ2年生の岩崎奏。一度、話してみたかったんだ」


 毎日僕の下着の色を聞いてくる佐野っちが、吹奏楽部なのを思い出した。それなら僕の名前を彼女が知っていてもおかしくない。

 彼女は「下着も女物なの?」「トイレどうしてるの?」という定番の質問をしたあと「そろそろ練習に戻らなきゃ」といい、フルート片手に元の場所に戻っていった。


「じゃ、僕も行くね」

「聴いている人がいた方が張り合いがあるから、良かったら聴いて行って」


 本音は一緒に居たかった僕は、彼女の言葉に甘えそのままベンチに座り、部活の時間が終わるまで彼女の音色に耳を傾けていた。


◇ ◇ ◇


 水曜日の放課後僕は再び寒空の中、中庭のベンチに腰掛け、カフェオレを飲みながら岩崎さんが来るのを待っていた。

 月・水・金はパート別練習でここで練習しているからまた来てねと言われ、また彼女に会いたくなってきてしまった。


 葵に知られるとまた嫉妬されて怒られそうだが、今日の葵は用事があるといって学校が終わるとすぐに帰宅したので大丈夫だろう。


 カフェオレを飲み終えるころ、フルートと楽譜をもった彼女が姿を見せた。


「また、きてくれたんだ。ありがとう」


 彼女は僕が座るベンチのすぐ前に立ち、フルートを吹き始めた。

 彼女の白く美しい指が楽譜を追うように躍り奏でる柔らかな音色は、幻想的な異空間に連れて行ってくれる。

 彼女の演奏を聴いている間は、進路や恋愛など不安なことを忘れることができる。


 休憩なのか、一端演奏を止めた彼女は黒く美しく穏やかな瞳で僕を見つめた。


「何か悩み抱えてるの?」

「えっ!」

「フルートの音色は心を癒すのよ。悩みを抱えている人は、フルートの音色を聴きたくなるの」

「悩み、あるのはあるけど」

「あ~やっぱり、悩んでそうだからカマかけてみたけど、やっぱりそうだったんだね」


 彼女は悪戯が成功した子供の様に喜んでいる。無邪気に喜ぶ姿に、カマを掛けられたことに怒る気にもなれなかった。


「悩みあるなら、聞くよ。話すだけでも楽になるから、話してよ。口は堅い方だから安心して」


 誰かに話したいと思っていた。でも、葵と親しい茜や佐野っちに、僕と葵の関係を相談するの憚られていた。

 最近知り合ったばかりの岩崎さんの方が、話しやすそうだった。


「そうなんだ。まあ、気持ちはわかるけど、家庭の格差とか社会的地位とかあまり考えなくてもいいと思うけど」

「そうかな?」

「あと、佐野っちにも聞いたけど、甲斐甲斐しくお弁当作ってきてるらしいね」

「まあ、そうだけど」

「あまり尽くしすぎるのもよくないと思うよ。人は簡単に手に入るものに執着しないよ」


 葵を好きになってからずっと、葵に気に入れられようと懸命に努力してきた。言われてみれば、葵に合わせすぎたのかもしれない。


「思い当たるところあったでしょ?」

「まあ、言われてみればそうだけど」

「じゃ、今度私と遊びに行こうよ。中央公園でクリスマスマーケットやってるみたいだから一緒に行こうよ」


 他の女子と一緒に遊びに行くのが葵にバレたら怒られそうだが、それよりも葵に対して意趣返しとまではいかないが少しは心配させたい悪戯心の方が勝ってしまい、岩崎さんと遊びに行く約束に応じてしまった。

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